第二話 再び 二
秋子との万にひとつの奇跡的な再開は、高校生時代に幸一が体験した、恐怖に近い不安と後悔に耐え忍んでいた寒い雰囲気を彼の全身に蘇らせた。
清滝川の川辺は涼やかだ。堤にあるベンチに腰掛けて木陰の恩恵を受けていると、涼風と清流の流れる音で眠気に誘われてしまう。
昨夜は真理と焼鳥屋で食事をし、ショットバーで少し飲んでから彼女の家まで送った。幸一は少し飲み足らない思いのまま部屋に戻ったが、偶然友人が訪ねてきて朝まで飲んでいた。
幸一は昼まで寝ていたが、昨夜のショットバーで、不安に苛まれた真理の瞳に映ったダウンライトの輝きが、あの大晦日の焚火の輝きを思い起こさせて、彼女が今一番望んでいることを今すぐにでも叶えたくなった。それで、顔も洗わず、大した考えもないままバイクで飛び出してきた。
まずは金閣寺の駐車場で、半時間程周囲を見渡しながら過ごした。次に龍安寺へ移動し、境内に入ってみたが余りに広すぎて、秋子を捜しているはずが自分が道に迷ってしまった。
何とかたどり着いた鏡容池で佇むのも束の間、はっと気づいて、龍安寺を訪れた観光客が必ず見に行く石庭の入口付近に移ってみた。そこで行き交う人々をさりげなく確認しながら、秋子と謎の男が通るのを待ってみた。
一時間ばかり待ってみたがやはり出会わなかった。そもそも、二人がどんなルートで巡るのか全く見当がついていない。ただ何となく、宿泊するなら風情のある清滝とか高雄など、嵯峨野の静かな観光地が良いと感じた。だから昼間は金閣寺や龍安寺など、比較的賑やかな所から巡っているように考えていた。
幸一は龍安寺で捜すことを諦めて清滝までやって来た。二人が今ここを訪れる確率はほとんど無い。彼は道端にバイクを止めて清滝川の堤を少し歩いた。
ほど良い所にベンチがあったのでそこに腰掛ける。バイクで小忙しく走った疲れが眠気となって彼を誘い続けたが、それでも彼は真理のことをぼんやり思い起こしていた。
幸一は、真理と高校二年の終わりに別れたきり、一度も口を利いていなかった。何度か校内ですれ違うことはあっても、挨拶すらしてもらえなかった。完膚なきまで心を冷たい壁に叩きつけられた。
いつしか真理は、幸一にとって思い出の女としてしか生きられなくなっていた。実際の真理はもう別人物だった。高校を卒業し、思い出の真理はそのまま幸一の記憶の中で生き続け、現実に引き戻ることなど露ほどにも思っていなかった。
それが、全くの偶然から二人は再会し、昔の別れなど無かったかのように自然に振舞っている。経る年月というものの力に感嘆しつつも、どれだけ経ても、まだ胸の奥深くに眠っていた真理への情熱が再燃していることに、自然の矛盾を覚えている。
幸一の半ば眠った脳裏には、修学旅行で訪れた上高地が梓川の流れと、さわさわとした空気の中で清潔な笑顔を浮かべている真理の映像が浮かんでいる。清滝川の清廉な流れのためかも知れない。
卒然、身体がピクリと痙攣して目が開いた。眠っている積りは無かったが、頭はすっきりとリセットされている。もうここには二人は来ないと結論付けて高雄へ向かった。
高山寺参道の入口付近にある食事処にバイクを止めて店内に入ってみる。考えてみると、起きてからまだ何も食べていなかった。秋子の捜索は後回しにしてとりあえず腹ごしらえをしようと思い立った。
自動扉を潜ると、店員の歓迎の声と視線が集まる。空席を探し、他の客との間隔を考慮した席に腰を下ろした。と、次の瞬間、幸一の感性は、驚きと共に昔の同士に出会ったような懐かしさに満たされた。二年前に真理が失踪した時の不安と重圧に共に耐えた同士、最悪の事態に怯えながら励まし合った同士に出会えた懐かしさに胸が熱くなる。紛れもなく秋子だ。
幸一の席から五メートルほど離れた席に、男と向かい合って微笑んでいる女性は間違いなく秋子だ。二年ぶりだが一目でわかった。真理よりもやや顎が細くてシャープな印象だ。この付近には食事出来る場所が少ないのは確かだが、それにしてもここで秋子に遭遇するのは奇跡に近い。
だが、幸一は奇跡に近い偶然で秋子を発見できたにも拘わらず、天への感謝よりも秋子への懐古の情で胸が一杯になっている。いや、あの夜の緊張感が現実性をもって全身に蘇っている。
あの重苦しい緊張の渦の中で、時折愛らしい表情を浮かべていた秋子に特別な魅力を感じていたのも事実だ。だが、それは特殊な状況下で生まれた感情なので時間の経過と共に忘却していたが、今、あの時の雰囲気と感情が津波のように打ち寄せてきている。
呆然と秋子を見つめていた幸一は、ふと我に戻ってざる蕎麦を注文した。そして二人を観察する。男は幸一に背を向けて座っているので顔は見えないが小柄だ。白髪交じりの頭髪で、グレーの落ち着いた色彩のボタンダウンを着ている。五十代前半の印象だ。
だが、幸一が一番驚いているのは秋子の表情だ。とても楽しそうに話し、自然な笑顔をふんわりと浮かべている。何かに無理やり協力させられているような雰囲気ではない。仲の良い親子か不倫カップルに見えた。仕事の仲間には見えない。秋子が若過ぎるためだろう。
幸一は迷った。ここで声を掛けて秋子を連れ戻すべきか、後一日そっとしておくべきか。この雰囲気なら、明日の旅程が終われば秋子は無事に戻って来るような気がする。いや、もっと正直に言うと、声を掛けられるような雰囲気ではない。余りに楽しそうで柔和な空気に楔を撃ち込むようなことは気が引けた。当然ながら、幸一には秋子の幸福そうな笑顔は初めてだ。
幸一は、目の前に運ばれたざる蕎麦を見ると、急に食欲が湧いてきて思考が切れた。秋子のことより蕎麦を食べることに意識が集中してずるずると大きな音をたてて蕎麦をすすった。店内は空いている。昼食時はとっくに過ぎていて四時前だった。幸一の蕎麦をすする音が大きく響いて、他の客がちらりと幸一に視線を送る。幸一がふと視線を上げた時に秋子と視線が合ったような気がして、慌てて蕎麦を見つめ直した。
やがて、幸一が蕎麦を食べ終わった頃、秋子たちは立上って店を出ようとした。二人が幸一の横を通ってレジに向かう。幸一は男の顔を盗み見た。やはり五十代前半位だが細身で顔色が良くない。病弱な印象だ。
男の後ろを秋子が付いて歩く。真直ぐに前を向いて歩く彼女は、幸一の横を過ぎる瞬間、軽く微笑んでから人差し指を自分の唇に当てて幸一にサインを送ってきた。
驚いて微笑むことすら出来なかった幸一は、明るいグリーンのショートパンツから伸びた、白くて真理よりも肉付きの良い太腿に視線を落した後、男に気づかれないようにこっそりと二人を見送った。
高雄から戻った幸一は、自分の部屋に帰る前に真理の家を訪ねてみた。
「秋子から電話があったわ」
幸一が玄関に入るなり、台所から小走りに近寄ってきた真理が、濡れた手をエプロンで拭いながらやや堅い口調で報告する。
「どこから?」
彼は、全く興味が無いかのような冷淡な尋ね方をした。
「場所はわからへんけど、きれいな川の側で昼食を取ったって。それから、明日には必ず戻るさかい心配しないで、て言わはったわ」
真理は堅い表情で以って早口で話した。彼女はふと、玄関で立ち話をしていることに気づいて、にこりと照れ笑いを浮かべてから、
「ごめんね、つい興奮して……。どうぞ上がって」
と、明るい声を出して空気を変えた。スリッパを彼の前に並べる慎ましやかな仕草に大人の女を感じる反面、幸一は生活臭さをも同時に感じてしまう。真理は幸一を応接間に通そうとしたが、幸一の要望で秋子の部屋に入った。
「周りはどんな様子やった?静かやったとか、車の音がうるさかったとか」
真理は記憶に耳を立てるような、幼くて可憐な仕草で幸一の美的感覚を満足させる。
「そうねえ、とても静かやったわ。多分、川の流れ落ちる音かな、ドオーッていう音が、声の後ろでしていたような気がするわ」
「上出来や」
妙に落ち着いた幸一の声に真理は不可思議な表情を浮かべたが、すぐに愛想笑いを浮かべて、
「幸一さんは秋子の居場所を知ったはるの?」
と、純朴な表現を浮かべた。
「だいたいね」
彼のそっけない答えに真理は表情をぱっと開いて、
「どこ?」
と、澄んだ瞳で幸一を見つめる。そんな純真な表情が素敵で、幸一は思わず唇を奪いたくなるような衝動に駆られた。
「清滝」
「ほんなら今から行ってみましょう」
しかし、幸一は微かに首を振って優しく言った。
「もう、そこにはおらへん」
彼女も予想していたのか、ゆっくと瞬きをしてから彼を見つめる。
「でも、明日には帰って来るって言わはったんやろう?」
彼女を励ますように優しく労わりつつ、高雄での二人の雰囲気と秋子が送ったサインから、秋子は無事に帰って来ると確信している。だが、ここで事実を話しても、真理の気持ちが収まらないような気がするので黙っていることにした。
「明日は四日目やから嵐山に行かはるはず。四日目の写真に、嵐山の風景が写った写真があったもの。そやさかい、嵐山に秋子を迎えに行くわ」
と、真理は幸一の気遣いなど全く気づかない様子で固い意志を全身にみなぎらせた。
「そやけど、嵐山言うても広いで。どうやって捜し出すんや?」
真理は不安な眼差しを隠すようにゆっくりと瞬きをしてから、
「嵐山を訪れた人が必ず通る場所があるやないの」
と、小声で囁いて、その小悪魔のように愛らしくて不敵な表情で幸一をどきりとさせた。
「渡月橋」
ぼそりと諦め口調で呟く幸一。
「これこれ」
急に声を弾ませた真理は、母が橋の欄干に寄り掛かり、保津川を背景に撮っている写真を幸一に示した。男がずっと持っていたと思われる、秋子に送られてきた写真だ。
「お母さんの影が橋の方に伸びているし人通りも少ない。つまり夕方の遅い時間に訪れてはる。恐らく、明日も夕方に橋を通る」
幸一は仕方なく真理の企みに協力した。真理は彼の言葉を聞いた後、やや不安そうに前髪を掻き撫でながら窓際に近づく。時折、石を砕くような音が堤防の方から伝わって来る。ここに来る度に耳にしている音なのに、今日はとりわけ気になった。
「外はうるさいね」
「そう?」
真理は全く気にならない様子で、さっきの写真を片付け始める。
「ほんなら、明日の午前中はどこか行こうか?夕方まで」
突然、幸一が明るく提案する。
「どこか連れてってくれはるの?嬉しいわ」
真理もぱっと明るい表情に移った。
「どこがええ?」
「平安神宮。お正月にしか行ったことあらへんし、正月はすごい人で何にも見えへんかったさかい」
まるで答えを用意していたかのように即答した彼女の瞳は、幼女のように素朴な輝きを放っていた。
翌日、岡崎公園の駐車場にバイクを置いた二人は平安神宮を目指して歩いた。
「あれは何?」
疎水の向こうに見える古い建物を、真理が細い指で差し示してから幸一を見上げる。
「美術館やと思う」
ちらりと彼女の指差す方向を一瞥した幸一は、気の抜けた答を返した。
「興味無さそうね」
「無い」
そっけない幸一の返事だが、真理は気にもせず、興味津々に辺りを見回して足取り軽く歩いている。公園のグラウンドでは野球をやっていた。その隣では、白いテニスウエアに身を包んだ若い女性たちがラケットを持って不器用に駆け回っている。幸一は彼女たちの汗を眩しそうに眺めながら、自分は汗をかかないようにゆっくりと歩いた。
「テニスしたいんでしょ?本当は……」
不意に、真理が幸一の心を覗き込む。
「あんな疲れること……」
「情けない」
真夏の太陽に反射して、真理の笑顔は眩しいくらいに輝いている。幸一には耐え難いこの直射日光も、真理にとっては、より美しく輝くためのエネルギーでしかないようだ。
冷泉通りを渡る時にふと手が触れ合って、自然に二人は握り合った。そうしたままでしばらく歩いた真理は、眩しそうに応天門を見上げて、
「大きいわあ」
と感嘆の声を上げた。
「境内に入る前に手を清めるんやったな」
大晦日の夜に真理に教わったことを思い出して、手水所まで彼女の手を引き、杓子で彼女の手に神水を掛ける。冷たく透き通った水が真理の白い手を濡らしていく様を、どこか別世界の出来事でも見ているような心持ちで眺めた。
今度は、真理が幸一の両手に神水を掛けた。汚れた物を清めているという意味では、こちらの方が実感が湧く光景だ。幸一は掌を神水で清めた後、二、三度手を振ってズボンで拭った。
「そんな所で拭いたら、せっかく清めた手が汚れてしまうわ」
大笑いしながら自分のハンカチを差し出す真理。
「いいよ。ハンカチくらい持ってるさかい」
そう言った幸一は、ポケットからヨレヨレの汚れたハンカチを取り出した。
「ズボンで拭きなさい」
真理は先程よりも大きく笑って、明るい空気を周囲に振りまく。
応天門を潜ると、壮麗な建物に囲まれた境内が目の前に広がる。丹朱が艶やかで、幸一は踵を引きずる昔ながらの歩き方でだらだらと歩いている。
こうして歩いていると、二年のブランクなど無かったかのような、ずっとこうやって二人で歩いて来たような錯覚に陥る。二人は、拝殿で賽銭を投げてから参拝の礼をとった。
「また、例のお願いしはったの?」
「うん」
幸一は頷きながら小さく笑う。
「この世から、ありとあらゆる災害や人災が無くなって、人類が平和に暮らせますように?」
八坂神社で幸一から聞いた祈りの言葉を記憶の奥から引き出してきた彼女は、真剣に手を合わせている幸一の姿を見て秘かに感心している様子だ。実際の幸一は、神仏に祈ったところで願いなど叶うはずもないと確信している。だから、どうせ叶わないのなら、絶対に叶うはずもないことを、平和、平和と唱えるだけで平和になると思っている無責任な平和主義者に対する皮肉をこめて祈っている。
二人は神苑の中へ進んでゆく。神苑に足を踏み入れた途端、夏を忘れさせる冷厳な空気が二人を包み込む。
「春と秋が最高。らしい……」
幸一は、花びらの無い枝垂れ桜に記憶の花を取り付けて感嘆する。
「前はその時分に来はったの?」
「いや、初めて」
幸一は動揺を見せずに嘘を言うことが出来て満足した。
「そう、上品な庭ね」
真理は、幸一の細かい嘘など気にも留めない様子で庭を愛でる。しばらくの間、二人は何も話さずに歩いていたが、白虎池の淵で幸一が不意に立ち止まった。
「今はどう思う?俺のこと……」
深緑色の池にたくさんの錦鯉が優雅に泳いでいる。
「好きよ、昔と同じくらい」
池にこぼれ落ちた真理の恥じらいを、錦鯉が拾ってゆく。
「ありがとう。でも俺はいい加減な男やで、相変わらず」
大きな溜息を吐けるほどの間の沈黙が流れた。
「みんな同じやわ。まだ若いし、中途半端……」
妙に大人びた真理の言葉に胸を突かれて、幸一は松の枝の透き間から青空を覗いた。
「人を傷つけてばかりいる……。自分勝手で、我がままで、強情で。自分を十分に制御できない……」
真理と視線を合わせるのが嫌で、鯉が跳ねるのをじっと待ちながら言葉を続ける。
「君と接すると、また君を傷つけてしまいそうで……自信が無い」
彼の言葉は、微風のように真理の頬をさすってから消え去った。彼女は微風を味わうかのように深く息を吸い込む。
「そんなのお互い様やわ。鯉が泳いだら右にも左にも波紋が広がるわ。人が何かをすれば、必ず誰かに波がぶつかる。その波が都合のいい時もあれば悪い時もある。若い時は起こす波も高いし、耐える力も弱い。みんなお互い様よ」
真理はそう言い残してぽつぽつと歩き始めた。昔から大人びた言葉で真理に諭されている自分を可笑しく感じながら、幸一は彼女に惹かれるように後を追う。玉砂利を踏む音が夏空に突き抜けて実に静かな夏だ。
彼がそんな幸福感に満たされていると、にわかに真理が幸一を振り返り、なぜだか赤ん坊のような微笑みを浮かべてから、すぐにまた背を向けて歩き始める。
幸一は真理に導かれるように歩みを速めて彼女と平行に歩む。そして幼児のような白い手を再び柔軟に握った。幸一は、手をつないだまま雲の上でも歩いているかのような実在感のない感覚に埋もれている。そんな感覚に満たされたまま周囲の景色を見渡してみると、深緑の池に太陽が乱反射して、雅な古の世界へと吸込まれてゆく。彼の心は古を旅しつつも、ふと真理の横顔が視野に入った瞬間に彼女を美しいと感じて大きな幸福の深呼吸をした。その瞬間、古の旅から心は解き放たれて、強い陽射しの照りつける現実の世界に引き戻された。
二人は白虎池に架かった渡殿に足を踏み入れて、手をつないだままのぎこちない体勢で欄干に身を寄せた。そして、静かに泳いでいる鯉を覗き込む。
「幸一さんは?」
遠くで鯉がぴしゃりと跳ねた。
「どう思ってはるの?」
鯉の波紋がこちらまでやって来ないかと、幸一は波の紋をじっと目で追ってみる。しかし、波紋は自然に消えて、元の静かな池の面に戻ってしまった。
「好きや」
小声で呟いた後、もう一度どこかで鯉が跳ねないかと目を凝らして捜している。
「ありがとう」
真理も深緑の面に目を凝らしながら、繋いだままの手をそっと握り直した。幸一も彼女の手を包み込むように柔らかく力を入れると再び鯉が跳ねた。
今度は二匹が同時に跳ねて、その波紋が二人の心の波のように幸一の目には映った。そしてその二つの波紋が重なった時、なぜだか幸一は心静かな満足感を覚えた。
拝観順路の中でも目玉である泰平閣は、たくさんの人が往来する。そして、みんな決まりごとのように、欄干に身をもたげたり、腰を掛けたりして写真を撮っている。
「写真が好きやなあ、日本人は。過去を振り返るのが好きな民族なのかな」
幸一が観光客を横目に見ながら呟く。
「思い出を大切にしはるのよ。人生を大切にしたいから」
真理が軽い調子で答える。
「思い出を振り返って、過去を肯定することが人生を大切にすることになるのかなあ」
「振り返ることが過去を肯定するとは限らないかもね。同じ過去を振り返っても、振り返る度に肯定したり、否定したり、主観的に変化するものやからね、思い出なんて……」
この二年間、お互いが相手のことをどんな過去として捉えていたのだろうかという疑問が自然に発生して、少々気まずい雰囲気が漂った。幸一は、焦燥気味に言葉を探しながら深い呼吸をすると明るい語気で照れくさそうに言葉を流す。
「今が愛おしいから、思い出に残したいだけなのかも知れへんな」
「そうやね。写真に残したことで安心できるのは事実やわ。いつでも思い出すことが出来るから。そやけど、その写真のおかげで今回は色々と手掛かりが出来た訳やけど」
真理は軽く左目を閉じて新鮮な笑顔を送った。静かな池のどこかで再び鯉の跳ねる音がした。
平安神宮をお訪ねの際はぜひ神苑をゆっくり散策してみてください。