動き始める噂③
ああ、なんだかとてつもなく息苦しい。
きっとコルセットがきついせいだ。
視界も鮮明とはいえない、少しぼやけて見える。
レオナは胸元に手をやり大きく息を吸うが、激しい動悸はまったく治まることをしらないようだ。
心臓が脈打つたびに、その音が脳を揺さぶっているようで気持ちが悪くなる。
水が飲みたい。
けれど足が、大理石の床に根を張ってしまったかのように動かない。
彼女が苦しんでいるのとは対照的に、ホールは水を打ったように静まり返っている。
皆息も殺しているようで、国王の言葉を今か今かと待ちわびている。
異様ともいえるその沈黙を破ったのは、沈黙を作った原因の国王クライストだった。
「側室のレオナ・フライトを、正式な王妃に」
その場が一気にざわめきだす。
ある者は純粋に驚きの声を漏らし、ある者は「まさかあの側室を?」と嘆き仰天し、ある者は側室として名をあげられたレオナに視線を投げる。
けれどこの騒ぎなど想定済みだといわんばかりに、クライストもダリルも涼しい顔だ。
そんなクライストに、顔を青くした宰相が壇上に上がってきて、おもむろに口を開く。
その様子からみて、宰相は嘆き仰天した口のようだ。
「恐れながら陛下。彼女とお決めになった理由をお聞かせ願えますか?」
「理由、とな。レオナはもとより側室の一人であろう? それを改めて王妃として迎え入れることなど、さしておかしなことでもあるまい」
「それならば他の5人のご側室の方でも…」
どうか考え直してほしい、そう宰相の目は必死に訴えている。
よほどレオナがお気に召さないらしい。
けれどクライストも決めたことを覆すつもりはない。
「レオナでも問題あるまい。だいたいそなたらが日々王妃を迎えよと口うるさく申す故に決めたことぞ?」
「……たしかに何度も進言いたしましたが、しかし…」
「レオナでは不服である、と?」
「いえ…」
クライストが折れることはないと、察知してしまった宰相はもはや黙るしかなかった。
その様子に話は終わったといわんばかりに、彼は王座の置かれた壇上を下る。
いまだに終息しないざわめきなど聞こえぬといった顔で、王妃にと望んだ女のもとに向かった。
血の気を失った彼女を見るのは、これで2度目だ。
脅えも混じったような態度の彼女も悪くない。
寡黙な国王と噂されるクライストだが、悪趣味なところだってあるのだ。
国王がこちらに向かって歩いてくる。
堂々とした歩みで、彼はレオナの前までやってきた。
そして彼女を手を取り、その指先に口付ける。
「レオナ、王妃になってくれまいか?」
「………」
国王がその唇を離すのを、レオナは茫然と眺めていた。
周囲にいる人たちが、何か言葉を寄こしてくる。
だけど何も聞こえない。
国王もまだ何か言っているが、やっぱり何も聞こえない。
息苦しい。
呼吸が上手くできない。
目が回る、視界が霞む。
ああやっぱり、このコルセットがきつ過ぎるんだわ。
国王の言葉を無意識に拒絶したレオナは、そんな場違いなことを思いながらその意識を手放した。