噂の代償①
―――王城最上階、現国王の執務室。
相変わらず山積みの書類たちを、クライストは黙々と処理をしている。
毎日どれだけ処理をしても、一向に減る感じのしない量。
まだ即位して2年ということもあり、国の実情をとらえるためには時間と経験が足りないということなんだろう。
それでも毎日少しずつ、その書類たちの数が減っていっていることをクライストは知っている。
それは少しずつながらも国の安定と自身の処理能力向上を意味するものでもあり、国王としてはやはり嬉しいことだ。
「ワーカホリック」
そんなクライストを見遣っていたダリルが呆れたように溜息を吐いた。
応接用のソファーが気にいっているらしいダリルは、いつもそこにどっかりと腰を下ろしている。
ちらりと彼を一瞥したクライストだったが、すぐ視線を手元の書類に戻す。
一応否定しておこうと、クライストはぽつりと呟いた。
「…そんなことはないと思うが」
「寝る以外仕事してる無趣味野郎の吐くセリフだとはとてもとても…」
「……」
否定はできなかった。
実際とくに趣味もないクライストは、日々公務に追われて過ごしている。
なにより国を思う王であれ、そういわれて育ってきたのだから仕方がない。
つい自らのことを疎かにしてしまうことも認めよう。
ただそうズバッといわれて面白くないのも確かで、もとより愛想の足りないクライストの表情がさらに顰められる。
むっとしたままダリルを見遣れば、彼はくつくつと喉を鳴らして笑っていた。
「そんなんじゃ王妃にと望んだあの娘に逃げられるぞ」
「………」
「ただでさえ口下手なのに、さらに無愛想とか印象最悪だろうな」
「……うるさい」
「まあ、お前が嫌われようがどうでもいいが。で、いつ正式に迎え入れんだ?」
全然ちっともどうでもよくないだろうが。
不機嫌な面持ちでそう思うものの、クライストが口にした言葉は別のもの。
「当分先だと思ってくれてかまわない」
「そうはいっても式を挙げることになるだろうし、こっちには準備ってもんが」
「…まだ、彼女から承諾をもらっていない」
「はあ?」
なにいってんだといわんばかりのダリルの顔。
「別にお前なら承諾も何もいらねえだろうが。なんてったって国一番の権力者」
「………」
ずいぶんな物言いだとクライストは思ったが、なにも言い返すことができない。
言われる原因を自覚しているからだ。
無論クライストは国王であり、レオナの承諾などなくても命ずればいいのも確かだ。
けれどそうしないのは、クライストの我儘。
もともとクライストは、レオナを王妃に迎えるつもりなどなかった。
ある程度自由にさせておいて、時期をみて故郷に返してやるつもりだったのだ。
けれどいつの間にかレオナは、クライストにとって手放しがたい存在になってしまって現状に至っている。
ダリルもそのことを知っている。
沈黙したクライストに、ダリルはがりがりと頭を掻く。
ちゃらけた表情を一変、鋭いものに切り替えて言葉を吐く。
「いっとくが、権力使っての承諾はさせたくない、とかなら傲慢もいいとこだからな」
「……ああ」
「あんな他国を交えた席で宣言したことが、すでに権力使ってるんだって分かってるだろうが。今更なにに悩むことがある? そこまでしてでもほしいと望んだのはお前だろ」
「…わかっている」
「わかってねえ! もうあの側室には逃げ道なんざないんだ。なのにそうやって逃げ道はあるような期待を作ってやるなよ、ましてあの娘は王族を嫌ってる分どうにかなるんじゃねえかと足掻くだろうが。そんなの残酷すぎるだろ」
一気に捲し立てたダリルは満足したのか、鼻を鳴らしてクライストを睨みつけた。
返す言葉もないクライストに、ダリルは一通の手紙を差し出す。
淡い紫色の封筒だった。
『クライストへ』としか書かれていない宛名は、見覚えのある字だ。
受け取って差出人を見れば、やはり想定していた人間の名前。
「自分のケツは自分で拭う。これもお前の撒いた種だ」
「…そうだな」
どうやらまた自分を叱咤する人間が一人増えるようだ。
嬉しいようで少し複雑な心持で、クライストは溜息をつくのだった。