噂の代償⑦
すっかり日が落ちた城内は、数え切れぬの蝋燭で明るさを保ってはいるが、やはり太陽の光にはまったく歯が立っていない。
だからといって不自由というほど暗くもなく、移動する分には十分だった。
つい先刻、リリィの部屋にて固まってしまっていたレオナを助けたのは、メイドがノックをした音だった。
そのメイドを招き入れて要件を聞けば、国王クライストがレオナを迎えにきたとのこと。
いきなりの訪問に慌てたのはレオナだけで、リリィの反応は「あら、そうなの」と非常に軽かった。
その様子にレオナが、リリィとクライストはなんらかの関係があるのだと推察するのは簡単だった。
ともかくリリィに別れを告げ、レオナが急いで部屋を出れば、確かに廊下にはクライストが立っていた。
レオナに気がついた彼は、壁に寄り掛かっていた背を正す。
とりあえずレオナは迎えに来てもらった礼を言ったが、クライストは小さく頷くとそのまま背を向けて歩きだした。
これ以上かける言葉が見つからなかったレオナは、もはやなにも言うこともなくクライストの後に続くことになる。
あれから東塔から中央塔、離宮へと続く大廊下を先立って歩くクライストの3歩ほど後を、レオナは距離を保って歩いていた。
二人はそこそこ身長さがあり、本来ならば歩く速度も違うだろうに、クライストが進める歩調はゆっくりとしたもので、まるでレオナに合わせるかのようだ。
依然としてその間、二人の間に会話などは一切ない。
元来寡黙なクライストが自らなにかを話すわけもなく、レオナのほうも彼とどう対峙すればいいのかいまだに判断できず口を開けずにいる。
いつもの妖艶な笑顔の作り方もすっかり忘れてしまったようだ。
包む雰囲気は張り詰めたものではないが、至極穏やかというものでもなく。
若干の気まずさを感じる、あまり心地いいものではなかった。
レオナはちらりと、先を行くクライストに視線を投げてみる。
真っ先に目に入ったのは、くるぶしまで覆う長さの深い藍色のマントだ。
クライストの歩調に合わせて緩やかに波打っている。
ふと彼は一体どんな表情をしているのかと気になったが、いつもの淡々とした表情なんだろうと一人納得した。
ようやく王城と離宮をつなぐ中庭に差し掛かったとき、クライストがぴたりと足を止めた。
それに気付いたレオナも、彼に倣うように進みを止める。
やがてクライストがゆっくりと振り返り、やはり予期していた通りの淡々とした表情が向けられる。
彼の薄い唇が静かに開いた。
「すまなかった」
ぽつりと呟かれた一言は、予期せぬ言葉。
なにに対しての謝罪なのか分からないレオナは、返す言葉を探すものの見つからず若干気まずい。
ただなんとなく、その先のことなど聞きたくないと思った。
その上あまりにも真っ直ぐに送られてくるクライストの視線は、さらにレオナの居心地を悪くさせる。
彼女は逃げるように俯き、逃れた。
けれどそんなレオナを逃がすつもりはないらしいクライストは、さらに言葉を続けてきた。
「貴女が王族を嫌っていると承知で、私はあの夜会でことを公にした。どうしても手放したくなくて、誰にも奪われたくなくて、あんなやり方で貴女の逃げ道を断った」
クライストのセリフに、俯いていたレオナは思わず顔を上げる。
彼は知っているのだ。
それがどこまでかは分からないが、少なくてもレオナが王妃など望んでいないことは知っていた。
知っていて、あろうことかあんな場で公にしたのだ。
そしてクライストがそのことについて謝るということは、完全に逃げ場などないということ。
どんなにレオナが嫌がっても、敷かれた王妃へと続くレールを歩むしかないから謝っている。
レオナが自由を望んでいることを知ってのこの行為は非道だったと、クライスト本人が自覚しているからこそ、その苛む良心を和らげるために謝っているのだ。
「…本当にすまなかった」
「……」
レオナは唇を噛みしめ、小さく肩を震わせる。
はじめから謝るくらいなら、こんなことなどしなければよかったでしょうに。
クライストをなじりたくなる心を、レオナは必死になだめる。
一体なんのための噂だったのか。
この半年間、王城で自分がしてきたことはなんだったのだろうか。
しかもそれらすべてはまったく意味のない行動だったなど冗談にも程がある。
誰が好んで、化粧などしたものか。
誰が望んで、着飾ったものか。
きっと白粉の匂いより、農場で慣れた土の匂いが恋しいなど、彼は知らぬだろう。
どれだけ慣れぬコルセットに苦労したことか、彼は分からぬだろう。
レオナは両手をあらぬ限り握りしめて、込み上げる感情を必死になって押し殺す。
あまりにもお粗末な結果に、涙も出やしなかった。
けれどこれだけは聞いておかねば、とレオナは震える唇を無理やり開く。
「どうして、わたくしなんですか。どうして、どうして、なぜ…」
一区切りずつ紡いでいるのに、まるで激しく詰問しているような言葉。
それでいてすべて拒絶するかような鋭さも加わっている。
向けられたレオナの感情は非常に荒々しいものだったが、そうなる種を撒いたのは間違いなくクライストだ。
これを受け止めなければ、確実に彼女は手に入らない。
受け止めたところで、確実に手に入るわけでもないとも知っている。
けれど、それでもレオナを求めるならば、投げられるすべてを受け止めなければならない。
溢れる怒りで大きく肩を上下させるレオナを、クライストはしっかりと見据える。
言葉だけではなく、その体で示される拒絶をも感じなくてはいけないと思った。
そうしてクライストは、ゆっくりと言葉を吐き出す。
「…最初は、誰でもよかった。貴女でなくてもよかった。側室とは別の新しい人間を、王妃にと迎えてもかまわなかった」
「ならば……」
「けれどいつの間にか、王妃に迎えるならば貴女がいいと望んでしまった」
相変わらず小さな呟きのようなクライストの言葉だったが、嫌味なくらいよく通る声でもあった。