吐露、のち懺悔①
レオナに与えられている世界はとても狭い。住まう離宮だけが本来側室のレオナに与えられた世界であり、加えて血族がいない彼女はよけいにその世界が狭い。とくに侍女さえも拒絶しているレオナにとって、離宮はまさに孤島と同じだった。
味方は己が望んだ通り誰も作らず、一人の友人すらいない現状。話相手といえば中庭に咲く花と観賞魚たちくらい。彼らは言葉を返してはくれないけれど、それでもいいと思えるほど孤独だった。
無論そこまで拒絶してきたのにも理由がある。この置かれた現状に、些細ながらも反旗を翻しておきたかったからだ。忘れたくなかった、与えられた理不尽とそれ故の怒りと悲しみを。唯一の故郷でもあった修道院を、そこで共に暮らしていた修道女たちを奪われた痛みと苦しみを。
そしてなによりも、己の心が怖かった。心が弱っている時期に、城の者に優しくされたらなにもかも許してしまいそうな気がした。自分の心すら信じられなかった。
ずっとこのままでいいと、頑ななままで過ごしていこうと思っていたはずなのに、しかし一瞬その壁が壊れてしまい、王城で出会った初対面の女性に心を許してしまったのが1週間ほど前のこと。リリィというその女性の、柔らかな雰囲気の態度と言葉に、不安定に悲鳴を上げ続けていた心がついに負けしまった。
もう誰にも心を開くまいと決めていたはずだった。それでも他者に縋ってしまったのはやはり、この心が弱いからなのだろう。
怖い。どうしようもなく怖い。
もう、なにもかも受け入れてしまいそうだ。ことの原因の自分を悪くないと、弱い女の一人身ではどうにもならなかったのだと、すべてを諦めてしまいそうだ。
諦めてこの生活に慣れて、国王に望まれるまま王妃になって。そうなれば子を孕むこともあるかもしれない、そのときは慈しんで育てていくんだろう。
……だけど。
心のどこかで疑問符を投げかけてくるもう一人の自分。今にも泣きそうに顔を歪めて、苦しげに言葉を紡ぎ出す。
……だけど、それでいいの?
彼女たちは、それを許してくれるの…?
朝、レオナは目の前に並べられていく朝食と、それを並べている侍女を眺めつつ。とてもいい匂いなんだけど…と、それでも一向に湧いてこない食欲にげんなりする。
今までの彼女だったら無理にでも笑って、「陛下に選ばれるための美容に」とでもいって腹に収めていただろう。けれど今はそんな必要がない。あろうことか実際に、その陛下に選ばれてしまったのだから。
リリィとの接触を機に、レオナの日常は少しずつ変化を始めていた。それはすなわち、レオナの置かれた現状が変わってきたということ。
味方など誰もいらないと望んだはずだったこの生活の中で、ふとした隙に己の弱さが顔を出し、伸ばしてくれた手を握ってしまったのが間違いなく原因だろう。己の意地が一瞬負けて、リリィという温かな手をとってしまった。
―――ああ、教会に行きたい。
祈りたい、祈りたい。浅ましい想いを吐き捨てたい。途切れかけた楔を補強したい。
並べられた朝食を前にしてもレオナが一向に動かず、それどころかどこかぼんやりしていることに気がついた侍女が声をかけてきた。
「食欲がございませんか?」
「え……」
「一切手をつけていらっしゃらないので」
「あ、いえ……」
侍女の気遣いが感じられる視線にレオナは戸惑い、曖昧に笑う。逃げるように淹れられた紅茶に視線を移し、そのティーカップを持ち上げる。申し訳程度に一口含んで、レオナは再度俯きがちになった。
数日のクライストの告白から、この侍女も本当のレオナを知っていることを知った。もともとはクライストの乳母であり、彼の希望のもとレオナ付きの侍女になったと聞く。
レオナがある程度自由に行動できるのは、彼女が裏でフォローしてくれているからだろう。レオナが王城から王都へお忍びで通っていたことも知っているであろうし、そもそもレオナがいない間を上手く誤魔化してくれていたのは間違いなく彼女だ。
そうすべてを知ってしまえば、もはや側室としての仮面を被るのも意味がないわけで。けれどずっと仮面をつけての対応をしていた故に、素の状態では侍女という職の人間にどう接していいのかも分からなかった。
もともとのレオナは引っ込み思案なほうで、人に声をかけるのも躊躇いがちになる程なのだ。
再度紅茶に口をつけ、レオナは戸惑い気味に侍女の名を呼んだ。
「あの、マリー様……」
「レオナ様、何度も申し上げておりますが、侍女であるわたくしに敬称など必要ございません」
「…ですが、いつもお世話をしていただいております」
「レオナ様は陛下のご側室にあられる方。至極当然のことにございます」
誰かに傅いてもらう生活など離宮に来てからが初めてで、侍女というものが良くわかっていないレオナでも、彼女は侍女として非常に優秀なのだろうと思う。己の仕事に誇りを持っているのが良く分かるからだ。
「わたくしにそんな価値など……」
「ございますとも。そのように下の者に対して感謝を忘れぬ澄んだ心のお持ちなのですから」
にっこりとマリーに笑顔を向けられたものの、レオナの気持ちは浮上しない。それどころか底なし沼にはまり込んだような、不快感に似た不安が全身をにじり這う。それでいて泣き出してしまいたいような、そんな衝動に駆られる。
………澄んだ心など。
けれどそれを表面に出すほどの気力もなくて、吐き出してはいけないような気もして。ただ力なく笑い返すにとどまった。