会合 ― 国王と淑女 ―
コンコンコン。
クライストは持っていた書類から顔を上げず、ただ返事を返す。太陽はとうに沈み月が高く上っている時刻、この執務室の扉を叩く者など決まっている。
規定外の労働時間である今は、国務に関して重臣がやってくることはまずない。ならば表面上のクライストの側室ら、という推測もありえない。基本的に彼女らは、月が空を上っている間は離宮を離れることができないからだ。
だいたいクライストがこの時間まで執務室に籠っていることを知っている人間は限られているわけで。なおかつ自由にこの部屋にやってこれる人物は、この城に一人だろう。
国務大臣にして、異母弟のダリルだ。大方昨日相手をしたチェスの続きでも、と狙ってきたのだろう。
扉が開き、部屋に人が入ってくる気配を感じ、クライストは口を開く。
「チェスならまた明日にしてくれ」
「まあクライスト、私が相手だと不満かしら?」
「は…?」
返ってきた言葉は想定外で、その声音すら思いもよらぬもの。目を走らせていた書類から顔を上げれば、扉のところに立っている人間と目が合った。
驚きに目を見開いているクライストに、その人物はゆったりと微笑みかける。
「お久しぶりね、クライスト」
結い上げた艶やかなプラチナブロンドに、菫色の瞳。涼やかに響くコントラルト。着ているブラウンを基調にしたドレスは派手過ぎず、落ち着いた気品を全面に引きだしている。御年49という割には、皺一つないその笑顔。よく知っている、それはもうよく知っている。
彼女の名はレイリアーナ、クライストとダリルの戸籍上の実母にあたる。また先代国王の王妃でもあり、クライストにあの手紙を寄こした張本人。そしてリリィが愛称である彼女は、あの晩レオナが茶の相手をしていた人物に他ならない。
「……お久しぶりです、母上」
「なあに、その呆けた顔は。今私が王城にいることは知っているでしょう?」
それは知ってはいたけれど。
「わざわざこちらまで足を運びいただくとは思っても……」
「貴方からの訪問を待っていたら、1年は経ってしまうわ」
「1年は言いすぎでは…」
「だって貴方、とてもものぐさでしょう?」
伊達に長いこと家族をしているわけではない。クライストのことなどお見通しなのだと、レイリアーナが笑った。
とりあえずクライストの仕事が中断されること必須だった。レイリアーナがやって来て間もなく、彼女付きの侍女もやってきてテキパキとお茶の準備をし始めたからだ。応接用のテーブルに淹れたての紅茶をはじめ、数種類の焼き菓子が並べられる。
「それで、クライスト」
「はい?」
「王妃にと望む娘が出来たと聞いたのだけど」
十中八九、わざわざ彼女がこちらまでやってきた理由はこれだろうとは察しがついていた。
向かいのソファーに座ったレイリアーナが、ニコニコと笑いかけてくる。柔らかい笑顔なのだが、なぜか逆らえない迫力があると常々クライストは思うのだ。
「あの子、なのでしょう?」
名こそ出さないレイリアーナだが、クライストはそれが誰かなのかすぐに分かる。レイリアーナが王城にやってきて接触した人物は一人、レオナ・フライトだけだと聞いているからだ。
出された紅茶を一口飲んでから、クライストは口を開く。
「そう、です…」
「本気なのかしら?」
じっとレイリアーナが見据えてくる。それはクライストの表情の変化だけではなく、その内側――…心の奥底まで見透かすようだ。
正直、あまり心地のいいものではない。
「本気です。彼女を王妃にと望んでいます」
「そう……」
「ただ、私の勝手で彼女を無理に王妃にと望んでいますので、それ以上のことは望まぬつもりです」
「それはつまり、愛情はいらないと?」
「はい。彼女には傍にいてくれればいいと、それだけを思っています」
レイリアーナは視線を落とし、まだ湯気の上がっている紅茶を取る。背筋を伸ばし何気なく紅茶を飲む仕草でさえ優雅だと思わせるあたり、さすが王妃といったところなのだろう。
音もなく茶器をテーブルに戻し、少し俯きがちにだったレイリアーナの顔がゆっくりともう一度クライストを見据える。
「ならば私は認めるわけにはいかないわね」
「え?」
「先代王妃としても、レオナの友人としても、その案に反対します」
何の冗談かと思いきや、レイリアーナが寄こす視線は至極真面目だ。
ごくりと、クライストは思わず生唾を飲んだ。
「といっても表だって何かをするわけじゃないわ。出来たとしても重臣を集めて話し合いってところかしらね」
「…………」
「貴方が本気だというならば、私も本気で止めてみせましょう」
ふふふと笑ったレイリアーナは、まるで可憐な少女のようだ。
何も知らないようなその無垢な笑顔は、彼女を知らない人間ならば騙されるだろうが、長年息子をやってきたクライストは違う。ああいった顔をしたレイリアーナは、裏でとんでもないことや厄介なことを考えていないことがないのだ。
確かに今の国王はクライストで、国の誰よりも強い権力を持っている。無論先代国王夫婦らよりもだ。けれどまだ即位して2年という若造でもあることも事実で、多くの臣下たちは先々代ほどの突飛ながらも優秀な政策ではなかったにしろ、堅実だった先代を慕っていることも事実だ。
クライストは己がまだ王として未熟ということは自覚しているし、支えてくれている重臣たちの意見は重要視している。レイリアーナはそこを突くといっているのだ。
「……そのような行動にでてまで止める理由を、お聞きしてもかまいませんか?」
「そうねえ……、聞かなくちゃ分からない、それこそが理由かしら」