噂される以前の彼女⑥
側室として用意された部屋は離宮にあると言われた。
言ったのはレオナ付きの侍女を仰せつかったという、あまり年の変わらないような女性だった。
背の高さはレオナよりあるが、顔の幼さがまだ残っている。
赤みがかった金髪が魅力的な侍女は、アリーチェと名乗った。
いよいよ離宮に渡るための中庭だというところで、アリーチェは足を止めた。
レオナもそれに倣い立ち止まったが、どうしたのだろうと首を傾げる。
なにか忘れ物でもしたのかと思っていたが、どうやら違うらしい。
アリーチェはすぐそばの扉を開け、レオナに首を垂れる。
「離宮にお渡りする前に、こちらにてお支度をしていただきます」
支度?
なんのことだろうかと思いつつ、とりあえずレオナは素直に部屋に入る。
そこにはすでに3人のメイドが控えており、レオナの姿を確認すると別室に続くドアを開けた。
若干湯けむりが漂うそこは、バスルームに続く脱衣所だった。
浮かんだ疑問を彼女らに問うまもなく、レオナは着ていた修道衣を脱がされる。
悲鳴を上げるレオナなどなんのその、そのまま丸裸にされた彼女は3人の手によって見事に磨かれることになった。
肌が剥けたんじゃないかと思うくらいの垢擦りを終え、緩やかなバスローブをまとわされたレオナは、さらに別室に案内させられる。
どうやら寝室だったようで、見事にベッドメイキングされたそこに座って待つように促され従う。
まもなく現れたのは、ずいぶん年を召した老婆だった。
着ている服を見て助産師だとすぐに気がつく。
ベッドの上のレオナを見るなり寄ってきて、「すぐに済みます」と手を伸ばしてきた。
あれから支度と称した身支度が終わり、ようやくレオナが案内された部屋は、離宮の奥の一室だった。
修道院にあったレオナの部屋の、優に10倍はあろうこの広さ。
しかもこの一室だけではないというのだから、贅沢だ。
白と薄い空色を基調とした落ち着いた雰囲気の部屋には、品のいい家具が配置されていた。
歩いても軋むことがない大理石の床には、踏むのがもったいないくらいの上等な絨毯。
天井が非常に高く、見上げた先にはシャンデリアがぶら下がっていた。
窓は大きく作られていて、日の光が存分に部屋を満たす。
部屋に入るなり、レオナはアリーチェに一人にしてほしいと告げた。
もういろいろと限界だった。
憔悴しきったようなレオナに、なにかあればベルを鳴らしてくださいというと、彼女は隣の侍女部屋に大人しく下がった。
扉が閉まる音がして、レオナはその場にへたり込む。
ようやく一人になったと安堵すれば、よくわからない涙がこみ上げてくる。
今まで生きてきた中で、見たこともないくらいの立派な部屋でレオナはすすり泣く。
さきほど受けた屈辱的な行為を思い出せば、いよいよ涙が止まらなくなった。
あのとき伸びてきた助産師の手で、レオナの体は無理やり暴かれた。
抵抗する四肢はメイドたちに抑えられ、側室として上がるには誰しもが受けることなのだと助産師は言った。
耐えきれぬ行為にレオナは悲鳴を上げ、そしてもう修道女としての誇りも失ったのだと感じた。
ようやく視察が済み解放されたレオナに待ち受けていたのは、派手なドレスを手にしたアリーチェだった。
お疲れ様でございましたといった彼女は、レオナがどんな目に遭ったのか察しているようだった。
アリーチェの持つドレスを一瞥したが、派手すぎてとてもレオナの好みではなかった。
けれど、だからといってもう修道衣を着ることは許されないような気がした。
ふとレオナは顔を上げる。
そばに置いてある姿鏡に、モスグリーンの鮮やかなドレス姿の自分が映っている。
したこともない化粧も施された今は、きっといつもより綺麗なのだろう。
そしてこれから側室として、この国の王に仕えるのだ。
無論華やかな生活もできよう。
側室として与えられる地位も名誉も、今までのレオナには天と地の差だ。
夫となる国王は、賢王と謳われるほど素晴らしい人物だと聞く。
そうだ、なにを嘆くことがある。
なにを憤ることがある。
これは喜ぶべきことではないか。
泣くならば、その幸せを理由にすべきだ。
そう必死に言い聞かせる。
けれど、どうしてどうして。
レオナの心を占領しているのは、この理不尽な現状など受け入れられぬという怒りと悲しみだけという。
「帰りたい」
レオナは現実に耐えきれず、ぽつりと漏らす。
でも、どこに?
唯一の居場所だった修道院は焼けてしまったではないか。
「帰りたい、帰りたい…」
帰る場所なんてもうどこにもないのに、どこに帰ろうというのだろう。