桜の下
薄暗い道だった。
背後からサラが歌う軽やかな声が聞こえる。
弟を引き止めるための歌だという。
支払う対価なんか持っていないと告げる僕にサラは笑っていた。
「退屈が溶けたから、それでいいわ」と。
過去や外を話すこともできなかった僕は心苦しかった。
「もし、また、来れたなら来てくれる?」
ゆったりしたワンピースが翻る。
「上、見ちゃダメよ」
サラの声は上から降ってくる。
「後ろも振り返っちゃダメよ。振り返れば、貴方は燃え尽きてしまうから」
それがルール。
サラは歌う。
歌声が聞こえるうちに隠れるところが見つかりそうな奥に進んで弟をやり過ごしたらいいと教えてくれた。
歌声はまだ僕の耳に届いている。
それは優しい子守唄。
薄暗い道を下って行く。木の根が絡んでいるのか、足をとられて転びそうになる下り道。ぐいっと腕が引かれた。
「走れ。奥に扉がある。猫をおびき寄せれたら開けることができるから。何があっても声を上げず、振り返らず奥を目指せ」
ヴァリーだった。
「道をわかっているのか?」
「みち?」
不思議そうな返答。
ここは迷路のように入り組んだ桜の庭の地下だろう?
「大丈夫。進める」
答えになってない答え。
「ヴァリー?」
小さな震え?
足をとられ、転びかける。
支えてくれたヴァリーを見上げた。薄暗い中僕の目が捉えたのは、悔いるような微笑み。
「俺たちが、おまえに惹かれるのは、……本能に組み込まれた反応でしかない。それでも、望むんだ」
「ヴァリー?」
ヴァリーはそっと囁く。
「一度だけでいい。呼んで欲しいんだ。ヴァイオレットと……」
フッと立ち止まって何かに耳を傾けているヴァリー。
僕は混乱する。
「ヴァリー……?」
「歌が終わった」
ヴァリーはぐいぐい僕を引いて進む。
背後で大きな唸り声が響く。
『燃え尽きてしまえ!』
迫る熱。焼ける匂い。足場がぐずつきだす。
ぎぃいいいいぃ
どこから、ではなく周囲から鳴き声が響いた。
足をとられ、転んだ僕を隠すように覆いかぶさっているヴァリー。
「静かに」
鳴き声にかき消されそうな囁き。
『うるさい! 死に損ないどもっ!!』
周囲の温度が急激に上がる。
ヴァリーは僕を押し込む。
捩れたモノが場所を開けるかのように変えてゆく。
捩れたモノが……。
「ここは桜の下。美しいサクラを育てる場所。猫は鳥を守ってる」
「ヴァリー? ヴァイオレット!?」