第一話 夕風になびくもの 二
幸一のくしゃみは事件の予感か?
幸一は真理の身体の温かみを背に感じている。だが、高校時代に彼女を自転車の後ろに乗せた時のような熱い感動はない。北山橋を渡って堤防沿いに少し上がり、彼女が示す所でバイクを止めた。真理はメットをとって髪を整えながら、
「寄っていかはったら?」
と、小首を傾げて幸一を斜めに見上げた。
「でも、夜に迷惑やし……」
「大丈夫よ、祖母は部屋にこもりきりやし、秋子に会って欲しいわ。可愛いくならはったわよ」
真理は不意に左手を伸ばしてバイクのキーを左に回した。エンジンが止まり、諦め顔で幸一もメットを脱いだ。
「じゃあ少しだけ……」
真理の強引な行為に面食らって、そのまま彼女の指示とおりに動く。真理は幸一を応接間に案内し、部屋の真中に置かれたソファーに座らせてから部屋を出た。とても立派な建物だ。京都の旧家によく見る光景で、苔むした庭に、松の木が壮麗な枝振りを披露している。内部は少々手を加えていて、和洋折衷の造りになっている。彼がいる所はフローリングになっていて、二人掛けのソファが一脚と、一人掛けのソファが二脚、テーブルを挟んで並べてある。戸棚には高級そうなブランデーやウイスキーが並んでいた。
幸一が、応接間の縁側から薄灯りに照らされた庭を眺めていると、スリッパの軽い足音が廊下を近づいてきてドアが開いた。真理が、両手で赤い漆塗りの盆を持って慎ましく入って来る。巻寿司とお吸い物とお茶を、しなやかな所作でテーブルの上に置いた。その仕草が部屋の気品に溶け込んでいて、思わず白い指先に見とれてしまう。
「どうぞ」
その声に少し驚いた幸一は、大人びた美しさに揺れた心根を悟られまいと、うつ向いたままでソファに戻り、さっと手を合わせた。
「頂きます」
幸一と向かい合ってソファに腰を沈めた真理は、何とはなしに不安気な心の内を、その澄んだ瞳に浮かべている。
「どうかした?」
箸の動きは止めずに、視線だけを彼女に注ぐ。
「うん、大したことや無いけど、秋子がまだ帰ってへんの。遅うなる時はいつも連絡してきはるのに」
「まだ九時前やし大丈夫や。そのうち連絡してきはるよ」
幸一の言葉に少し不安を緩和させて、二人はしばしの楽しい食事時間を過ごした。しかし、刻々と過ぎていく時間が、幸一の励ましの言葉が何の根拠もないものであることを二人に知らしめて、昔話しも途切れがちで空虚な会話に変化していった。
「こんなこと一度やってなかった。祖母もそう言うたはるわ」
「お婆さんは?」
「最近、少し身体の具合を悪うしはって部屋にこもりきりやの」
幸一は背筋に不気味な寒気を感じて、思わずくしゃみをした。
「冷房効き過ぎてる?」
真理が労わるような瞳を幸一に向けた時、彼女が行方不明になった夜の、秋子の意地らしいほどの明るい振る舞いを思い浮かべた。そして夏だというのに、当時の寒くて心凍るような緊張感が懐かしく蘇ってきた。
「部屋、見せてもらってもええかな?秋子さんの部屋。何かわかるかも知れへんさかい」
真理は小さく頷いてすらりと立ち上がる。白いショートパンツに穿き変えた彼女の白い脚がきれいに伸びた。こんな時であるのに、背丈が自分の肩ほどしかない小柄な真理を後ろから抱きしめたい衝動を覚えた。
「どうぞ」
真理が先に入って灯りをつける。女の子の部屋らしく、明るい色調でまとめられており、化粧やら香水やらの甘い香りが充満している。秋子の部屋はニ階にある。幸一は香水の香りが苦手だ。部屋の香りに酔いそうになり窓を開ける。と、ここでも賀茂の流れが川面に街の灯りを映して、まるで細長い鏡が四条辺りまで敷かれているかのようだ。
幸一はまず机の上を調べる。教科書や辞書の類が右隅に積んである以外には、閉じられた文庫本と銀ぶちの眼鏡が置いてあるだけだ。
「友だちの所にでも泊まらはる積りかしら?」
「出掛ける時には、コンタクトレンズをはめていかはるの?」
幸一はドレッサーの隅に置かれた小さなケースを手に取った。
「ええ。眼鏡かけた顔は嫌いやって、よう言うてはったし」
幸一はレンズの収容ケースを開けてみたが、洗浄液が入っているだけでレンズは無い。
「最初から泊まる積りなら、このケースを持っていかはるやろうなあ、普通」
「忘れることもあるわ」
「そうやね」
敢えて反論はしないが、秋子は泊まる予定で出掛けたのではないような印象を受ける。幸一がケースを元の場所に戻した時、下の階で電話が鳴り始めた。ハッと、真理が期待と不安とをその瞳に浮かべて階段を駆け下りてゆく。幸一もゆっくりと後に従う。彼は不安な気持ちに満たされた。この電話が何か悲劇的なものを引き寄せてくるような予感を覚えている。
「秋子!」
第一声で真理が大きく叫んだ後は、安堵と不安が入混じった複雑な表情を浮かべて、じっと秋子の話しに聞き耳を立てている。
「こっちは大丈夫よ、何も変わりないわ。あっ、幸一さんと偶然会ってね、今来てはるんよ、そやさかい早よう帰って来て」
そう言った後、更に相槌を打ちながら集中して聞いている。
「ちょっと待って」
最後に真理が叫んだが通話は切れたらしく、静かに受話器を戻して小さな溜息を一つ落とした。幸一は彼女の手元から零れた色気を感じながら、小さな唇が開くのを待った。
ほんのわずかなしじまが不気味に過ぎ去った後、真理が穏やかに身を翻して、不安を一杯に封じ込めた視線を投げ掛けてくる。幸一は再び、紅梅が冷たい雨に耐えている健気な美しさを思い出した。
「秋子から。母の昔の女友だちと、円山公園にある料亭で食事してはるって。今晩はその人と旅館に泊まるけど心配いらへんて。それから、母には絶対言うたらあかんて言わはった。理由を聞いたけど、とにかく言うたらあかん、後でちゃんと説明するさかい今はお願いを聞いてって……。それで切られてしもたわ」
「女友だち?」
「ええ、昔の女友だちとしか……」
「明日戻るって言わはった?」
「尋ねたけど、はっきり言わはらへんの。とにかく大丈夫や、心配いらんて……」
「そうか。まあ、秋子さんは無事やし、ひと安心やな。事情はわからんけど、身体が元気ならええやないか」
「そうやね。元気な声やったし、安心安心」
真理は明るい作り笑顔を浮かべる。幸一は電話の前で立話をしている不自然さに気がついて、
「もう一度、部屋を調べてみよか?」
と、やや強い口調で提案して、返事も待たずにひとりで歩き始めた。真理も彼にすがり付くようにして階段を上がってゆく。
「引き出しの中も見せてもらうよ」
「ええ」
幸一は秋子の机にある二つの引き出しを静かに引いた。上の段には文具などがあって、別段変った物は無い。だが、下の引き出しには少々変わった物がある。
変色した古惚けた紙袋と新しい白い封筒、それから、どこかの店の古いマッチ箱が一箱ある。新しい封筒には住所が書かれているので郵便物のようだ。古い紙袋には何も記載されておらず、長い間どこかに保管されていたような感じだ。幸一は、まず古い紙袋を手にとって中の物を机の上に広げてみる。
「まあ、お母さんの写真やわ。えらい若い頃の写真みたい」
真理は嬉しそうに二、三十枚の写真を手に取って一枚一枚眺めてゆく。幸一も彼女が見終わった物を順次見つめていった。
今の真理と同じ年頃の写真だ。モノクロでなかったら、真理の写真だと言われても疑えないほど良く似ている。京都の名所で写したようで、裏に書かれた年月日順に分類してみた。すると、それらはすべて昭和四十八年の九月二十七日から三十日の間で撮られた写真だった。
「昭和四十八年。今からちょうど二十年前やねえ。旅行にでも行かはった時の写真かしら?」
そう言って怪訝そうに首を傾げている真理に、
「京都生まれの京都育ちの人が、四日間も掛けて京都を旅行しはるのかなあ」
と、幸一が助言する。彼の言葉に少し納得した真理はちょっと考えてみてから、
「そしたら、父と一緒に回ったとか。父は京都生まれやないさかい」
と、自身ありげに提言する。
「それやったら、お父さんと一緒の写真が一枚ぐらいあってもええやろう。全部、お母さんがひとりで写ったはる」
漠とした疑問に包まれた幸一は小さな吐息を吐いて、最近の物らしい、もうひとつの白い封筒の中身も取り出してみる。中からは、同じく母の若い時の写真が一枚だけ出てきた。どこかの橋の上で撮った物らしい。しかも、なぜか写真の縁が切り取られていて痛みが激しい。幸一は、写真の束を再び繰ってみる。
「無いなあ」
幸一が怪訝そうに呟く。
「何が無いの?」
「こっちの写真の束には、この橋の上で撮った写真が無い」
「そう」
なぜ幸一がそんなことを気にするのか理解できずに彼の瞳を覗いた真理は、その輝きに胸を突かれたように息を飲んだ。
「何でこの一枚の写真だけ縁を切り取ってある?何で日付がない?何でこんなに古びて傷んでいる?何で新しい封筒に入っている?」
幸一はやや興奮気味に疑問点を声に出している。
「知らんわ、そんなこと……」
熱くなってきた幸一に置いてきぼりにされた感じがして、真理は少しロを尖らせた。
「これを見て」
幸一は新しい封筒を真理に手渡す。それは秋子宛てにはなっているが、送り主の名前も住所も書いていない。
「怪しい手紙やわ」
裏表を何度も返して見ながら、彼女は小首を傾げて左手でそっと前髪を横へ流した。なぜかその仕草に幸一は安堵する。
「スタンプが擦れていて郵便局名はわからんけど、消印は七月二十五日で今日は八月三日」
真理は口をつぐんだまま頷く。
「お母さんの昔の友だちとやらが、この手紙で秋子さんを呼び出したんと違うやろか。昔の友だちであることを示すために、若い頃の写真を同封してきた。手紙の到着日は消印の翌日ぐらいやろうから、日程的には、まあまあ辻褄が合う」
「その、秋子を呼びだした手紙はどこにあるの?」
真理は幸一の仮説をまだ信じられないようだ。
「秋子さんが持って行った。手紙に待ち合わせ場所の地図でも書いてあったんやろう。円山公園言うても広いさかい」
真理は感心したように彼の瞳を見つめて頷く。幸一は古いマッチ箱を手に取って見る『クラブすみれ』と書いてあり、これもかなり古い代物だ。
「『クラブすみれ』は知ってる?」
「さあ、知らんわ。クラブなんて行ったことあらへんし」
「祇園、新橋か。聞いたことない店やなあ」
マッチ箱の横に書いてある佳所を読んでみた。
「幸一さん、祇園のこと詳しいの?」
「以前、祇園の店でバイトしていたことがあるから」
「へえ、私も飲みに行きたいわ」
ふと、二年前の元旦に二人で酒を飲んだことが思い浮かんだ。ほんのりと頬を紅く染めた愛らしい酔い方が懐かしくて、あの時の雰囲気がふっと流れてきて、その懐かしい香りに背筋が熱くなった。
「何で、お母さんの若い時分の写真や、古いマッチ箱を秋子さんが持ってはるのかな?」
本題に戻った幸一の疑問に、真理は軽く微笑んでから答える。
「この部屋は、昔母の部屋やったの。その机もドレッサもみんな。そやさかい、押入の奥からでも出て来たのと違うやろか」
自分の情報提供に幸一が熱心に耳を傾けていることが嬉しい様子で、真理は自慢げな瞳で彼を見つめる。
「なるほど。お母さんも、こんな物を置いていることすら忘れてはるのかも」
窓から吹き入る快風に誘われるように、彼はふらふらと窓際に近寄る。そうして外の空気で肺を満たしながら見るともなく星の瞬きを見つめた。
「あれ?前の道路、工事してるの?」
工事の赤い表示灯が何列にも並んでいる。
「道路と違うわよ、堤防をきれいにしてはるの」
竹原建設という文字が赤い灯に照らされている。
「人間の目は不思議やなあ。さっき門から入るときにも目の前にあったはずやのに、家の方ばかりに気を取られて全然気づかなかった」
真理も机から離れて、秋子のベッドに腰掛ける。
「昼間やったらもっと賑やかやし、すぐに気づかはるわ」
と言って、些細なことを面白がる彼の背中を見つめて軽く笑った。そうして真理も、窓からの涼風を心地よく肌に感じて大きく息を吸い込んだ時、幸一が突然振り返って真理をじっと見つめた。
「どうかした?」
わずかに狼狽する真理。幸一は白いジーンズのポケットからパスケースをゆっくりと取り出し、中を開いてじっと見つめる。自分の発見に興奮したのか、微かに手が震えている。
「ねえ、どうしたん?」
「さっきの縁なしの写真。どこかで見覚えのある写真やと思って思い出そうとしてたんや」
幸一は手にしたパスケースを彼女に手渡す。中には一葉の写真が入れてある。
「まあ、大晦日の夜に幸一さんにあげた写真やね、ずっと持っていてくれはったの?嬉しいわあ。高校一年の時に、嵐山の渡月橋で秋子と撮ったのよ」
嬉しそうに話している真理の目の前に、幸一はモノクロの写真を差し出す。
「やあ偶然やわ。同じような場所で撮ったみたいやわ。母が二十年も前に撮らはった所で私らも撮影したんやわあ。そやけどこれがどうかした?渡月橋ではみんな写真撮らはるし、そんなに不思議やないでしょ?」
「問題は写真の大きさや」
「大きさ?」
秋子のベッドに腰掛けている真理の横に幸一も座り、パスケースから写真を取り出した。
「ほら、同じぐらいの大きさや」
幸一のパスケースは、電車の定期券がきっちり入る大きさだ。
「本当。そしたら秋子を誘い出した人は、母の写真をパスケースに入れて持ち歩いていたということ?」
「そう。ずっと持っていたら何かと傷むものやし、二十年も持っていたらこのくらい傷むのは当然やろう」
真理は不可解な表情で幸一を見つめながらも、彼が口にしそうな言葉を恐れている。
「そう。俺なら、男友だちの写真をパスケースに入れて二十年間も持ち歩かへん。真理ちゃんは?」
「普通は同性の写真は持ち歩かへんわ。稀には同性が好きな人もいたはるけどね」
真理の表情は硬く固まってゆく。幸一はそんな彼女を哀れに感じたが、意識は疑問解決に執着している。
「まあ、男にせよ、女にせよ、お母さんと仲良しでないことは確かやな。少なくとも今は」
幸一はパスケースをジーンズのポケットにしまい込んだ。
「秋子と話しがしたいなら、普通は母を通じて連絡するものね。わざわざ写真付きで直接手紙なんか出さなくても」
真理は少し固さを崩したものの、憂鬱な表情を浮かべて幸一と共に真相を探ろうとしている。
「そのとおり」
真理の暗い横顔を心配そうに見つめながら相槌を打った。
「じゃあ、何で秋子は嘘を言わはったんかなあ?」
「そら、君やお婆さんを心配させたくないからや」
「母に連絡したらあかんて言うのは?」
「お母さんに心配掛けたくないから」
幸一はそう言ったものの、釈然としない漠然としたわだかまりがある。彼は真理と並んで腰掛けたまま、秋子の机をぼんやりと見つめ、自分の頭を整理するかのようにぽつぽつと語り始める。
「お母さんの知人の男は、ここにあるお母さんのたくさんの写真と同じ写真を持っていると思われる。その中のお気に入りの一枚を二十年間持ち続けていた。そして、何らかの目的で秋子さんを呼び出した。その際に、お母さんを知っていることを示すために、肌身離さず持っていた写真を送ってきた」
テレビドラマの探偵口調で推理を披露する。
「なかなか鋭い推理ですねえ」
探偵を気取っている幸一を茶化すようににっこり笑ってから、
「でも探偵さん、その男の人がたくさん写真を持っているとしたら、お気に入りの一枚を送ってくるかしら?私なら他の写真を送るけどなあ」
と愛らしい反問を試みた。幸一は彼女が笑顔を浮かべたことに少し安堵する。
「ごもっとも。と言うことは、その男はここにあるような写真は持っていない。昔、お母さんに渡月橋の写真を一枚だけもらったと言うことかな?俺みたいに……。そうすると、男はお母さんに想いを寄せていた人、或いは寄せている人と言うことになる」
「嫌やわ、そんなん」
幸一の言葉を受け入れられないようにそっぽを向く。
「もらった写真とも限らへんか」
男と母が一緒に旅して男が写したと言う考えが浮かんだが、口にはしなかった。
「幸一さんみたいに望遠レンズで隠し撮りしはったのかも」
「俺が隠し撮りしたわけやない。頼んだだけや」
「教唆犯ね」
真理は、小さく笑ってから続ける。
「そやけど」
何かに気付いたのか彼女の表情が静かに曇り始める。
「そやけど?」
真理を動揺させないように優しい瞳で尋ねる。
「その知人がほんまに男の人やったら秋子は……」
幸一も彼女と同様に不安を覚えつつ、ベッドから離れて窓際に近寄って星空を見上げた。
「仮にも君のお母さんに想いを寄せていた男なら、その娘に危害を加えるようなことはしない。絶対に。それに、危険を感じたら秋子さんは君に助けを求めるやろ」
窓の外を見ながら放った楽観的な言葉が夜空に虚しく吸収されてゆく。
「それに、秋子さんを呼び出した知人がひとりとは限らへん。写真を送ったのは男でも、今晩は女性も一緒にいるかも知れへん。目的はわからんけど、秋子さんとゆっくり話したり何かを聞き出したりしたいのなら女性がいる方が安心するさかいな」
架空の楽観論も夜空に吸い込まれてしまう。少しの沈黙が流れた後、
「星がきれいね」
いつの間にか幸一に並んだ真理が澄んだ声を夜空に届けた。彼女の声が妙に明るくて、澄みきった夏の夜空に響き渡るようだ。更に窓から身を乗り出して星を見上げると小さく囁く。
「ありがとう」
幸一の思いやりに彼の手をそっと握った真理に、これ以上空虚な言葉を浴びせるのは止めにした。真理も覚悟を決めた様子だ。ここで二人があれこれ推察して心配したところで仕方が無い。真理がそんな風に語り掛けているような気がする。
「お願いがあるの」
やや落ち着きを取り戻した瞳を幸一に向ける。
「今夜、この家にいて欲しいの」
少々刺激的な誘いだが、この状況下では言葉以上の意味は一切頭を過ぎらない。
「もし秋子に何か起きて急に連絡があったら、うちひとりでは何もできひんさかい」
悲しいほど美しい瞳。
「良いよ、喜んで」
そう答えて微笑んだ時、真理が幸一の胸に頬を寄せた。彼は無言のまま、胸の高鳴りを悟られはしないかと心配しながら彼女の髪を優しく撫でていた。