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many merry bad ENDs  作者: 源泉


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43話

村へ辿り着いたときには、空はすっかり夜の色に沈んでいた。


山の中腹にへばりつくように造られた小さな村だった。


斜面に沿って建つ家々の窓には、もう消えかけの灯りがぽつぽつと残っている。

遠くで、薪のはぜる小さな音がした。

煮炊きの匂いも、冷えた夜気に薄く混じっている。

どこかの家の犬が一度だけ低く吠え、すぐに静かになった。


人の気配がある。

それだけで、フィアは胸の奥がわずかにほどけるのを感じた。


村の入口には、簡素な見張り小屋があった。


槍を立てかけた男が二人、火鉢のそばで交代の時間を待っていたらしい。

蹄の音に顔を上げ、こちらを見たあと、そのうちの一人が目を細めた。


「……ルカ?」


呼ばれたルカは、馬上で片手を上げる。


「うん、こんばんは。遅い時間にごめんね……ちょっと色々とあってさ」


「ちょっと、って顔じゃないだろそれ」


見張りの男は呆れた声を出したが、すぐにその顔から冗談の色が引いた。

馬から降りようとしたルカの動きが、目に見えて鈍かったからだ。


「おい、誰か呼べ。先生起こせ」


もう一人が村の奥へ駆けていく。


ルカは苦笑した。


「大げさだなあ。死にそうってほどじゃないよ」


「お前の“死にそうじゃない”は当てにならん」


言い返される間にも、シリウスは馬から降りてフィアの体を支えた。

地面に足をつけた瞬間、力が抜けそうになる。

シリウスの腕がなければ、そのまま座り込んでいたかもしれない。


見張りの男はそれを見て、フィアへ一瞬だけ目を向けた。

だが余計なことは聞かなかった。

ルカとつるんでいる連中に、事情を深く尋ねてもろくな答えが返ってこないと知っているのだろう。



「いつもの空き家、使える?」


ルカが腹を押さえたまま訊くと、男は頷いた。


「昼に風だけ通してある。寝る分には問題ない」


「うん、いいね。とりあえずそこに行こう」


ルカがフィアとシリウスを振り返ると同時に、そこへ、何人かの村人が走ってきた。

皆、ルカの顔色を見て眉をひそめる。


「先生を起こしてきた、ルカ、お前は先に診療所だ」


「え、今?」


「今」


問答の余地がない調子だった。

二人の男に両側から支えられるルカ。

ルカは肩をすくめようとして、途中で顔をしかめた。


「……じゃあ、お願い。シリウス、フィアを先に空き家へ。村の真ん中の井戸を越えて二軒目」


「いいから、後は俺たちがやる」


呆れたように言われても、ルカはまだ口を挟もうとする。


「布団は押し入れの中。ああ、でも先に火を――」


そこまで言ったところで、半ば引きずられるように連れていかれた。


手慣れた村人たちと、そうされるのに慣れているらしいルカを、フィアとシリウスはただ見送ることしかできなかった。


「何度か死にかけながらこの村に来たことがあるけど、なかなかあいつはしぶといから大丈夫だ」


見張りの男が鼻で笑い、もう一人がシリウスたちへ向き直る。


「案内する。ついて来てくれ」


徐々に遠ざかるルカは振り返り、フィアへいつもの調子で笑ってみせた。


「すぐ戻るよ。先生に怒られてくるだけだから」

「夜中に、怪我人が、大声を出すな!」


たしなめられるルカ。

フィアはルカの言葉に少し遅れて頷いた。


「……うん」


その返事を聞いてから、ルカは診療所の方へ連れていかれた。


村の中は、夜更けの静けさに包まれていた。

先程までの山道の静けさとは違う。

こちらは、人が寝息を潜めている静けさだ。

扉の向こうには生活があると分かる音の薄さだった。


見張りの男に案内されて、三人は細い坂道を上がる。

石段の角がすり減っている。

何度も人が行き来した跡だった。

フィアはシリウスに半ば支えられるようにして歩いた。

足が重い。

疲れのせいか、眠さのせいか、自分でも分からない。


「ここだ」


案内された家は、村外れに近い小さな空き家だった。

板壁は古いが、荒れてはいない。

戸を開けると、閉め切った空気の匂いはしたが、廃屋のような淀みはない。

時々人が使っているのだろう。

卓と椅子、粗末な寝台、隅の棚。

壁際には薪も積まれていた。


「水差しは裏。火口は棚の上だ。何かあれば声をかけてくれ」


見張りの男はそれだけ言って、深入りせずに去っていった。


戸が閉まる音がしたあと、家の中は急に静かになる。


シリウスはまずフィアを椅子へ座らせた。

そのまま座っていられると思ったのに、膝が頼りなく揺れる。

シリウスが手を離しかけた瞬間、また支え直された。


「……大丈夫ですか」


「うん、平気」


フィアは、自分で答えたはずの声が、ひどく遠く聞こえた。


シリウスは無言で棚を探り、火口石を取り出す。

不器用ではないが、慣れているとも言えない手つきだった。

何度か火花を散らし、ようやく炉に火を入れる。

乾いた薪が燃え始めると、部屋に少しずつ温かさが広がる。


その火を見ているうちに、フィアの体からさらに力が抜けていく。


村に着けば落ち着く。

そう思っていたはずなのに、落ち着いた途端、今度は何も支えきれなくなったようだった。


「フィア様」


呼ばれて顔を上げる。

シリウスがすぐ前に膝をついていた。


「顔色が悪い」


そう言われても、よく分からない。

寒くて、だるくて、でも頭の芯だけが妙に熱を持っている。


「少し……疲れた、だけ」


言い切る前に、シリウスの手がそっと額へ触れた。


その手は、自分が思っていたより冷静だった。

慌てるのではなく、確かめるような触れ方だった。


「……熱がありますね」


フィアは瞬いた。


自分で分からないほど、ぼんやりしていたらしい。

言われて初めて、目の奥が熱いことに気づく。

指先は冷たいのに、額だけが妙に重い。


「寝てください」


「でも、ルカが……」


「ルカは診療所です。戻って来るとしても、先生に診てもらってからです」


シリウスは穏やかに言う。

穏やかだが、逆らわせない声だった。


寝台へ移される。

毛布が肩まで掛けられた瞬間、ようやく本当に今日が終わるのかもしれないと思った。


シリウスは裏へ出て、井戸水を汲んで戻ってきた。

布を濡らし、固く絞り、額へ載せる。

冷たさが気持ちよかった。

水を飲ませる手つきも、ひどく慎重だった。壊れ物でも扱うように、少しずつ唇へ寄せてくる。


「休んでください。ルカのことは気にしなくていい」


そう言われて、フィアは小さく頷いた。


目を閉じれば、すぐ眠れるはずなのに、意識はなかなか沈まなかった。

代わりに、断片だけが浮いてくる。


黒い髪。

灰色の目。


シリウスが呼んだ自分の名前を、あの低い声でなぞられたこと。


フィアはうっすらと眉を寄せた。


「……フィア様?」


シリウスの声が近い。


「ううん……なんでも……」


そう答えたつもりだったが、ちゃんと言葉になっていたか自信がない。

シリウスはそれ以上は問わず、もう一度だけ布を替えた。



シリウスはふと、フィアの手首に目を留める。

荒い縄で縛られていた跡。

あの拠点で囚われていた時のものだろう。

だけど、フィアの周りには誰もいなかった。

少なくとも、生きている者は。

何があったのかはまだ聞けていない。

話せるようには思えなかったからだ。


シリウスはその赤く残った跡に、一度だけそっと指を触れた。

問う代わりみたいに。



しばらくして戸が叩かれた。


戻ってきたのはルカだった。

戸を開けるとそこまで送ってくれた村人が去っていく。

脇腹から肋のあたりにかけて布を巻かれ、上着も少し着崩れている。顔色はまだ悪いが、さっきよりは幾分ましに見えた。


「ただいま。見事に安静命令が出たよ」


入るなりそう言って、苦笑する。


シリウスが立ち上がる。


「診断は」


「打撲と、たぶん肋に一本ヒビ。深呼吸と笑いすぎは禁止だって」


「それは、難しいんじゃないか?お前には」


「ひどいなあ、でも下手に優しくされるよりはいいかも」


ルカはそう言って、いつもの軽口を出そうとしたが、途中で咳き込んだ。痛みが走ったのだろう。

壁へ手をつき、一度だけ顔をしかめる。


そのまま寝台のもう一方へ腰を下ろすと、フィアの方を見た。


「そっちは?」


「フィア様は、熱が」


シリウスが代わりに答えた。


ルカはフィアの額の布を見て、少しだけ真顔になる。


「そっか。……無理もないか」


軽く言うが、その声には本当に心配している色があった。


「そうかと思って先に薬をもらっておいたよ、熱冷まし」



ルカは包みを持ち上げてみせる。

そこには乾燥させた薬草と、小瓶が二つ入っていた。


「お湯を沸かして飲ませろってさ。あとは寝かせること。君は?シリウス」


「見ての通り」


「見ての通り、寝なそうだね」


ルカの言葉に、シリウスは答えない。


代わりに炉の火を見て、鍋へ水をかける。

お湯を沸かし、薬草を煎じる。

家の中に草の苦い匂いが広がった。

ルカは横になったまま、薬の量だけ指示する。慣れているのだろう。


フィアはその声を遠くに聞きながら、何度か浅い眠りに落ちかけた。

目を開けるたび、灯りの位置が少しだけ変わっている。

シリウスが水を替え、毛布を直し、ルカがいつの間にか壁にもたれて目を閉じている。


「……寝てろ、ルカ」


「寝てるよ」


「嘘をつくな」


「半分は寝てる」



フィアに話すときよりも少しくだけたシリウスの口調を、フィアは眠りに落ちかけながら聞いていた。

その小さなやりとりが、妙に遠くて、妙に温かかった。


やがて薬が効いたのか、フィアの意識はようやく深く沈み始める。


眠る寸前、誰かが額の布を替えた。

冷たさが心地よくて、そのまま目を閉じる。


最後に見えたのは、灯りのそばに座るシリウスの横顔だった。

ルカももう喋っていない。

薬のせいか、本当に眠ってしまったらしい。


二人の寝息を確かめてから、シリウスはようやく小さく息を吐いた。


けれど剣だけは、手を伸ばせば届く場所に置いたままだった。


外では、村の夜が静かに更けていく。

人の暮らしのある、穏やかな夜だった。


それなのに、フィアの眠りの底には、まだ名前のない灰色の違和感が薄く沈んだままだった。

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