噂と実状⑦
楽しい時間とは、あっという間に過ぎるものだ。
あれから個人個人と話をして、読み書きと計算の授業をして。
おやつの時間になって、レナがもってきたクッキーを子供たちと一緒になって食べている。
「レナさまお茶のおかわりいかがですかー?」
少し気取った感じでルーフが聞いてくる。
大きめのティーポットを抱えたルーフは可愛らしくて、レナは微笑みながら「お願いします」とティーカップを差し出した。
結局少し零れてしまったおかわりだったが、当のルーフは満足したようだ。
「はい、どうぞ」
「どうもありがとう」
「お味はいかがですか?」
レナは一口お茶を飲む。
王宮で扱われている茶葉とは比べ物にならないが、修道院にいたことはよく飲んでいたお茶だ。
少し渋みがあるが、すっきりとした味わいに懐かしさを覚える。
「とても美味しいわ。ルーフはお茶を淹れるのがとても上手なのね」
レナがそういうと、ルーフはほっとしたように笑った。
ふと窓の外を見ると、太陽がいくぶんか傾いていた。
まだ夜会まで時間はある。
準備に要する時間を考慮しても、もうしばらくは…、とここで気がつく。
今日夜会に着る予定のドレスは、町の庶民が利用する呉服屋に出したままだった。
【側室レオナ・フライト】のドレスが毎度違うデザインだと噂されているのはここにある。
王宮から定期的に与えられるドレスの大半を呉服屋に出して、毎度デザインが変わるように新しく仕立て直してもらっているのだ。
アクセサリーやその他の衣装の数が少ないのは、代金として受け取ってもらっているせいだ。
側室としての彼女の私財のほどんどは、王宮付きの貴族が愛用している仕立屋にアクセサリーやドレスを作らせていると噂させて、実際はこの孤児院の経営に回してしまってほとんどないのが現状だ。
レナは急いで立ち上がる。
呉服屋はこの孤児院から少し離れていて、もう出なくては夜会の時間までに間に合わない。
レナの様子に子供たちが敏感に勘づく。
「レナさま、もう帰っちゃうの…?」
ルーフがしょんぼりとレナに問う。
他の子供たちもルーフと同じことを問うているような眼をしている。
ここの子供たちは『置いていかれる』ことがトラウマなのだ。
彼らは家族に置いていかれたために、ここで暮らしているのだから。
「ごめんなさいね」
それでもレナもいかなくてはならない。
ここに残りたい気持ちは強いが、レナも本当の自由を手に入れるまで逃げるわけにはいかないのだ。
すっかりしょげてしまった子供たち一人一人にレナは柔らかく抱擁する。
「必ずまた時間を見つけて会いに来るわ。だからいい子で待っていてくれるかしら?」
後ろ髪を引かれながらも、レナはここに来たときに着替えた部屋に向かい、また侍女の制服に着替える。
早くこんな生活は脱出したいと、強く思いながら。
孤児院を後にして、呉服屋で頼んでいたドレス3着の入った大きな黒い箱を受け取る。
城に戻る頃には、道に伸びるレナの影はだいぶ長くなっていた。
孤児院を出たときよりも、太陽がずいぶん傾いている。
熟れた果実のような、少し解けたようなその輪郭は、まもなく地平線に姿を隠すぞといわんばかりだった。
黒い箱を抱え直して、少し急ぎ足で城へと戻る。
ようやく王城へと続く門にたどり着き、門兵に声をかければすぐに開けてくれた。
レナが持つには大きすぎる箱に、門兵が興味を持ったようだ。
「なにが入っているんだ?」
「ドレスです。レオナ・フライト様に頼まれまして、町にある王宮付きの仕立屋まで取りに行って参りました」
本当は王宮付きの仕立屋ではなく、庶民が利用する呉服屋だが。
噂にはもっと背びれや尾びれがついてもらわないと困る。
嘘をつくことに罪悪感を覚えつつも、嘘も方便だと無理やり自分を納得させる。
「ああ、あの側室の」
「はい、今日の夜会用のものらしいです」
「夜会か、そりゃあの噂の側室様ならしっかり着飾りたいだろうよ」
「侍女のわたくしもよくレオナ様のお噂は聞きますが、門兵さまの間でも噂になっていらっしゃるの?」
「俺らの中じゃ傾国の美女って呼ばれてるぜ」
「まあ、ぴったりな噂かもしれませんわ」
まさかその本人が目の前にいるともしらず、門兵は笑う。
レナはその様子を、それでいいのだと合わせるように笑った。
門兵に手を振って別れたレナは、少しずつ計画が進んでいると確信する。
つい嬉しさにほころぶ口元を持つ箱で隠しつつ、【側室レオナ・フライト】の――自室へと急ぐ。