目覚め
どこか調子の外れた歌声が聞こえる。
ゆるゆると浮上していく意識に少女の声が聞こえた。
「大丈夫?」
なんだか前にもあったような状況、僕は目を開ける。
ゆっくりとまわる天井ファン。押し開けられた窓からは陽の光が差し込み、ぬけるように青い空が広がっていた。
外から聞こえるのは潮騒。一種でない鳥の声。子供の歓声。馴染みのない音だった。
「アンタ名前はー?」
覗き込んできたのは青い瞳。
「……覚えて、ないんだ」
「ふぅん。じゃ、ウィルでいいね」
青い瞳が離れ、金の残像。
ウィル?
当たり前に呼ばれた馴染みのない名前。
「男の人だし、ウィルかビル。どっちがいい? あ、あたしはデイジー。似合わないなんていったら撲るから」
手と手がぱしんと打ち合わされる音。
「ウィル、で」
ローズとは違う元気さと勝気さ。
「了解。海で溺れてたところをあたしが助けてあげたのよ。元気になったら恩返ししてね」
離れた彼女の全身を見る。
金の髪は肩につくかつかないかで乱雑に切られて、白い肌。黒のタンクトップ。オリーブカラーのジーンズ。傷跡だろうか? 手足には薄く色の違うラインが走っている。
「レアに食べ物もらってくるから面倒な動きは遠慮してねー」
「レア?」
「食料を分けてくれる未亡人よ」
彼女の声が遠ざかる。
ここには他にも人がいるのだと思う。
まるであのローズの島が夢のような心境にかられる。
いや、現実じゃなければ、彼女が存在しなくなる。歪みねじれた彼女。僕が共にありたいと望んだ彼女。
毎夜、彼女にあえる安心感を覚えたんだ。それを特別だと思った。だからこそ、それを失っても構わないものだなんて思いたくなかった。
名前なんか知らない。名前があったのかもわからない。それでよかった。
僕にも名前なんかなかったから。
ローズは名前なんかなくても気にしなかった。
「会えない」
きっと。ここは館じゃないから。
もしかしたら、夢、だったんだろうか?
「外を目指せよ」
デイジーとは違う声に僕は気持ち慌てた。
「窓の外だって」
低く笑う声。
「あんたは良くなったら外を目指すべきなんだよ。住めば都。楽園か地獄か。あんたには判別する基準がない。誰に会いたいのか、知らないけどな」
起き上がろうと力を入れて走る痛みに息を呑む。
ローズに鉈をふるわれた時に避けそびれてできた傷。
ローズは僕を殺してやり直すつもりだった。
彼女はやり直せたのだろうか?
僕がいなければやり直せるというなら僕をでていかせれば良かっただろうに。思いつめた彼女が彼女らしからぬ行動を選択した理由が僕にはわからない。
「そろそろデイジーが帰ってくる。オレと話したことは黙っていたほうがいい。じゃあ、運が良ければまたいつか」
痛みに固まっているうちに遠ざかる声と足音。逆方向から聞こえる鼻歌。なんだかずれてる気もするけど、聞き馴染みのない鼻歌でわからない。
ファンがゆっくりと回っている。
ここはどこなんだろう?
ローズの島からは他の島影なんか見えなかった。
全方向を確認したわけじゃない。
それでも複数の人間が住む島が生きて辿りつける場所にあることが信じられなかった。
ローズは外への連絡手段は知らなかった。僕には確かに判別する指標が何もなかった。
「ただいまー。胡桃入りのパンと玉蜀黍のパン、どっちがいい?」