噂の代償⑥
あれから婦人の手に引かれ、レオナが連れられてきたのは王城東塔にあるゲストルームだった。
豪華なデザインの広々としたリビングルームに通され、婦人に窓際のソファーを進められたレオナは素直に座る。
まだなお少しぼんやりとしたレオナにと、婦人自らが紅茶を淹れ、傍のガラステーブルにティーカップを置く。
「さあ、お召し上がりなって。多少気分が和らぐと思うわ」
優雅なティーカップに注がれていた紅茶は、ほんのり甘い香りを含んだ湯気を立ち上げている。
この独特の香りからいって、果物の原産地とされるラオス地方の茶葉を使ったのだろう。
熟れた果実のような甘みとコクが特徴的なこの紅茶は、レモンよりミルクが良く合う。
とくにレモンティーを好むレオナだが、この茶葉で淹れられたミルクティーも良く飲む種類の一つだ。
ミルクポットからミルクを注げば、一層甘い香りがレオナを包む。
ほっとするような、じわじわと心が温まるようなそんな優しい香りだ。
疲弊していたレオナにはよく染み込む。
「…やっぱりレモンティーのほうがお好きかしら?」
紅茶に口をつけず、ただ俯いてカップばかりを見るレオナに心配そうな声がかかった。
はっとして顔を上げれば、しょんぼりしたような婦人と目が合う。
菫色の瞳を翳らせたのは、他でもないぼんやりとして反応もしなかったレオナだ。
レオナは急いで頭を下げる。
普段は城で会った人間には【噂の側室】として意識して対応するのだが、婦人が初対面であったことや、今まで城にいて見たことがなかったこと、あまつ泣いている姿をも見られてしまっていたため、つい素の自分で対応してしまう。
「すみません、ぼうっとしていただけです。この紅茶、大好きです。ありがとうございます」
「そう、なら良かったわ」
カップを持ち上げて、レオナは一口飲む。
じんわりと広がるこの茶葉独特の甘みと、優しいミルクの味。
レオナはほっと小さく息をつく。
廊下でゼルフと会っていたときに比べ、ずいぶんと気持ちが落ち着いてきたようだ。
「この茶葉、ラオス地方のものですよね。とても良い香りです」
「まあ、茶葉までわかるだなんて本当に紅茶がお好きなのね。かくいう私も大好きなの、話が合いそうで嬉しいわ」
ふふふ、と温かく笑う婦人につられ、レオナもようやく笑みをこぼす。
その夫人がレオナに手を差し出す。
「私、リリィよ。こうやって会ったのも何かのご縁ね」
「レオナと申します。先ほど声をかけてくださった折のわたくしの失礼な態度、改めてお詫びいたします」
「そんなの気にしなくてもいいのよ。お節介焼きな私が、貴女を放っておけなかっただけだわ」
差し出された手をレオナはゆっくりと握り返す。
ほっこりと温かいリリィの手は、レオナの手だけではなく心も温めてくれるようだ。
レオナの手を包み込むように両手で握ったリリィは、にこにこと可愛らしく笑っている。
「私、このお城には久しぶりに来たのだけど、お友達がいなくて寂しかったの」
「ではリリィさんは、以前お城にいらっしゃったのですか?」
「リリィ、と呼んでちょうだいな。確かに以前は夫が王城に勤めていたからここにいたのだけど、でも2年くらい前に南のミナスへと移ったのよ。だからレオナは私を知らないと思うわ」
「ミナスですか。一度も行ったことはないのですが、温かい気候で過ごしやすいところだと聞いたことがあります」
「ええ、とってもいいところよ。ぜひ機会があればレオナもいらしてちょうだい」
そうリリィに言われて、レオナは少し困ったように微笑む。
基本的に側室には自由などない。
とくにどの側室も子を孕んでいない今はさらに厳しい。
最低誰かが世継ぎを生むか、もしくは国王に離縁してもらうまでは、公務以外で王都から出ることは出来ないのだ。
だから現状ではレオナがミナスに行くなど、不可能ということ。
けれどはっきり無理だとリリィにいうのは躊躇われたし、いうことでレオナが側室の一人だとバレることもまだ避けたかった。
あまりにもリリィに与えられた安らぎが大きく、いずれはバレてこの関係も変わるだろうが、今このときだけはと願ってしまった。
そしていつかはいけるかもしれないとレオナが小さく頷けば、リリィは満足そうに微笑んだ。
「ねえレオナ」
「なんでしょうか」
「改めて、私とお友達になってくれるかしら?」
「えっ…」
「しばらくはこの城に滞在することになっているのだけれど、さっきもいった通りお友達がいなくて寂しいの」
「…え、っと…」
「ダメかしら…?」
さすがにこの申し出には、レオナは完全に戸惑ってしまった。
基本的に城にいる間のほとんどは、作られた【側室レオナ・フライト】として生活しているのだ。
こんな素の状態のレオナなど、誰もいない自室のみでしか明かしていない。
第一ゼルフが王都勤めに戻るということもあり、身の周りを一層注意しなければいけない。
今下手に他人と接触を持つべきではないと、強く思っている。
それに入城してまもなく誓ったはずだ、味方は作らないと。
もうゼルフに、自分以外の誰にも手出しさせるつもりはないのだから。
けれどその一方でずっと一人で虚勢を張り続けていることを、ひどく寂しいと感じている自分もいる。
差し出された手にすがってしまいたいと、望んでいる心も確かにあった。
レオナの中で揺らぐ天秤。
ここしばらく迷ってばかりだ。
どう答えるべきか分からないレオナは、いよいよ俯き黙り込んでしまった。