雛菊の冠
「道なりに走って! ウィル、道から外れないで家と逆に向かって! レアが対処をわかってるから、はやく!」
「デイジー!?」
「トカゲが鳴いたの。規律違反だわ!」
エラー?
空は青い。放り出された桶と貝。
ぎーぎーと高く緊迫感を醸し出す鳥の声。
トカゲ?
「道から外れちゃダメ。昼のトカゲは道から外れたら攻撃してくるから!」
背中を押される。
デイジーは岩場から海を睨んでいる。
「後から行くから、先に行って……」
ドンと突き飛ばされる。
茂みを越えたそこはデイジーの家へと向かう道。逆に進めばレアの家があるとデイジーに教えられていた。
「デイジー、邪魔するの?」
それは聞き覚えのある声。
「ローズ……」
呼吸が、止まるかと思った。
頭の中を駆け巡る振り回される鉈の鈍い反射。死にたくない。でも、デイジーを置いていっていいと思えない。
ぎーぎーと聞こえる甲高い声。
二人が会話していてもそれは僕には聞こえない。
茂みの向こうを見ようとしたら背後で空気が鳴くヒュッという音が聞こえた。
踏みならされた細い道の上を転がる。
短い頭髪。ぎょろりと張り出した目。捩れた四肢。腕から生えた白い刃が異質だった。
ぎーーーーーーー
ソレが鳴いた。
口の中に並ぶ牙。
なぜかこっちには来ず、茂みの中でソレは鳴いた。
「ふっ……ぁ、こ、これが、トカゲ?」
その瞳は警戒色。
僕はデイジーのところに戻れない?
後退りしたら、遮るように別の個体。と言うか、道を挟んだ両方の茂みからは気配がざわりとある。何匹いるのか。
ぎーぎーと鳴く声が正気を削り取っていくような錯覚を感じる。
甲高い少女の哄笑。怒鳴り声すら掻き消える。
そんな動けない状況で、ふっと鼻につく鉄錆の匂い。耳に届くひぅひぅと空気の漏れる音。
緑の張り出した目。捩れた四肢を操り、ずりずりと移動する。砂と石が傷つけているのか動きは鈍く見える。腕から刃は生えていない。
「あ?」
彼女は道にいた。そしてスッと道の向こうに消える。
「まっ、待って」
違うなんて考えられなかった。館の天井を這っていた彼女だ。
僕は彼女を追う。
この時点で僕はローズとデイジーを忘れて、ただ、ただ彼女を追った。
彼女を追って進んだ道の先に吊り橋がかかっていた。
橋の中ほどで何かに気がついた。それは空を焦がす煙。それが妙な緊迫感を呼び起こす。
煙は振り返った道の先から立ち上っていた。
ぎーぎーと鳴く声が減っている。
空を焦がす黒煙。
デイジーの家が燃えていた。
「早くっ! 橋を渡れ! 渡り切れ!」
それはいつか聞いた声。
外を目指せと言った言った声。
声に引かれるように橋を渡りきる。
橋の向こうからゆらりと影が現れた。
長い髪。揺らめくスカート。
「……おいついた」
柔らかな微笑み。影で暗く黒く見えるふわりとしたワンピース。若葉色の瞳。さらさらの黒髪。
ローズ。
がさりと茂みから手が伸びる。捩れた細い彼女の手。
その手はつり橋を支える物を断ち落とす。
「どうしてあなたたちはジャマするの!?」
ローズが鉈を振り上げる。それでもそれを彼女に振り下ろすことはなかった。
ゆっくりした動作でローズは自分の胸元から生えた金属の棒を見下ろす。
ローズの後ろで棒を捻じ込むデイジーがいた。
「ど、……どうし……て?」
デイジーが顔を上げ、即座に下げる。
「早くレアのところにいけぇええええ!」
ローズの言葉をすべて掻き消そうと言わんばかりにデイジーは声を上げる。
ハッとする。
止めなくては、と。
手を伸ばしても安定を欠いたつり橋は突っ込んでいくローズとデイジーに耐えかねて崩壊していく。
「デイジー!」
つり橋のかかる谷。いや、かかっていた谷を見下ろす。
ローズとデイジーはまだ落ちきってはいなかった。
目視できる姿。それは紐が絡み、吊るされた痛々しい姿。
ぎーーーーーーーーーーーーーー
甲高いトカゲの鳴き声。
呆然と僕が見守るその前でトカゲたちは少女達に追い討ちをかけるかのよう二つり橋を解体していく。
焦るように瞳を見開くローズ。その状況だというのに振られた鉈は強い威力を持っていたのかデイジーにめり込む。
あまりの状況に反応できず、それなのに目が放せない。
ぶつん
トカゲと呼ばれた異形の女たちがつり橋の解体を終えた。
胸に金属の棒を生やしたローズとデイジーが落ちる水音が響いた。
ぎーぎーと彼女たちはさざめく。
そして茂みに消えていく。青い目のトカゲ達。
デイジー。
僕は君に何も返せない。