動き始める噂①
王城とは別館にあたるこの巨大な大理石で造られたホールは、優に3千人は収容できる広さだろうか。
吹き抜けの高さは、いったい何階分相当するのか考えてしまう。
ホールの中央には壮大なシャンデリアが吊り下がっており、独特の温かみのある明りで周囲を照らしている。
ホールのあちらこちらで談笑の花は咲き、ホールの一角には各々多様な楽器を抱えた楽師たちが集まっており、常に曲を奏でている。
ガヴォットやミュゼット、メヌエットが流れ、その曲に合わせて着飾った男女は優雅に踊る。
また別の一角には立食スペースが設けられていて、カナッペ、オードブル、各種肉魚料理、サラド、デザートなどと豪華な料理が取り揃えられていた。
数人のウェーターが配置されていて、やってきた客人に素早く飲み物を差し出している。
まったく贅をこらした夜会だ。
もちろん他国にフォレスタの力を見せつける効果を見込んでいることくらいは理解する。
ただそれを楽しめるか楽しめないかは、個人の問題だ。
少なくても華やか過ぎて馴染めそうもないと、ホールの一角に咲く婦人たちの談笑に交じり、おつむの弱さを発揮しているレオナが思っているなど誰が想像しようか。
誰も想像などできまい。
あれから離宮にある自室に戻ったレナは、すばやく身に着けていた侍女の服を脱ぎ、この部屋の主でもあるレオナの表情を取り戻す。
寝ていたと侍女には伝えてあったので、急いでシルクのネグリジェに袖を通し、その上からガウンを羽織る。
夜会まであと2時間だ。準備は滞りなく進めなくてはならない。
サイドテーブルに置いてあるベルを振る。
甲高い音が鳴り、まもなくその音を聞いた侍女が部屋の扉をノックする。
「お入りになって」
「失礼します。レオナ様、ご気分はいかがでしょうか?」
「もうすっかり良くなってよ。それでこれから夜会の支度をしようと思っているのだけれど」
「ではすぐに湯浴みの支度を始めます」
「ええ、お願い。ローズオイルをたっぷり垂らしてちょうだいね」
「かしこまりました」
侍女が部屋続きのバスルームに素早く向かう。
しばらくして湯を張る音が聞こえてきて、かすかにローズオイルの香りがレオナのもとに届く。
さて今宵も、人々が噂する通り【着飾り側室】【傾国の美女】として、より一層この名を馳せようか。
泣きだしたいほどの垢擦りを笑顔で乗り切り、いつも以上にきっちり閉めたコルセットに何度も息が詰まったことか。
緩やかに波打つ黒髪は細やかに編み込まれ、妖艶な化粧を施してもらい、鮮やかな瑠璃色を基調に黒い繊細なレースが目を引くイブニングドレスで着飾ったときにはすでに、レオナはずいぶんと疲弊していた。
もちろんそんなことはおくびにも出さず、淹れられた紅茶を優雅に飲む。
すっかり表情を作ることに慣れたものだと自らを嗤うレオナを、侍女はきっと国王に会える喜び故の微笑みだと勘違いしたことだろう。
「ああ、早く陛下にお会いしたいわ」
「……夜会まで、もうしばしお待ちくださいますよう」
侍女の返答に若干の間があったのは、レオナのお決まりの言葉など聞き飽きたとでもいいたかったのか。
それきり口を閉じだ侍女に、申し訳ないけれどずっと騙されていてちょうだいと、罪悪感に苦しみつつもレオナは微笑むしかなかった。
空をくり抜いたように輝く満月が昇り始めた頃、本日最後の公務でもある夜会が始まった。
まさかその最中に国王と国務大臣のみが知りえる、とっておきの事態が起こるなど誰も知ることなく夜は更けていく。