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彼女  作者: 長門 郁
第一章
3/17

episode2

「ラッキーでしたね。大雪のおかげでこうしてあたしが作った朝食にありつけるんですから」

 昨晩の大雪のせいで、自転車通学の穂高は徒歩か交通機関の利用をするかの二択を迫られた。無論後者を選んだが、バスはおろか電車さえも運転中止になってしまい、仕方なく御影の家に泊まらせてもらっていた。

(そんで、なりゆきでやっちゃった訳だけど……)

 2人は炬燵に入り、朝食を共にしていた。

 穂高は味噌汁を啜る。湯気の具合から、この部屋がいかに寒いかを表していた。

この部屋に御影千花以外の住民はいない。彼女は16歳にして一人暮らしをしていた。しかも仕送りらしきものは全くなく、その名の通りひとりで生計を立てている。そのため常に余裕はなく、炬燵はあっても暖房などの恩恵に預かることはないらしい。

「なんですか、キョロキョロして」

 御影は部屋を見渡す彼を一瞥し、整った長方形に切り揃えられた卵焼きを口へと運ぶ。

「もしかして穂高先輩。何か見えましたか」

「は? 何かってなんだよ」

 穂高は味噌汁が喉を通り、胃に蓄積されていくのを感じた。じんと奥から暖められるような感覚に息を吐く。

「妖怪とか幽霊とか」

 御影の意外な言葉に、穂高の箸は解した鮭を取り逃がす。

「……お前そういう類のもの信じてんのか」

「いえ、幽霊は信じてませんが……ここ、出るらしいので」

 淡白な御影とは対極に、穂高はひっ、と微かな悲鳴を上げる。味噌汁の水面が揺れた。

「噂ですよ。ですがそのおかげでここの部屋だけ曰く付きなので、家賃も激安なんです」

 確かに一人暮らしにしては広い方かもしれないと、穂高はまた部屋を見渡す。華の女子高校生の部屋とは思えない質素な雰囲気に、言葉を無くす。部屋の外はようやく日の出の光が見えてきていた。

 そして、ふとある疑問を投げかけた。

「お前、親御さんは?」

 瞬間、御影が茶碗を置く。

 その音は穂高の耳に違和感を植え付けた。

「故郷にはいますよ。もう会いませんが」

 御影は始終無表情だ。しかし声音が追及を拒むトーンへと変化している。穂高はそれ以上の質問を止めた。

 暫し、静寂が訪れる。

 穂高はちらっと前にいる彼女を見つめる。

 伏し目がちに行儀良く食事をしている。髪はボサボサのまま無理やり1つに纏められていた。無愛想で、お世辞でも可愛らしいとは言い難い顔立ちだ。

(本当、可愛くねー……)

「何ですか、穂高先輩」

 その強い眼光が穂高を捕らえる。凛とした鋭い目つきに目が離れなくなる。

「いや、味噌汁美味いなって思って」

 そう言い、また味噌汁を啜った。

「よそいましょうか」

 無言で差し出された茶碗に、御影は少し表情を緩めた。

「気に入ってもらえたようで、嬉しいです」

 キッチンへと御影が消え、熱々の味噌汁と共に帰ってきた。

「毎日これが飲みてーな……」

 そう言って、穂高は激しく後悔した。本心からの言葉だったが、これではプロポーズしているみたいだと、顔を上げられなくなる。

「何を言っているんだか」

 案の定御影は呆れたようなため息をついた。彼女はこの手を言葉を嫌う。穂高は恐る恐る視界に彼女を入れると、

「毎日ここに来るつもりですか。それとも毎日あたしを呼ぶつもりですか」

 全く違う方向の意味に取った彼女が、やはり呆れたように笑っていた。




 玄関を開けると、部屋の空気とは比べ物にならない程の冷たいそれが襲ってきた。穂高は思わず扉を閉める。

「無理無理出られない出たくない」

「情けないですね。あたしももうバイトに行くので、早く出て行ってください」

 心底寒そうな穂高に、非情な言の葉が降り注ぐ。

「このままじゃ部活に遅れますよ。部長が遅れたんじゃ話になりません」

「ごもっとも……」

 ネックウォーマーに手袋、防寒着まで着込み完全防備だが、寒がりな穂高に冬の雪道は堪え難いものがある。

 意を決して再び扉を開けようとするが、後ろの彼女に背を向けると、なぜか体の芯が疼いた。

「御影」

 穂高は御影を引っ張り、その腕に抱きしめた。彼女の体温が伝わってくる。

「今日はよく触りますね」

 御影も抵抗せずに、身を任せている。

「……昨日あんだけくっついていたから、少し離れると、なんか変な感じするんだ」

 穂高は昨夜のことを思い出した。寒い空間で、徐々に上り詰めていく体温と感情が行動として現れ、御影の裸体を貪った。

 髪を撫で、頬に唇にキスをし、首筋や乳房に舌を這わせ、そしてめちゃくちゃにしてしまった。

 思い出すだけで、心臓が1人で走り出す。

「……穂高先輩」

「名前。ちゃんと呼べ」

穂高は強い口調で御影をいなした。少し間を開け、御影が口を開く。

「樹。……先輩」

 渋々といった具合の彼女は拗ねたように穂高を見上げた。

 ただ名前を呼ばれるだけで、穂高は頬を染める。そして彼女にキスをした。

「じゃ、また明日学校でな」

 穂高はそう言い残し、今度こそ御影の家を出ていった。



「さみ……」

 ネックウォーマーを鼻まで持ち上げ、耳も隠れるように顔全体を包んだ。

 雪はもう止んでいたが、積もりに積もったそれは純白の道を作り上げている。何もないそこに自分の足跡を残すことに、妙な快感を覚えていた。鼻歌交じりに歩を進めていく。

(この雪のおかげで一時はどうなるかと思ったけど、御影の家に泊まれた訳だし、結果オーライか)

 しかし穂高自身、セックスにまでことが運ぶとは予想していなかった。疚しいことはしないと決めて家へ上がったのだが、愛しい彼女の前には穂高の理性は意味をなさなかった。そして何より、御影が拒絶しなかったことが意外なことだった。

「いや拒まれても傷つくが……」

 誰もいない道中、独り言をもらす。

 太陽が登り、雪に反射して穂高の目を刺激している。眩しさに思わず目を細くした。

「何より驚きなのは、処女じゃなかったってことか……」

 彼の独り言は虚しく雪に吸い込まれていった。




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