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彼女  作者: 長門 郁
第一章
7/17

episode6



 時計の針は午後6時を指そうとしていた。

 山を削って建てられた病院は、緑に囲まれているいやに綺麗な城にも見える。

 バスから降りると車や人に汚された黒々しい雪が地面を侵食している。その上からはらりはらりと降ってくる雪がやけに目立って見えた。風なく、静かな雰囲気だ。しかし寒いことには変わらず、穂高は早足で敷地内へと急いだ。

 自分を呼んだ人の元へ。



「あら、樹君。来たわね」

 穂高は聞き覚えのある声に呼ばれ振り返った。その先には10人に聞けばその10人が美人だと断言するであろう美女が立っている。バインダーを片手に白衣を纏っており、ここの女医であるとこは一目瞭然だ。

「久しぶりね。この前来たのはまだ雪が降る前でしょう?」

「そうですね。1ヶ月振りです。……相変わらずお綺麗で、尾形先生」

 穂高は尾形拓美の姉である尾形麻由美に、毎度恒例の文句を言った。

「歳上をからかうんじゃありません」

 そしていつも通りの、満更でもない言葉が返ってくるのだった。



 静かな廊下に、コツコツと麻由美の靴から奏で出た音が反響する。

 ここの地域一帯では頭一つ飛び出た規模を持つ総合病院だが、この時間帯や棟では盛んな声は聞こえない。だいたいが老人を収容しているため、どこか重苦しい空気も感じられる。

「今日呼んだのは他ではないわ。彼のことよ」

 麻由美が迷うことなく歩みを進める。途中で看護師とすれ違う度に女医としての顔を見せているが、穂高にとってそれがなんだか新鮮に見えた。

「この頃リハビリをサボり気味でね。こっちも困っているのよ。親御さんにも申し訳ないし。それよりもね、なんだか彼が落ち込んでいるようにも見えて……」

「宝来が?」

「そう。樹君も来てくれないし、寂しがってるんじゃないかと思って。だから今日は拓美を使って君を呼んだの」

 そこで穂高は少し引っかかるものがあった。

「俺もって、それ……」

 穂高の追求は、目的地に着いてしまったことで飲み込む他なかった。

 表札には「宝来海斗」と書かれている。

「私はまだ仕事があるから。……頼んだわよ」

 肩にぽんと手を置かれる。

 この手は人を救う手だ。これまでもこれからも、何十人何百人もの人を救うのだろう。


 ふと、御影が頭を過った。


 同時に、拓美の言葉も記憶から蘇る。

『……御影ちゃんが優秀なのは知ってるけど、女の人で医者は辛いよ』


 麻由美の背中は、なぜか大きく見えた。




 ノックを2回。 しかし返事はない。

(寝ているのか)

そっと病室のドアを開ける。滑りのいいスライドドアは少しの力で開けることができた。

 電気は点いてないない。しかし月の光だけで十分部屋が見渡せる。

 まず目に入ってきたのは、窓枠に収まった雪景色だった。風と共に冷気が穂高の体を包み、ブレザーの上から腕をさする。風に揺れるカーテンはおろか、壁やベッドまでもが真っ白で、外と同じく室内も雪に覆われたような感覚に襲われる。



 そして、そこにある光景に釘付けになった。



 清潔なベッドの上にいる、ひとりの青年。

 窓を眺める瞳は憂いを帯びていて、知らずと胸が締め付けられる。輪郭や睫毛は月明かりに縁取られていて艶やかだ。冬の風で揺れる髪は漆黒の文字が相応しい。耳にはこの情景とミスマッチな青いコードのイヤホンをしている。

 思わず、神秘的という言葉が頭に浮かんだ。

 まるで絵画のような、とてもこの世のものとは思い難い。それほどまで、その青年は浮世離れした美しさがあった。

 そしてその青年が穂高に顔を向ける。

 視線が衝突し会うと、青年は途端に目を細めて口元を綻ばせた。

「やあ樹、いらっしゃい」

 その青年、宝来海斗の雰囲気にはどこか繊細で儚い、そんな特別な空気を感じさせる。初めて会ったときの印象は、今もまだ健在だった。

「おう、久しぶりだな」

 宝来はイヤホンを外し、ベッドの側にある椅子を指差した。

「どうぞ座って。それにしてもひどいよ樹、こんなに間を開けるなんて。僕嫌われたかと思ったよ」

 穂高は電気を点けて、指示通り椅子に腰掛ける。

「悪い悪い。ここのところ生徒会とか部活が忙しくてな」

 むっとした表情を隠さずに不機嫌を露わにする宝来を見て、穂高はやっと自分と同い年であるとこを思い出した。

「いいなー学校。僕も行きたいよ。試験だけ受けて進級って、なんかめちゃくちゃだよね。どうせなら部活もやりたいし、体育とかもやりたいのになぁ……」

 宝来は高校入学時から入院生活をしており、在学してはいても授業に出席したことはなかった。そのため、知っている友達は片手で数える程しかいないらしい。

「親御さんがどうにかしてくれてるんだろ? ありがたく思えよ」

「宝来家の次男が高校も卒業してないんじゃ、話にもならないからね」

 宝来は苦笑混じりに方をすくめて顔を横に振る。

「金持ちは大変だな、体裁とか気にしなきゃなんねーもんな」

 穂高は飾ってある写真を手に取った。それは家族写真だった。場所はこの病室で、宝来とその両親が写っている。父親は温厚な表情で、母親は着物を纏っており、どちらも気品の溢れる様子だった。

「でも、父さんと母さんには感謝してるよ。こんな僕のために、いい病院を用意してくれて。まめにお見舞いにも来てくれるし……許嫁も選ばせてくれたしね」

 悪戯っぽく笑う宝来と目があう。穂高はさっき麻由美と話していて引っかかったことを、本人に聞いてみようと思った。

「なぁ、麻由美さんと話してて気になったんだけど、許嫁もここのところ来てないのか?」

 すると、宝来の笑みが崩れた。途端に俯き、声のトーンを落とす。

「うん……なんだか学校が忙しいみたいでさ……」

「う……」

 穂高は半ば予想していたとはいえ、ここまであからさまに落ち込ませてしまうとは思っていなかった。慌ててかける言葉を選ぶ。

「ま、まぁ学期末は何かと忙しいしな! 仕方ねーって!」

「うん……」 

 重い空気が病室を占めていく。

(き、気まずい……)



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