44話
空き家の中、炉の火が細く鳴っていた。
火の色はもう高くない。
薪の芯だけが赤く残り、時折、乾いた音を立てて崩れる。
そのかすかな明滅が、寝台に横たわるフィアの頬を弱く照らしていた。
熱はまだある。
呼吸は浅いが、眠りは少しずつ深くなっているようだった。
シリウスはその傍らに座ったまま、ほとんど身じろぎもしなかった。
剣は手を伸ばせば届く位置にある。
何かあればすぐに立てるように、背筋だけはずっと起きていた。
反対側の寝台では、ルカが壁にもたれて目を閉じていた。
眠っているようにも見える。
だが、シリウスが低く名を呼ぶと、すぐに返事が返った。
「……何」
「起きているな。ちゃんと休んだほうがいい」
「そっちこそ」
ルカはうっすら片目を開ける。
火の色を受けたその目に、軽さはあった。
けれど、それを支える余裕はいつもよりずっと薄い。
シリウスは少しだけ間を置いてから言った。
「あの拠点の状況は異常だった」
ルカは答えない。
答えないまま、視線だけをこちらへ向ける。
「戦闘の跡には見えなかった。片づけられた、というほうが近い。しかも一方的に」
「うん」
「野盗同士では、ああはならない」
「ならないね」
「教会の追っ手とも違う」
シリウスの声は低い。
怒りとも不安ともつかないものを、どうにか押し殺した声だった。
「もし教会の人間なら、あの場にフィア様だけを残していく理由がない」
「……そうだね」
ルカも同意した。
だが、その同意にはどこか引っかかりがあった。
シリウスはそれを見逃さない。
「どんな可能性がある?」
その問いに、ルカはすぐには答えなかった。
沈黙が落ちる。
炉の火がひとつ、ぱちりと鳴った。
ルカは壁に預けた頭を少しだけ動かし、天井を見た。
何かを考えている顔だった。
あるいは、考えたくないものに触れた顔にも見えた。
「……少し考えさせて」
ようやく出た声は、いつもの軽さを薄くまとっていた。
けれど、その芯にはわずかな硬さが残っている。
「考えがまとまらない」
シリウスは視線を伏せる。
「私では分からない。どうしてあんなところで、フィア様だけが残されていたのか。
……何か分かるなら教えてくれ、ルカ」
「僕が思いつくのは……」
ルカはそこで小さく息を吐いた。
痛みが走ったのか、胸元を押さえる指先に少しだけ力が入る。
「いや、今ここで断定したくない。外れたら最悪だし、当たってても面倒だから」
そう返したあと、ルカは目を閉じた。
そのまま少し黙る。
シリウスもそれ以上は追わなかった。
追えば何か出るのかもしれない。
だが、今その答えを急くことが正しいとも思えなかった。
寝台の上で、フィアの呼吸がひとつ深くなる。
二人の視線が同時にそちらへ向いた。
熱に浮かされているせいか、うっすらと眉が寄っている。
何か夢を見ているのかもしれない。
ルカが小さく呟いた。
「……本当に、無事でよかった」
シリウスは、静かにフィアの額の布を替えた。
冷たい布が載せられた瞬間、フィアの表情がほんの少しだけ緩む。
その変化を見届けてから、シリウスはようやく短く息を吐いた。
「明日、フィア様に話を聞く」
「そうだね、必要だ」
ルカは目を閉じたまま返した。
「でも、熱がもう少し下がってからにしよう」
その言葉に、シリウスは何も返さなかった。
ただ、否定もしなかった。
夜はそのまま、静かに更けていった。
朝の光は、細くカーテンの隙間から差し込んできた。
まだ空気は冷たい。
けれど夜の底を越えた明るさが、部屋の輪郭を少しずつ浮かび上がらせていく。
フィアが目を開けたとき、最初に見えたのは天井の木目だった。
次に、傍らに置かれた椅子。
その向こうに、シリウスの姿があった。
眠っていないのだと、すぐに分かった。
姿勢は昨日の夜とほとんど変わっていない。
ただ、目の下にわずかな疲れが落ちている。
「……フィア様、起きましたか」
低い声が、静かに落ちる。
フィアは少し遅れて瞬きをした。
「……おはよう、シリウス」
声は昨日よりましだった。
熱も少し下がっているらしい。頭の重さは残っているが、視界はずっとはっきりしている。
部屋の反対側では、ルカが壁にもたれて座っていた。
起きてはいるが、まだ顔色は悪い。
腹から脇へかけて巻かれた布が、昨夜よりもはっきり見える。
「おはよう、フィア」
いつもの調子で笑ってみせる。
だが、その笑いも少し薄い。
「熱、少し下がったみたいだね」
フィアは頷いた。
「私より、ルカのほうが……」
「僕は平気、慣れてるからね」
その会話の合間、シリウスが水を差し出す。
受け取って口をつけると、喉がようやく自分のものに戻ってきたような気がした。
少しの沈黙のあと、シリウスが口を開いた。
「……覚えている範囲で構いません」
その声には、ためらいがあった。
聞きたいのではない。
聞かなければならないから、聞く。
そういう響きだった。
「無理にとは言いませんが、話していただけますか」
フィアは水筒を両手で持ったまま、少し目を伏せた。
話せるだろうか。
思い出そうとすると、胸の奥がざらつく。
けれど、話さなければいけないのも分かっていた。
「……うん」
小さく頷く。
その一言で、部屋の空気がわずかに変わった。




