会合 ― 続・側室と淑女 ―
見返してくるリリィは穏やかな笑みを湛えながらも、心の奥底まで見透かすような視線を向けてきた。その視線、目力とでもいえばいいのだろうか、溢れる威厳をしっかり感じられるほどに強いものだった。
いつもと違う雰囲気の彼女に、レオナの心が竦んでしまう。堂々と見返すことを躊躇えば、少しばかり俯きがちになるしかない。居心地が良いとはとてもいえないこの状況。そうしてふと、今のリリィが醸し出す雰囲気に、唐突に自らが仕えるべき夫を思い出した。
寡黙な国王といわれているだけあって、本当に言葉少ない夫。
そもそもクライストを夫といってはいるが、それは表現上だけだ。実際は中身のある会話など、彼からの告白以外ほとんどしたことがなかった。しようとも思わなかった。さっさと見限ってくれればいいと、そう思うことしかなかったから。
髪も瞳も肌の色さえも同じ個所はないというのに、そんなクライストと今のリリィが恐ろしいくらいにだぶって見える。
以前リリィの部屋にいたレオナをクライストが迎えに来たことがあり、なんらかの繋がりがある二人だとは思っていたが、想像以上に親しい間柄なのかもしれない。少なくてもレオナとの間よりはしっかりとした絆があると思っていいだろう。
もしかしたらこれからする会話は、リリィを通してクライストにも伝わるかもしれない。そう思った途端、急に喉が張り付くような感覚がした。一気に気分が滅入り、唇がやけに重たく感じる。
思わず唇を噛みしめたレオナとは対照的に、リリィがゆっくりと口を開いた。
「お父様というのは……、レオナルド陛下のことかしら?」
「……はい」
レオナは視線を落とし、小さく頷いた。
やはり先の言葉をなかったことにしてくれるほど、甘くはないらしい。逃げることはもう出来ないと覚悟した。
14代目フォレスタ国王、今では先々代にあたる王がレオナの父親だった。
まばゆいほどのカリスマ性を持ち、力強く国を動かしていた先々代は、現在すでに故人ではあるものの、類稀なる賢王だったと今でも語られている。癖の強い黒髪と瑠璃色の瞳が印象的な美丈夫であったことも有名な話だ。
ちなみに先々代の王弟を実父に持つクライストにとっては叔父にあたる。
今から18年前、その年はずいぶん暑い日が続き、幾分か涼しい北の地方に多くの人間が避暑にやって来ていた。
基本的に閑散としている北の地方だが、その年の賑やかさはここ何十年となかったほどに違いない。それほど各地方からの貴族や成り金の商人たちの出入りが多かった。
それほどの暑さだ。無論王族とて参ってしまうのは当然。当時現国王であれば地方への避暑など誰も許さなかっただろうが、そのころすでに息子に王位を渡していた先々代をなにがなんでも咎めるほどの人物はいなかった。
といえども、間違いなく国王でもあった先々代。必要以上の面倒に巻き込まれては堪らないと、選んだ場所は北の地方きっての大都市ではなく、そこからさらに北に行った小さな田舎村だった。
そして先々代は、その村で一つの出会いに遭遇する。
相手は『この村一番の美人』『隣町でも彼女には敵う美女はいまい』といわれていたルイザという、当時すでに40を過ぎていた先々代よりも2回りほど若い娘。のちのレオナの母になった人物だ。
波打つ髪は月光のように淡い輝きを秘めた金色で、印象的な大きな瞳は瑞々しい若葉のような翡翠色。肌は白くきめ細かく、それでいて血の通った温かさがあり。通った鼻筋、ほんのり色づいた小さな唇。華奢ながら、しかしメリハリのある四肢。
まるで春の女神のようだと、常々村人たちが噂するほどの魅力がたしかにある娘だった。
無論それだけ美しいルイザだ。15になったばかりの彼女だったが、すでに婚約者がいた。相手は村長の嫡子、いずれ村一番の権力を約束された若者だった。
一村人だったならば、そんなルイザに手を出そうなどとは思わなかっただろう。下手をすれば村長の怒りを受け、追い出されてしまうかもしれないのだ。実際自らの一生をかけてまで、ルイザを取るほどの若者も村にはいなかった。
けれど先々代には、その危惧すべき事柄が一切なく。今は王位を譲った身の上だとしても、国王だった事実は揺らぐこともなく。他者に脅えることもなければ、何かに遠慮することもないわけで。
さらにいえば王城で美女など掃いて捨てるほどに相手をしてきた先々代だったが、元来の好色だった。もっとも国を統治するストレスは大きく、女に逃げるのは王故の自己防衛だったのかもしれないが。
本来なら40を越えたという事実は多少価値を下げるものではあったが、そこは元国王としての品性と威厳をもって帳消しに。むしろ滲みでる大人の男としての魅力を引き上げる結果だけが残ることになった。
顔の造作が実年齢よりよっぽど若く見られることも大きいだろう。加えて先々代はかなりの美丈夫。
そんな洗練された男にいい寄られれば、田舎育ちの初な娘が堕ちるなど至極当然といえることではなかろうか。許嫁の件もルイザのほうはさほど執着などなかったことが、さらに事態を加速させた要因だろう。
先々代がやってきて1週間もしないうちにルイザは彼の虜になった。もはや婚約者だった村長の嫡子の諌めや罵倒する言葉など、とうに彼女には聞こえていない。むしろ非難されればされるほど、彼女の内にある先々代を慕う気持ちは熱を持った。
そして先々代は40を過ぎたとはいえ、まだまだ性欲溢れる男。先々代は己が過ごしている屋敷にルイザを囲い、夜ごと彼女と褥を共にする関係になっていた。
順風満帆だったと思われた二人だったが、実際は最初から軋みを孕んだものだったことに気がついていたものは果たしていただろうか。少なくともルイザは気づこうともせず、夜な夜な先々代と肌を合わす現実に溺れるばかりだったのは間違いない。
身も心もすべて捧げ、一人心の内で先々代に一生の愛を誓ったルイザ。先々代もそうだと疑わなかったのは、そうあってほしいという願望がなせた技か。その場だけの逢瀬なのだとは、彼女は思いもしなかった。
けれどそれが間違いだったのだと、ルイザは間もなく知ることになる。続いた猛暑がなりを潜めてからほどなく、先々代が王都に戻ると言ったのだ。
無論ルイザも王都に招かれると思ったが、なぜだと先々代は首を傾げるばかり。自分を娶ってくれるのではないかと言えば、なんの冗談だと笑われた。
そしてルイザはようやく気がついたのだ。自分は捨てられたのだと。否、捨てると思われる程の愛情など、もとよりなかったのだと。
やがて先々代があっさりと王都に帰還。ルイザは己が身籠っていることを知った。
数ヶ月ののち腹の子を出産した後も先々代を想うことを止められなかったルイザは、生まれた子に父親である先々代王レオナルドの名の一部、レオナと名付けた。自分そっくりな顔立ちながら、髪と瞳の色を先々代から受け継いだ一人娘を、それはそれは可愛がった。