レムナント・コア
第1話:棄てられた星
「じいちゃん、行ってくるよ」
湿った冷気が漂う暗がりに向かって、俺は声をかけた。
かつて「地下鉄」と呼ばれていた場所。錆びついたレールと、ボロボロになったタイルの壁
「ああ、気をつけるんだぞ。無茶はするな」
奥にある転轍手の詰所跡から、おじいちゃんの掠れた声が返ってくる。
俺は腰のナイフの柄を一度だけ確かめると、地上へと続く階段を登り始めた。
一歩、外へ踏み出す。
西暦2700年。地球は、荒廃していた。
かつて「ニューヨーク」と呼ばれた都市の残骸が、そこには広がっていた。
空を突いていたはずの高層ビルは中ほどから無残に折れ、剥き出しになった鉄骨には太い蔦が蛇のように絡みついている。アスファルトを突き破って巨大な樹木がそびえ立ち、かつての目抜き通りは深い緑の峡谷へと姿を変えていた。
静寂。
時折、遠くでコンクリートが崩れる乾いた音と、動物の低い鳴き声が響くだけだ。
肺に吸い込む空気は、湿った土と、どこか懐かしい獣の匂いが混じっている。
俺は、ボロボロの布で口元を覆い、茂みの奥を見据えた。
視線の先には、足を引きずり、弱々しく鳴く子イノシシが一匹。
「……」
だが、俺の足は止まった。
肌を撫でる風の中に、わずかな違和感がある。子イノシシの鳴き声に合わせるように、背後の藪で微かに草が擦れる音がした。
――囮か。
おじいちゃんの口癖が、脳裏をよぎる。
『獣の牙を疑うな。その奥にある「知恵」を疑え』
俺は子イノシシへの意識を切り離し、気配の主――死角に潜む親の居場所を特定するために神経を研ぎ澄ませた。
俺は足元の石を拾い、あえて子イノシシとは逆の藪へ全力で投げつけた。
――ガサッ!
その音に反応し、藪から巨大な影が飛び出す。剛毛に覆われ、醜く進化した巨大な牙を持つ親イノシシだ。
親イノシシが着地し、こちらへ向き直る。鼻から荒い息を吐き、知覚の鋭い目で俺を品定めする。
「来いよ……!」
一撃凌いで、あのビル影の隙間へ滑り込めば逃げ切れる。イノシシが前足を掻き、突進の予備動作に入った、その時だった。
ふっと、辺りの光が消えた。
雲が太陽を遮ったのではない。もっと巨大な、圧倒的な何かが頭上を覆ったのだ。
見上げれば、ビル群の隙間に覗く空を、無機質な黒い巨影が音もなく横切っていた。
鉄の塊か、あるいは空飛ぶ島か。その底知れぬ影から、ゆっくりと「雪」が降り始めた。
いや、雪じゃない。
それは、灰色をした、乾いた粉塵。
「……ッ、ゴホ、ゲホッ……」
喉にまとわりつく粒子に、思わず激しくむせ込む。呼吸をしようとするたびに、細かなチリが気管を塞ぎ、静かだった森の空気が一変して苦しさに満たされた。
さっきまで殺意に満ちていたイノシシさえも、天を仰いで震えている。知能が高いゆえに、それが「抗えない何か」だと本能で悟ったのだろう。イノシシは情けない悲鳴を上げ、狩りを放り出して森の奥へと逃げ去った。
降り注ぐ灰は、見る間に森の緑を、俺の服を、汚い灰色に染めていく。
空に君臨する「何か」が、また無慈悲に世界を汚していく。
「……なんだ、あれは」
見上げた空には、太陽を隠すほどの巨大な影と、そこから吐き出される「灰」が、ただ静かに世界を埋め尽くそうとしていた。




