目覚め
じっとりと服が肌に張り付くのが気持ち悪い。
目を開けて映るのは見知らぬ天井。
黴びた古い匂い。
「あら。起きたの?」
聞き覚えのない鈴を転がすような可憐な少女の声。
きしむ体に鞭打って声の方へ視線を向ける。
さらさらと窓からの光に透ける髪、薄手のワンピース。
黴びた匂いのする暗い部屋とイメージの合わない溌剌とした少女。
透ける透明感のある白い肌。健康的な桜色の頬。クチナシだろうか? 甘い香り。
「起きたんなら着替えてね。あの奥に井戸もあるし、使っていいわよ」
軽やかな動きで少女は指示する。
指示し慣れた強気で当たり前の口調。
「私が帰るまでに準備できなきゃ置いて行くからね」
反応が返らない事にようやく動きのパターンを切り替える。
少し接近してきた少女は嫌そうに眉をひそめる。
「やだ。動けないの?」
さらりとした黒髪。若葉色の瞳。
薄紅色のワンピース。
「一晩は休んだでしょう?」
反応を返せない僕に彼女は実にめんどくさそうにため息をつく。
「仕方ないわね。人を呼んでくるから休んでいていいわ。また日が暮れてきたりしたら屋敷までたどり着けないし。待ってらっしゃい」
少女はくるりとワンピースの裾を揺らし、部屋から出て行く。
見捨てられるわけではないのはわかっているのに見捨てられるような錯覚に襲われる。
ここはどこなんだろう。
僕はなぜここにいるんだろう。
彼女は一体誰なんだろう。
疑問だけが僕の中を駆け巡る。
そして、答えは僕の中にない。
朦朧とする中、水を飲まされ、体を拭かれ、どこかへ運ばれる振動を感じた。
夕暮れ。
大きな窓から差し込む紅い日差しが部屋を染める。
「ここは……?」
「屋敷に連れてきてあげたんじゃない。感謝なさいね」
見下ろしてくる少女。
「君はダレ?」
「私? 私はローズ。この館の娘よ」
少女は名乗るとくるりとスカートを翻してカーテンを引いてゆく。
徐々に失われていく光。
暗い室内、少女がこちらを伺っている。
「勝手に出歩いちゃダメよ。何があっても知らないから。じゃあ、おやすみ」
先ほどまで寝ていたせいか眠気はこない。
すっきりと目が冴えている。
ゆったりとしたベッド。肌触りも弾力も問題がない。
体をそっと起こすとサイドテーブルに置かれたバラの置物が淡く光り始めた。
ベッドと書き物机と椅子。大雑把に見えるものはそれだけだ。
ベッドの下には敷物が敷かれており、足を下ろしても問題がなかった。
下りて五歩も行けば外に繋がると思われる扉につく。
鍵はかかっていなかった。
扉を開けた先は、通路だった。
赤い壁が迫ってくるかのような圧迫感を醸し出す。
息を呑み込みながら廊下へと足を一歩差し出す。
誰もやってはこない。
いきなり叱られることもない。
べちゃり
粘つくものが顔を襲う。
僕は慌ててそれを拭った。
鉄錆の匂い。
手に付く赤。
天井に吊るされたオンナ。
動いていた。
天井に歪んだ四肢を這わせ赤い床に赤い液体をこぼしながら。
某然と見つめているとぎちり。そんな音が聞こえそうな動きでオンナが僕を見下ろしてきた。
血の気のない整った顔立ち。短い髪。
整っている分、異様に張り出した緑色の眼球が不気味だ。
ひうひうと空気の漏れる音が耳に届く。
僕は慌てて部屋に戻った。
「ハクヤヌケナイトデテナクナルヨ」
オンナの声だったのだろうか?
そんな言葉とも鳴き声ともつかない声が耳に届いていた。
僕は急激に疲弊を感じ、ベッドに転がり込んだ。
ほのかに部屋を照らすバラの照明。
ふと視界を過った僕の手は濡れていなかった。
意識が保てず、僕は曖昧な混沌の闇に引きずりこまれて行った。
二日目の夜。
「…………とらわれて…………しまわないで…………」