蜂の刃
「ビー、ここは箱庭?」
僕の問いかけにビーは言葉を止める。
滅びかけた世界に生き延びるために用意された箱庭。
答えは、聞く前からわかっていた。
「違います」
そう、箱庭計画のことを僕は知識として持っていた。
閃く記憶から得れる情報が正しければ、ここは箱庭ではありえなかった。
サラとキラ、トカゲたちそんな生物は世界にいなかった。
それこそ映画、空想の世界だ。
「ここはなに?」
「知識の塔。法に縛られぬ場所。制止なく技術を思想を重ねた象牙の塔。それがこの小さな王国。王は造りし者。民は造られし者」
法。きっと、今は存在しないものな気がする。
僕の記憶がしるす世界は今、ないのだと感じる。それがとても怖い。心細い。
「なぜ、こんな科学力が、その発想が成されたんだ?」
わからなかった。
その科学力が滅んだ人の世界に恩恵を与えたようには見えなくて。
それを罪のように感じる僕と、納得している僕がいる。
ビーは口を開くまで数秒沈黙した。
「眠病という病気が存在します」
眠病。記憶をよぎるのは『泣かない子供』『目覚めない人』
自力で生きることのできない健康な肉体。この病気が広がるにつれて移植素体として認識されるようになった。
健康で、目覚めず死んでいく身体。
夢で見たあの情報はくっきりと知識として記憶されていた。きっかけがあれば当たり前のように情報が交錯した。
その症例が確認されると、三日の猶予を持ってその身体は移植用と認識されるのが普通だった。親族が拘る一部を除いて。
目覚めることなく自力呼吸すらできぬ発症者を生かすのは資金と設備が不足している。そんな世界が脳裏に過ぎるのだ。
「発症者は共通性がないとされていますが、実際は遺伝性です。知っていますか?」
「なにを?」
「発症者は外部に伝達手段を持たないだけで、意識を持っているんです」
ビーの言葉は淡々としている。その分、血の気が引いた。
「失うのは伝達能力だけではありません。さまざまな表現能力も欠落していきます。脳内伝達の機能が変わる影響ではないかと仮定されている症状なのです」
脳内伝達機能の変化?
「この塔を造られた創始者は比較的軽度の症状であったと記録されております。それ故に睡眠治療など、一般医療から離れた、当時における違法治療を自己の一族の発症者で確認し、対処療法を組上げられました」
ちょ!
「それなら治療法が広まっていたはずだ!」
「コストがかかるのです」
隙間になにも挟むことができない勢いで、ぶった切られた。
「治療を受けた方がいなかったとは申しません。いえ、受けた方がいたからこそ、この知識の塔は完成したのです。不干渉の王国として。さて、発症者の特徴として脳内伝達機能が健常者とは異なることがあげられます」
この説明がどこに繋がるが理解できない。
「興味を引いたことに没頭し、成果をあげるのです。わたくしの基礎を造ってくださったのは先代様です。サラとキラの特異性を見出した研究はご息女様です。小出しに売却し、強化、開発を進め、箱庭計画にもいくばくかの技術提供をしております。先代様もご息女様も今代様も重度の眠病者なのです。ですから」
ビーがすっと言葉を途切れさせる。
いやな予感がした。
「深部に向かうことは無意味なのです。あなたとは相容れることはないのですから」
静かな口調が強固な拒否を示してるように感じられた。
「彼女の名を知りたいんだ」
足掻くように僕は問う。答えが返ってくるようには思えない。それでも、聞かずにはいられない。口にして思う。僕は、どちらの名を、知りたいんだろう?
……わからない。
それでも、僕は問わずにはいられない。
ビーは静かに微笑む。
「名はご本人よりお聞きください」




