噂される以前の彼女⑤
6日後には到着予定だった王城への移動は、途中ひどい雷雨に見舞われ、その上王都目前の大橋が落ちたことで結局1ヵ月近くもかかってしまった。
ようやく修復した大橋を渡り、3時間も馬車が走らぬうちに王都が見えてくる。
最初その姿を見たときは、都ではなく城塞の間違いではないかと思った。
今まで立ち寄った町とはまったく違い、中の様子が窺い知ることが出来ないほど非常に高い石壁が四方を囲っていたからだ。
町と外とをつなぐ大門は、門兵が4人係りで開けるほどの相当な重量を誇っている。
一人馬車を降りたゼルフが、早々に門兵と話を済ませたらしい。
すぐさま通行の許可が下り、レオナたちを乗せた馬車はようやく王都内部に足を入れた。
重厚な石壁に囲まれた城下町は、それに反して非常に明るい活気で溢れていた。
昔一度王都に来たことがあったレオナだが、当時よりさらにその賑わいが増しているようだ。
王城に続く巨大な通りには露天商がそこかしこに店を広げ、大声で客寄せをしている。
食料品はもとより、衣類やアクセサリーなどもあり、その品揃えはさすが王都といったところか。
通りは白いレンガで舗装され、赤いレンガで統一された家がよく映えている。
道に沿うように樹木と花壇が間隔よく配置され、そこに咲く花々が目を楽しませてくれる。
どこか懐かしいような木柵が、たくさんの民が歩く歩道を飾っていた。
非常に整った街並みに改めて感心していたレオナに、ゼルフが声をかけてきた。
すっと心が冷えていく思いをそのまま、レオナは窓の外にやっていた視線を彼に投げる。
「さて、まもなく城に到着します。そこでようやく私の任務は完了です」
「それは、ようございました」
「本当にレオナ様が素直な方で、とても助かりました。こちらとしても動きやすかったです。おかげで村を焼かずに済みましたし」
「……さようにございますか」
ゼルフは相変わらずにこやかな表情を浮かべているが、その内はとんでもない非道さを隠していることをレオナは身をもって知っている。
焼け落ちていく修道院の様を思い出し、レオナは思わず身震いした。
けれど脅えられているのは百も承知だといわんばかりのゼルフは、そんなレオナににこやかに笑いかけるのだ。
その表情にすらレオナが脅えることも、彼はきっと承知しているだろう。
「ときにレオナ様」
「なんでしょう」
「正式に側室になった折、陛下に進言して私を処分するなどとお考えですか? それだと私は確実に仕事を失うでしょうし、困るんですけども」
「…いいえ、そのつもりはございません」
「それは、理由を聞いても?」
「分かっておいでのくせに、あえて聞くなどタチが悪いというものでは?」
「いやだな、確認といってくださいよ」
そう言って、ゼルフは少し声をたてて笑う仕草をしてみせる。
30代そこそこの落ちついた雰囲気と、甘いマスクは間違いなく異性を惹きつけるだろう。
アッシュブラウンの髪が、さらに柔らかい印象を醸し出している。
異性から熱のこもった視線を向けられることが多いであろうその顔を、けれどレオナは冷ややかに睨みつける。
ゼルフのオリーブ色の瞳の中にあるのは狂気か、はたまた。
改めて背筋を伸ばし、レオナは言葉を吐く。
「リスクが大き過ぎるからです」
「リスク、ですか」
「ゼルフ様はわたくしをよくご理解されているようで、それはわたくしが嫌うことも含まれていらっしゃる。今度は村を盾にするつもりでしょう?」
「さすがレオナ様、分かっていらっしゃいますね」
「城の随所に目と耳を光らせることが可能なゼルフ様と違い、わたくしにとっては王城は、誰が敵か分からぬところ。どこまでゼルフ様の手が回っているか分からぬ状況で、安易に行動して村を危険にさらすわけには参りません」
「ずいぶんと賢い方ですね、そういうところは好きですよ」
あしらわれているような言い方に、レオナは心底腹が立つ。
けれどそれを顔に出すのも癪だし、こちらも釘を打っておくべきだと冷静に言葉を紡ぐ。
「けれどこの条件は諸刃の剣だということをお忘れなく。もし村を失うことにでもなれば…」
「それはご安心を。私は、私自身と仕事を全うすることにしか興味がありませんので。可愛い我が身に害をなす発言を控えてくだされば、なにもいたしません。あくまで村は保険です。まあ、お優しいレオナ様にとってはこれ以上ない保険でしょうけども」
「………」
「城に上がったあとのレオナ様は、私の管轄を離れます。城にお連れした経緯を進言するような真似以外でしたら、どうぞご自由に行動ください」
これ以上返答する気なれなかったレオナは、視線をまた窓の外に向ける。
いつの間にか城下町を過ぎていたようで、眼前に迫っていたのはこれぞまさしく要塞、と思われるほどの王城だった。
城下町を囲っていた石壁よりも高いその建物は、見上げるだけでも一苦労だ。
中央に建っている一番高い塔からは、獅子を模様が入った赤い布が垂れ下がっていている。
いくらか走ったところで、やがて馬車が止まった。
御者が降り、外から扉の鍵を外したのち、開けられる。
扉の先には、ずらりと整列した女性が頭を下げていた。
馬車の入り口に一番近いところにいた一人が顔を上げる。
女性らしい柔らかな印象な彼女は、他の女性と比べて質のいい制服を着込んでいる辺り、メイド頭か侍女なのだろう。
「長い道中、大変お疲れ様でございました。我々一同、レオナ様のご到着を心よりお待ち申し上げておりました」
慣れない仰々しい出迎えに、レオナはどう反応すべきか迷う。
そしてこの女性たちの中に、ゼルフの息のかかったものがいるかもしれないと思うと足が竦む。
彼によって修道院が焼き払われたトラウマは、確実にレオナの中に巣食っているのだ。