風の分岐点
意味を理解して、音を出すのに時間がかかった。
「僕が、なにか?」
サラは興味深げに見つめてくる。くるくると毛先が舞い遊んでいる。僕の意識がそれてると思うと、不機嫌そうに答えを急かす。
「そうよ。ウィル。あなたはだぁれ?」
問われて僕は僕の中を探す。
答えを。提示すべき僕の答えを。
考えて、探って、答えは、出せた答えは……。
「お、覚えてない。違う! ないんだ! それなのにある……。だから、だから、わからなくなるんだ! ウィルはデイジーがくれた名前で。元の僕の名前なんか僕は知らない」
僕はいったい何?
この疑問はどうしても抜けない。
ああ。ローズは僕じゃなくて良かったんだと意識が過ぎる。
違う。
彼女たちはこうして目覚めた人間に、異性に恋するように生まれているんだ。
そう、ローズだけじゃない。僕を必要としていないのは。みんな、僕じゃなくても良かったはずなんだ。
そんな彼女達に対応するにしては、僕は明らかに欠陥品だと僕は僕に評価を下す。そしてそれを受け入れることが出来ない僕もいる。
「そこにあるあなたはどんなあなた?」
……ある、僕?
僕はサラが問うままに、浮かぶ言葉、光景を考えなく音に変換していく。それは、浮かぶ記憶であって、僕ではなかったけれど。僕が思い出せるのはそういうことだった。
「僕が、僕が思い出すのはアスファルトやコンクリート。そそりたつ高層建築。自然公園。学校。電車。高架下を流れる川。会議室。病院施設に大量の本。赤い髪の少女に、ねえさん……」
ひゅうっ吐息が詰まりそうになる。
振りかざされた……きょうき。
排斥される哀しさと道半ばで手折られる絶望。それよりも、僕を見ていた瑠璃色の瞳。
掛けられたタオルケットを握る手が震える。
ビーの説明が、そしてヴァイオレットの説明が、正しいのなら、これは陽が届かなくなる前の世界で起こった記憶。
「僕は……」
息が詰まる。思いもよらない絶望が流れ込んでくる。
『姉』に拒絶されたことがどこまでも苦しい。
混ざる。
『姉』からの拒絶と『彼女』の感情の凍りついていく瞳。
守りたかった。
彼女が、姉が、彼女達が嬉しそうに笑っているのが、僕は好きだった。ほどける笑顔が好きだった。
見せまいとする哀しげな色は見ないフリをした。見ないフリを僕は得意としていたから。
でも……、それは、僕?
「絶望してる?」
くすりと笑い声と、その言葉に僕は引き戻される。
サラが空中に座って僕を見下ろしていた。
「絶望……?」
何に絶望するというんだろうか?
わからないことなんかは今更で、ローズとの出会いというスタート時点から生きてさえいれば幸運だという認識はあった。
哀しいし、つらい。わけがわからなくて怖い。
それでも、僕の中でそれは絶望、すべての道が見出せないのかといえば違うと思う。
だから、余計なことを勘ぐってしまう。
「サラは、僕に絶望していてほしいの?」
僕はどうしてサラに対してこういう見方をするんだろうか?
サラはきょとんとしてから空中でくるりとターン、くすくすと楽しげに笑う。
「そんなことはないわ。……でも、思うところはあるの。誰にだって望みはあって、それは人それぞれ異なるものだとは思わない?」
僕が頷けば、サラも満足そうに頷く。
「わたしの望みはね、こうやってあなたとおはなしを進める事で叶うのよ。いくつか望む道がある。あなたの答え次第でどの道を選ぶのか揺れるわ。だから、もう少しおはなししましょう?」
「ね?」っと、首をかしげて、サラは僕の額に自らの額をコツリとあてる。
視線は近い。まつげが重なり合いそうなぐらいの接近。サラの手がタオルケットを握り締める僕の指を柔らかくほぐす。
重なる手のひら、絡められる指は温かくて、絶望はしていないけれど、哀しいわけでもないけれど、僕は、溢れこぼれる涙が止められなかった。




