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彼女  作者: 長門 郁
第二章
12/17

episode1

 雪が踊っている。

 そのリズムはタンゴのように荒々しくもあり、ワルツのように軽やかでもある。 遠慮を知らない彼らの舞踏会は、人々の足場に純白のベールをひき、やがて人々に汚されていった。 冬が、雪が、本格的に猛威を振るってきた夜だった。


 次の日の朝、穂高はネックウォーマーで鼻先まで隠しながらも、ポケットの中の手を震えさせた。

「さっみぃ……」

  新年が始まり、初練習へ向かう途中で、穂高は何度もその言葉を繰り返す。雪が降っているのに練習とは、穂高は練習日を決める緒方に物申したくなってきていた。

 自転車は使えないと判断し、徒歩で学校を目指す。通りにいる人は皆無だ。影すらない。

 ただ、白い世界だった。 穂高の足跡だけが黒く、やがてそれもただの白い窪みへと変化していった。 彼の頭には雪が重なり白色を濃くしてゆく。 白く白く、彼もまた白くなっていった。




 おかしい。誰もいない。なんでだ。

 使い慣れたグラウンドは雪に覆われ、俺の知っている場所とはかけ離れてしまっていた。普段なら誰かしら自主練しているはず、いやその前にこの雪をどうにかしているはずだ。

 もしかして体育館にいるのかもしれない。そう思いたって、俺は体育館へと向かった。

 しかし予想ははずれ、バスケ部だけが汗を流している。何人か友達にサッカー部のことを聞いたが、聞きたかった答えは返ってこなかった。もしやと思い、緒方に連絡を入れると、

「あれ? 樹にメールしてなかったっけ? 今日は休みだよ」

と呑気な、ついでに眠そうな声が俺に悲報を告げる。なんとも言えない俺に変わってバスケ部の連中が罵声を浴びせた。寝起きの耳元にはいい刺激だろう。

 なんのために寒さに耐えながら歩いて来たのかと肩を落としていると、女子バスケ部の友達が年明けの挨拶にと数人顔を見せてくれた。久々に会う友達のおかげで、俺のテンションも右肩上がりになってきた、ときだった。

 その中に、

「……」

無言で俺を見る目があった。

 視線を感じそちらへと意識をずらす。だいたいその人物には見当がついていた。

「……樹くん」

 やっぱり、堂本江奈だ。

 でもおかしいな、まだその奥からも視線を感じるんだがーー

「あけましておめ」

「ほーだーかーいーつきせーんぱーい」

 堂本の細い声を遮って、女子バスケ部の中から小生意気な音が耳に入り込んできた。途端に視線の主もこいつだと理解する。久々に聞いた声なのにもううんざりした心持ちにさせられた。

「新年早々お前に会うなんてな。幸先悪すぎる。できれば今年中に進学決めたかったんだが? 坂下よぉ」

「ひどいっすよー先輩。俺なんか先輩がハーバード大学にでも合格してできるだけ遠くに行ってくれますようにって初詣でお祈りしてきたくらいなのに!」

 坂下悠は相変わらずヘラヘラと俺に嫌味を吐く。年が変わっても、こいつのこの態度は変わらないんだろう。そう思い、俺は今年初のでかいため息を吐いた。

「そういえば先輩、冬休み中は御影さんに会いました?」

「え」

「……もしかして会ってないんですか?」

 俺の背中に冷や汗を感じたことは、言うまでもない。




 事情を聞いたところ、坂下はバスケ部の助っ人として練習に参加していたらしい。もっとも、女子からの人気が高く、男子ではなく女子バスケに引っ張られて行ったらしいが。

(いやでも、堂本のこと上手く遮ってくれて助かった……)

 堂本は去年同じクラスだった仲だが、今ではまともに顔も見られないほど、俺は彼女に対して苦手意識を持ってしまっていた。

「あんなことなければなぁ……」

「あんなことって?」

 ああそうだ、忘れていた。坂下がいたんだった。

 あの後、俺は帰る気が失せてバスケ部の練習に参加したり見学したり、坂下と1on1をしたり……結果は俺の惨敗だったわけだが。

 そして、昼も過ぎた今は生徒会室にきて坂下の監視をしている。

 勝負に1回も勝てなかった俺は、坂下の生徒会室に入らせろという要望に応じて部屋を開ける羽目になった。部外者を勝手に入れて、放って帰るわけにも行かず、そのまま課題を片付けている坂下を眺めているという状況だ。

 図書室に行けと言っても、本人は埃っぽくて好かないらしい。

「あんなことって?」

 坂下がもう1度問うた。

「お前には関係ない。さっさと終わらせて家に帰れ。てか家でやれよ」

「今プチ家出中でーす」

「お前な」

「それより当ててあげますか。あの女の人でしょ? ずっと先輩を見ていた」

 十中八九、堂本のことだろう。


「俺あの人知ってます。……りさ先輩をいじめてた人、でしょ」


 その一言で、俺の嫌な記憶がふつふつと湧き出てきてしまう。大雨が傘を持たない俺を攻め立てるように、俺は行き場のない焦りを感じ始める。記憶は脳内をじんと痺れさせた。

「知ってんならわざわざ俺に言うなよ。煽るのもいい加減に……」

「それと御影さんにちょっかいを出していた女」

 その声、いやその音は隠しようのない悪意が込められていた。俺はぎょっとして坂下を覗き込む。

「でしょ? 先輩?」

 しかし等の本人はケロっとしている。普段の坂下だが、だからこそ「女」などという言葉一つ一つが気にかかった。

(どうもこいつは、御影のことになると性格が変わるんだな……)

「そうなるらしいな。……俺はよく知らねーけど……情けない話……」

 俺としては、否応なしに思い出したくないエピソードのトップにランクインしてしまう思い出だ。口は無意識に開かなくなる。

「イケメンは辛いですねー、そんで片想いの女の子は怖い恐い。別れさせるために、嫌がらせに暴力に傷害事件まで起こしちゃうんだから」

 冬だというのに、あの暑い夏に戻ったような感覚に落ちた。くらりと頭が揺れたと思ったら、反射的に腰を下ろしていた。さすが俺専用の椅子。上手く俺の身体をキャッチしてくれた。校長室出身のキャリアは伊達じゃないな。

 俺は、重い身体を柔らかい椅子に完全に委ねてしまっている。

「障害事件、か……」

 目を閉じた。りさの声が脳に蘇り、そしてリフレインする。



『樹、あたしね。……もう樹とは一緒にいられない』




▼     ▼     ▼     ▼





 あの蒸し暑かった半年前の夏。迫る体育祭の準備を生徒会役員総出で進めてきた。

 ある日の会議に、御影だけ来なかった。すっぽかすようなやつではないと全員が分かっていたから、なにか事情があるのだろうと皆が思い、気には留めなかった。

 会議が終わって部活に行こうとしたとき、御影が現れた。会議が長引いたおかげで、日が最高に長い時期だというのにもう空は橙色に染まりつつあり、廊下に伸びる彼女の黒い分身は異様に長かった。

 なにをしてたんだ? と問うと、

「少し、嫌な予感がして」

御影は申し訳なさそうな素振りは見せず、変わりに怒りの感情を俺に伝えてきた。いや、怒りというよりも「憤り」といった表現の方がしっくりくる。眉間に寄ったしわ、力の入った肩、感情の波が静かな御影からは想像もできないような状態だった。

 よく見ると、彼女の制服や頬に血痕があった。

 なにがあった? と、俺の言葉を待たずに、

「……すみませんでした」

御影は深々と、俺に頭を下げた。




 黙って御影の後を追った。御影からの言葉はいつも以上に少なくてなにがなんだか把握できない。しかし、とてつもなく嫌な予感がしていた。得体の知れない不安が蔦のように俺の足に絡まってくる。

 御影が南校舎裏で立ち止まる。体育館からもグラウンドからも、ここは見えないだろう。来る途中には吸い殻がいくつもあった。今は使われなくなった名ばかりの体育倉庫があるこの場所は、どうやら一部の不良がたむろしているらしい。今では体育館の中に倉庫が設計されたため、誰もここには来ない。絶好のポイントなんだろう。

 吸い殻の他に、血の塊が目に飛び込んでくる。非日常を目の当たりにして動揺している俺には頓着せず、御影は倉庫の中に入って行く。

 「……は」

 中は埃っぽい空気が充満していた。その中心にりさを見つけて、俺は言葉を落とす。


 りさ、そう呼びたかったのに。ただそう呼んで駆け寄りたかったのに。


「ごめんねぇ樹、今まで隠してて」

 りさは俺を見上げて笑っていた。そんな彼女にあるはずの肩にかかるくらいの焦げ茶色の髪は切り離されていて、彼女を囲むように散乱していた。

 頬には涙が伝ったところに土埃が付き、服も乱れていた。怪我をしているようには見えないが、ここで何者かに髪を切られたことはすぐに分かった。理解はしたが、あまりの衝撃に声が出てこない。

 隠してた? 俺に? なにを? なぜ?

 ぐるぐるととぐろ巻く感情はりさを気遣うことができなかった。

「ごめんね、樹」

 その先は、嫌でも予想できた。当然の報いだ。


「樹、あたしね。……もう樹とは一緒にいられない」


 嫌がらせに耐えているりさに気づけなかった、俺のせいだ。




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