episode3
穂高や御影が通う高等学校は、地域全体から見てもトップレベルの進学校だ。教育に熱を入れる反面、部活動も毎年成果をあげている。
穂高が主将を務めるサッカー部もその一つだ。去年は惜しくも全国大会出場を逃してしまったが、近隣の学校の中では敵なしの実力を持つチームだ。
そんなサッカー部の週末練習は、今日だけいつもより騒がしかった。
「と、泊まり? あの御影千花の家に?」
副主将の野崎潤がペットボトルを持つ手をわなわなと震わせながら、驚愕の表情を隠せないでいる。丸坊主の頭は頭皮の汗がよく見えて、まるで冬を感じさせない。
「へー。御影さんて彼氏でも家に上がらせないのかと思ってた」
尾形拓美の男のくせに丸々とした瞳が、意外そうに瞬きをする。穂高や野崎が半袖短パンでいる中、マネージャーの彼はウィンドブレーカーの上に厚いコートを羽織っていた。
野崎と尾形は、穂高と共に生徒会の書記と会計を務めている。そして話題の種の御影千花は、1年生にして副会長の座についている。
生徒会では淡々と無言かつ無愛想に仕事をこなす彼女が、学校で1、2の人気を争う穂高と交際を始めたと聞いたときは、2人は開いた口が塞がらなかった。
「俺も正直言ってびっくりだ……」
しみじみと外泊の件を語る穂高だが、この男は俗に言うイケメンという類に入る顔立ちだった。加えて勉強もスポーツもできるとなると、世間の女子からの羨望の対象であることは言うまでもない。そのおかげで御影に良くない感情を抱く輩も少なくなかった。
そして今回は外泊ときた。
(こりゃまた御影の敵が増えるなー)
野崎は隣にいる穂高を横目で見ながら、後輩のことを気遣う。
「で、えっちでもしたんですか」
ふと、穂高の後ろから声が降ってきた。その声は男にしては少し高い。だが穂高にとってはよく聞く忌々しい声だった。
「俺の御影さんの家に泊まって御影さんの作ったご飯食べて御影さんと一緒の布団に寝て、えっちでもしたんですか」
「……坂下、何の用だ」
穂高の背後に立っていたのは、穂高の1つ歳下の坂下悠だった。いつもの可愛らしい風貌は見る影もなく、軽蔑の眼差しでベンチに座っている穂高を見下ろしていた。
「樹先輩のへんたーいえっちーさいてー」
気の抜けたような声音で坂下は穂高を責めた。その度に赤茶色の癖っ毛が揺れる。
「こら悠、やめろ。先輩に向かって失礼だろ」
そんな坂下を静かに制したのは、長身の杉村和だ。眼鏡の奥の黒を黒で塗り潰したような瞳が、申し訳なさそうに穂高へ向けられる。
「すみません穂高先輩。悠がいつもいつも……」
「いやもういい。慣れた」
穂高は振り返ることさえも億劫になり、背を向けたまま手をひらひらと振る。
坂下悠は何故か御影を気に入っており、こうして穂高に突っかかってくる。それを兄のように宥めるのが杉村の役目だった。
「なんだよ! 和の馬鹿! 御影さんがこんなチャラ男に食われたかも知れないんだよ! 落ち着けない!」
「チャラ男って誰のこと言ってんだよ……」
「あんたのことですよ樹先輩!」
2人の言い争いというより坂下の一方的な絡みを止めたのは、笑みを絶やさない尾形だった。
「はーいストップ。坂下くんここサッカー部ね? 部外者は即刻立ち去って欲しいんだけど?」
にこやかな笑顔に釣り合わないような、不穏な雰囲気が彼の言葉に感じられた。坂下は自分よりも背が小さい尾形に、ビクリと肩を震わせる。
「ほら、拓美が怒る前にとっとと……」
「悠に否があるのは認めます。すみませんでした。でも、ちゃんと要件がありますので」
杉村は穂高に食い気味で坂下を庇った。そして提げていたバッグからタッパーを取り出す。中には檸檬の輪切りが泳いでいる。
「これ柳田先輩からの差し入れです。あと伝言を預かってきました」
そこで萎縮していた坂下がベンチを乗り越え、穂高の前に立った。
「伝言! 来年の創立祭と文化祭、俺もバンドのメンバーになりましたから!」
びしっと人差し指を穂高の鼻先に当てる。そしてにかっと人懐っこい、いつもの坂下の笑みを浮かべる。
「…………は?」