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彼女  作者: 長門 郁
第一章
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episode8

 杉村がトイレから出てくると、坂下が鼻歌を歌っているのが聴こえた。誰もいない廊下に響くそれは、なんとも不恰好な音だ。

「なんの歌だ?」

「秘密ー」

 にかっと屈託のない笑顔を見せられると、追求する気持ちも湧いて来ない。

「それに、どうせ日本の歌は知らないでしょ、和は」

「それもそうだな。……それに、日本とか関係なく歌とか興味ない」

 杉村は寒そうに両手をポケットに突っ込んだ。もう外は暗く、ちらちら雪が降っている。

「故郷の歌は?」

「笑わせんな。自分の故郷がどこかも覚えてねーよ」

「イタリアじゃないの?」

 杉村の丸い真っ黒な瞳が坂下を睨んだ。

「その話すんじゃねーよ」

 態度が一変しているが、坂下は意に介していないようだ。ニヤニヤと笑みを隠せないといった様子にも見える。

「和が学校だといい子の優等生キャラになるから、俺としては今みたいな普段通りの和が好きだよ」

「俺だって好きでこんな仕事してるわけじゃない。こんな歳になって学生なんかやるとは思ってなかった」

 杉村はジャケットの中ポケットに手を突っ込み、しまったといった顔をした。

「そうだ今は持ってなかった……」

「煙草? 制服で吸おうとしないでよ」

 坂下が露骨に嫌そうな顔をする。子どもが苦いものでも食べたようなしかめっ面だ。

「俺の前でっていうか、学校では吸っちゃだめ。持ってきてもだめだから。外でも制服で吸おうなんて言語道断だから!」

「分かった分かった」

 そこで杉村の携帯電話が鳴いた。甲高い機械音が廊下を走り去る。

「あーもう! なんで電源切ってないんだよー! 没収されるよ! せめてマナーモード!」

「分かった分かった」

 とても髪を赤茶に染めている人間の発言とは思えないと杉村は思った。そんな真面目な坂下の注意を意にも留めず、杉村は少しすぐさま電話に出る。

 杉村のぶっきらぼうな受け応えを聞いただけで通話相手が想像できる。どうやら迎えが来たらしい。

「今日は遅かったね、リコちゃん」

「ああ、寝てたらしい。今日こそお灸を据えてやる」

 杉村たちは教室から鞄を回収し、2人を待つ送迎車の元へ急いだ。




「すみません坊ちゃん! 遅れました!」

 2人が待ち合わせ場所である学校近くのコンビニへ到着すると、黒い軽自動車から金髪の女性が出てきた。開口一番に謝罪をすると、坂下に頭を下げる。

「大丈夫だよリコちゃん。顔上げて」

 坂下の柔らかい声音に、リコと呼ばれた女性はたちまち笑顔になった。

「ていうか寒くないの?コートは着てこなかったの?」

 女性はスーツ姿でとても暖かそうには見えない。

「あはは……忘れちゃって」

「俺の着る?」

 しかし杉村は、苦笑を漏らす彼女に厳しく一喝した。

「悠、甘やかすな」

 杉村は眼鏡を外して、坂下に先に車に入るように指示をした。

 黒々しい丸い瞳が女性の危機察知能力を煽り、彼女は目をそらす。杉村は車にもたれ、説教を始めた。

「リコ。……いや、櫻井」

「……はい」

「遅刻は厳禁だ。昼寝なんか話にならねーんだよ。それに、あいつに気を遣わせるな。悠は俺たちにとって弟みたいな存在なのは分かる。だけど紛れもなく俺たちの雇い主であり、主人だ。そこら辺の身分の違いをしっかり理解しろ。これは仕事だ。分かったな」

「…………はい」

 つらつらと正論しか出て来ず、櫻井リコは何も言えなくなる。

 櫻井は明からさまに肩を落とし、

「ごめんなさい……」

最後にそう付け加えた。

 杉村はそれを聞き、ようやく眉間の皺を伸ばす。そして櫻井の頭に手を置いた。


「あとコートは着てこい。風邪ひかれても俺と悠が困る」


「す、杉村さん!!」

 櫻井はいきなり元気になったかと思うとがばっと顔を上げて、杉村の瞳を覗き込む。

「な、なんだよ」

「これがツンデレってやつですね!」

 唖然とした杉村をよそに、櫻井の勢いは止まらない。

「厳しいこととかそっけないこと言っておきながら、優しい態度になることをツンデレって言うらしいですよ!」

「誰に聞いたんだ、そんなこと」

「坊ちゃんです!!」

 坂下は車の中で休んでいるが、2人の視線が集まっていることに気づいた。何かしたのではないかとおろおろしている。

「また悠に変なこと吹き込まれやがって……」

「あれ、杉村?」

 聞き覚えのある声が背後から現れた。櫻井は青い瞳を丸くしている。

声の主は柳田りさだ。茶色のコートに薄紫のマフラーをして、鞄の他には相棒のギターを背負っている。

「りさ先輩……」

「やっぱり杉村だ。こんなでっかいやつそうそういないもんね。……そちらの人は?」

 柳田は櫻井を一瞥する。日本人離れしたスタイルに金髪のブロンドヘアー。そして青い目。見てわかる通り外国人だが、それ以外にも櫻井の顔が整っていたため、柳田は興味津々らしい。

「初めまして。櫻井リコです」

 櫻井は慎ましく会釈をする。

「日本語お上手ですねー。あたしは柳田りさです。よろしく」

「よろしくお願いします」

「どこ出身なんですか?」

「生まれたところはイタリアです」

 女子2人は楽しそうに挨拶をしているが、杉村には始終不安気な顔の皮が張り付いたままだ。

「2人はどういう知り合いなの? もしかして、杉村の彼女?」

 柳田の何気ない冗談に、

「あり得ないです」

杉村が早急に全否定する。

「櫻井さんはお隣さんですよ。俺と悠が困ってる時に助けてくれるんです。こうやって雪の日なんかは車で送ってくれたり」

 ね? 櫻井さん? と、杉村は櫻井に同意を求める。

「そ、そうです。お隣さんです! とても仲良しさんです!」




「ってことがさっきあった」

「じゃあ和は、りさ先輩に嘘ついたんだ」

 サラサラと降っていた雪は次第に強くなり、道路はタイヤの跡が目立つようになっている。

 暖房を炊いた車内はひどく乾燥しており、後部座席で坂下と杉村が喋っている間、櫻井はずっと唇を舐めながら運転をしていた。

「仕方ないだろ。この女は俺の義理の妹だって言えばいいのかよ。その時点で歳が合わなくなるだろーが」

「リコちゃんだってまたまだ──」

「流石にリコは中学生には見えねーだろ」

 ふふっと櫻井が笑いを漏らす。

「わたしはハタチ前後に見えますもんねー。年相応ってやつですよ! でも、杉村さんはどこからどう見ても高校生ですよねー。21歳のくせに」

「確かに!」

 坂下も便乗して、杉村を笑いものにする。

「リコ。後で覚えておけよ」

「なんでわたしだけなんですかー!」

 はあ、と盛大なため息をつき、杉村はネクタイを緩めた。

「俺だって、お前の護衛って役割じゃなきゃ学校潜入なんかやらねーよ」

「お勤めご苦労様、和さん」

 ぽんと杉村の肩に、坂下の手が乗る。

「お前もよく、こんな得体の知れない兄妹なんか雇うよな」

 杉村は苦い笑みを浮かべた。

「俺は日本の頂点! 坂下グループの跡取りだよ。それくらい懐大きくなきゃね!」

 坂下の無邪気な笑顔に、杉村と櫻井も釣られて目尻が下げる。


 しかしその笑顔の奥に秘められた鋭い眼光を、杉村は見逃さなかった。


 野望を持った人間の瞳だと、杉村は感じた。たまに見せる獲物を狙う獣のような瞳の輝きが目に焼きつく。

 ぞくりと彼の背筋が震える。

(これだから……これだからこいつから目が離せないんだ……)


「和? どうしたの」

「いや、なんでもない……」

 はぐらかすのが下手だと、内心で自嘲した。

 しかし坂下は深く追求しなかった。

「坊ちゃん! 今日のご飯はなんですか!」

「今日はどうしようか。寒いし鍋にでもしようか!」

 車内に歓喜の声があがり、それと同時にほんの少し加速した。




 夕食を終え、杉村と櫻井は自室に戻った。

「はー。お鍋美味しかったです」

「だな」

「やっぱり坊ちゃんのお料理は日本一ですね!」

「だな」

 表向きでは、坂下と杉村が同じマンションの一室に住んでいることになっている。その隣にすんでいるのが櫻井だ。

 しかし本当は杉村と櫻井が同室である。2人は坂下に雇われたボディーガードだ。兄妹であることも歳も名前も隠して、用心棒の仕事に就いているのだ。

「お腹いっぱーい」

 櫻井はボフンと一つしかないベッドにダイブした。

「早く風呂に入れ」

 はーいという軽い返事を聞き流し、杉村はコンタクトケースを取り出した。慣れた手つきでコンタクトを外す。しかしそれは普通のコンタクトではなかった。

黒いカラーコンタクトだった。人口の膜を剥がした丸い瞳は、青にも緑にも取れる不思議な色をしている。

「相変わらず、瞳を隠せば日本人ですね」

「うるせぇ」

 杉村もベッドに腰をかける。ぎしっとスプリングが歪に声を上げる。

『あなたの生まれた国は?』

 櫻井の声で間違いはない。しかしそれはイタリア語だった。

「知らねーよ」

『日本じゃあないでしょう?』

「イタリアでもねーよ。あんなところ糞食らえだ」

『あら、私の故郷を馬鹿にしないでよ兄さん』

 するっと白く細い腕が杉村の頬を撫でる。

「日本に生まれたかった。日本人に生まれたかった……」

 櫻井は義理の兄である杉村にキスをした。

「悠が生まれて、今まで生きてきたこの日本に、生まれたかった」

 虚ろな目をする杉村に、再び唇を合わせる。

『恋する乙女は大変ね、兄さん』

「やめろ、リコ」

 光の加減で緑に光る杉村の目に威嚇され、櫻井はその場凌ぎの笑顔を作る。

「はーい」

 しかしキスはやめなかった。杉村も拒む様子はない。

 これが2人の日常だった。

「ふふふ、どっこいしょー!」

 調子に乗った櫻井は、杉村の太ももの上にお尻を乗せて向かい合った。

「なんだその掛け声」

「お相撲さんの真似です」

 櫻井の食むようなキスに、杉村は頭を撫でて応える。しかしすぐに髪を引っ張って引き剥がした。

「痛いです……」

「お前、唇乾燥してる」

「……あは」

「ちゃんとリップ塗れよ。それと風呂入れ」

「はーい」

 そうしてまた、2人は口付けを交わした。



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