第41話 決めた
「ザフィルを俺に殺させて、お前は何がしたい」
メイランが冷たくカルブに問いかけた。シルリネアは、こんなに冷え切ったメイランの声を聞くのは初めてだった。冷たい声の底には、煮えたぎる岩漿よりも激しい怒りが隠れている。それが、恐ろしさをより引き立てる。
カルブは嬉しそうに笑った。
「主様が死にたいって思ってるから、誰かに殺してほしいだけ。シルリネアに殺してもらってもいいんだけど、主様の魔法を無力化できる人、兄様しか知らないんだ」
子犬がペロリと舌なめずりをする。
「きっと主様を殺せるのは兄様だけだから、ボクは兄様にお願いしてるんだよ」
危険だ。
メイランの体が、心が、警鐘を鳴らしている。
こいつをザフィルの、弟の近くに置いてはいけない。こいつは忠義の皮をかぶった不義者だ。
主の望みが死なら、それを叶えるのが忠義なのか?
否。
主の生を望むのが正しいはずだ。死を望む理由を取り除こうとするのが、忠義だ。共に悩むのもいいだろう。
だが、この化け物はそうではない。
言葉を弄し、主の望みを弄んでいるだけだ。
その一方で、ザフィルが数多くの罪を犯しているのは事実だ。
罪なき人を、村を、街を、国を滅ぼした。
それは、死に値する大罪だ。
考えるだけで苦しい。
「ザフィルを連れてこい」
メイランが低い声でカルブに言う。
「今じゃなくていい。だがザフィルに会わせろ、直接話を聞く。それでもし、あいつがどうしようもねぇなら——」
ありとあらゆる感情が、記憶が、メイランの心を乱す。
幼い弟の、小さな手が脳裏をよぎった。
舌足らずに呼ぶ声が、今も耳の奥で響く。
シルリネアが故郷を語った時の声音が、表情が、メイランを打ち据える。
薄荷色の瞳に叱咤された気持ちで、メイランはカルブを睨みつけた。
「そん時は、てめぇの頼みじゃなく、俺の意思で殺す」
******
ザフィルはカルブの目で、メイランたちを見ていた。
「ねえメイラン——」
ローブに隠れていた両手を出し、それを見る。節くれ立って醜く、歪んだ両手。
歪んでいるのは、折れた時に適当に繋いだからだ。支障なく動けば、形など二の次だった。
「僕はもう、歪んで壊れているから——」
虚無の力が噴出し、一帯の生命を消し去る。
「そんなに大事にしないで」
手をローブの内側に戻して、ザフィルは安堵した。
何もないこと、それだけがザフィルの心を安らがせる。
できるなら、自分こそが虚無に飲み込まれたいと思っていた。
******
シルリネアは、メイランの言葉に困惑していた。
ザフィルを殺す。メイランが? まだ決まった訳ではないが……それでも……。
嬉しく思う自分がいることを、自覚する。メイランが自分と同じ方向を向いてくれるのは、ごく単純に嬉しいことだった。
それでいて、不安もよぎる。メイランに、弟を殺させてしまっていいのだろうか。
シルリネアは、メイランが弟のことを懐かしそうに話す姿を知っている。会えない可能性が高いと理解してなお、探していると言った時の表情を記憶している。
どの表情も、愛情にあふれていた。
——少し、嫉妬してしまう程に。
メイランがザフィルを殺す。
それで本当に、いいのだろうか。
カルブは甲高く笑った。
子供の歓声に近い声なのに、愛らしさは感じない。妙に耳に障る。
「わかったよ、兄様。今度主様に聞いてみるね。きっと主様も喜ぶと思う。だって主様、兄様のことをすごく気にかけていたから」
ぴょんぴょん飛び跳ねて、喜びを表現する。
メイランは唾棄する思いでカルブを睨みつけた。
「なら早く行って、ザフィルとナシつけてきな」
「そうだね。じゃあボク、もう行くね。兄様、またね」
カルブはそう言い残して、煙のように消えた。
シルリネアは、後ろ手に用意していた弓矢を片付けつつ、メイランに問う。
「あれで良かったの?」
メイランを巻き込む気はなかった。それなのに……。
メイランは少し悲しそうに笑い、首を横に振った。
「あれしかねぇだろ。俺にしか決められねぇことだし、今度はちゃんと決断しねぇとな」
「ねえ、今からでも……」
今からでも、何だというのだろう。シルリネアは、言葉が続けられなかった。
ここで別れたとしても、もはや意味がない。カルブは、メイランのもとにザフィルを連れて来るだろう。そしてザフィルはきっと、メイランを傷つける。
「……メイランに、悲しい思いをしてほしくないのに……」
無性に悔しかった。シルリネアはうつむき、拳を握る。自分があまりにも非力に思えた。
メイランは苦笑してシルリネアの正面に回り込み、しゃがんだ。うつむいたシルリネアと視線が合うように、彼女の顔を見上げる。
「ありがとうな。でもこれは、今まで逃げ回ってたことを精算するだけだから。シルリネアも力を貸してくれよ。お前がいねぇと俺、また逃げちまいそう」
せっかく隠した顔を覗き込まれて、シルリネアは思わず笑ってしまった。彼はいつも、こうやって心を軽くしてくれる。
「……じゃあ、離さないようにしなきゃね」
「そうして」
メイランは微笑んで立ち上がり、シルリネアをそっと抱擁した——あくまでも、控えめに。
「天嶺に行こう。青嵐の本拠地があるんだ。ファラン姐もショウランも戻ってるはずだから、顔を見せに行くのもいいな。そんで、今後のことも相談しよう」
シルリネアはメイランの背に手を回し、頷いた。




