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many merry bad ENDs  作者: 源泉


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42話

三人は山道を進んでいた。


野盗の拠点を離れてから、しばらくは誰も口を開かなかった。

馬の蹄が土を踏む音だけが、乾いた間隔で続いている。

日はまだ傾ききってはいないが、山の影は早く落ちる。


木々のあいだを抜ける風は冷え始めていて、頬に当たるたび、今日一日の長さだけが妙にはっきりした。


シリウスの前に座るフィアは、じっと黙ったままだった。

落ちないように支えれば、それに従って身体は預けてくる。


返事もする。

けれど、どこか少しだけ遠い。


もう一頭の馬にはルカが乗っていた。

手綱は握っている。姿勢も崩していない。

だが、時折わずかに息を止めるのが分かった。腹に響くたび痛むのだろう。



「……そんなに見ないでよ、シリウス」



前を向いたまま、ルカが言った。

軽い口調だった。だが、声の芯にいつもの余裕はない。


「見ていない」


「見てるよ。君って、心配すると顔に出るよね」


ルカは肩をすくめようとして、途中でやめた。

その動きだけで、体のどこに痛みがあるのか分かってしまう。


「死ぬほどじゃないけど、骨にヒビでも入ったかな」


笑って言う。

だが顔色は悪い。唇の色も薄く、額に滲んだ汗がまだ乾いていなかった。


シリウスは短く息を吐いた。


「少し黙っていたほうがいい」


「黙ると余計に痛いんだよ、意識しちゃうからさ」


そう返す声すら、いつもより少し低い。


フィアはそのやりとりを聞いていた。

けれど、笑うには少し遅すぎた。


山道は狭く、ところどころ木の根が浮き、馬の歩みも自然と慎重になる。

傾斜はそこまで急ではない。

本来なら、獣の気配くらいはあってもおかしくない道だった。


なのに、静かだった。


鳥の声がしない。

枝葉の擦れる音はあるのに、その下にいるはずの小さな生き物の気配が薄い。


獣道らしい踏み跡はあるのに、どこか古く、途中で途切れている。


風が流れるたび、ほんのわずかに血の匂いがした。

濃くはない。

もう風に削られて、ほとんど消えかけた痕跡だ。

それでも、完全にはなくなっていない。


ルカだけが、そのたびに目を細めた。


何かを探るように周囲を見て、すぐに視線を戻す。

一度、木の幹に目を留めた。

そこには浅い傷が走っていた。刃物とも爪ともつかない線だった。


だが、何も言わない。




シリウスも異様な静けさには気づいていた。

それでも今は、言葉にするほどの余裕がない。


フィアの肩を支える手に、ほんの少しだけ力を込める。

それだけで、ここにいることを確かめるように。


やがて一度目の休憩を取った。


道の脇に開けた場所があり、そこへ馬を寄せる。


岩肌のそばには、前に旅人が使ったのか、焚き火の跡だけが残っていた。

新しいものではない。

今日は誰もいない。


馬から降りると、ルカの足が着地の衝撃を受けてわずかに揺れた。


すぐに立て直したものの、その一瞬の遅れをシリウスは見逃さなかった。



「ルカ、座れ」


「命令口調だね」


「座れ」



同じ言葉が、今度は低く返る。

ルカは苦笑して、近くの石へ腰を下ろした。


フィアも馬から降りる。

足元はまだ少し頼りない。

シリウスが手を貸せば、素直にその手を取った。


冷たい。


シリウスは心の中でだけ眉を寄せる。

外傷は浅い。歩ける。意識もある。

それでも、芯の方がまだ戻っていないようだった。



「水、飲めますか」



フィアは少し考えるようにしてから、小さく頷いた。


差し出された水筒を受け取り、口をつける。

飲み方はゆっくりだった。

喉が渇いていないわけではないのに、急ぐことを忘れてしまったみたいに見える。


ルカがそれを眺めて、わざと軽い声を出した。



「怖い目に遭ったんだ。そんなすぐ戻らなくていいよ」



フィアは水筒を持ったまま、そちらを見た。

目が合っても、返事は少し遅れる。



「……うん」


「ちゃんと返事した。えらいえらい」



ルカは冗談めかして言った。

いつもの調子に近づけようとしているのが分かる。

けれど、その明るさは最後まで持たない。息が続かないのだ。


シリウスはフィアのそばへ膝をついた。



「気分は悪くありませんか」


「……大丈夫」


「本当に?」



フィアは少しだけ視線を落とした。

大丈夫かどうか、自分でもよく分かっていないような顔だった。


怖かった。

そのはずだ。

野盗に捕まり、死体に囲まれ、血の中に立つ知らない男に顎を持ち上げられた。


それなのに、胸の奥を乱しているのが何なのか、うまく分からない。


野盗は怖かった。

それは分かる。

シリウスとルカが傷ついたのも、怖かった。

それも分かる。


けれど、それとは別に、何かが引っかかっていた。


黒い髪。

灰色の目。

血の色だけがやけに鮮やかだった、あの男。


思い出そうとすると、心がざらつく。

恐怖だけではない。

助けられたのかどうかすら、まだうまく言葉にならない。


自分は、何に心を乱されているのだろう。


フィアは小さく息を吐いた。



「……少し、ぼんやりするだけ」



それは正直な言葉だった。

シリウスはそれ以上問い詰めない。

ただ、心配そうにフィアの髪についた乾いた血を拭おうと手を伸ばした。



「もう少し進めば休める場所がある」



前を向いたまま、ルカが言った。


「目指してた村まではそう遠くない。


山奥の村だけど、怪我を診てもらえる場所もあるし、空き家も使える」


「空き家?」


フィアがようやく、少しだけ会話へ寄ってくる。



「うん。僕がたまに使ってる。便利なんだよ、顔の利く場所があると」



軽く言ってみせる。

だが、その説明のあとに短い沈黙が落ちた。

言葉を継ぐ余力がないのだろう。


シリウスは立ち上がる。



「行きましょう。日が落ちる前に、少しでも進みたい」



二人とも頷いた。


再び馬に乗り、山道へ戻る。

空の色は少しずつ薄まって、木々の隙間から見える光も冷えていく。


それでも道は、不自然なほど穏やかだった。


人にも会わない。

山の獣にも会わない。

道を塞ぐものも、追ってくるものもいない。


ただ、静かすぎる。


ルカは何度か振り返った。

誰もいない。

それでも、いないこと自体がどこか妙だった。


こんなに都合よく何も出ないものだろうか、と一瞬だけ思う。

だが口には出さない。

今それを言っても、答えはない。

余計な不安を増やすだけだ。


フィアは馬の上で小さく揺れていた。

シリウスの腕の中で、最初よりは少しだけ体の力が抜けている。


それでも、何かの拍子にふと森の奥を見ようとする癖だけが残っていた。


シリウスは気づいていた。

気づいていて、今は見ないふりをした。


村へ着けば、休める。

ルカの傷も診てもらえる。

少しは落ち着く。


そう思わなければ、前へ進めなかった。


山道はなおも静かに続いていた。

鳥の声は戻らない。

風に混じる薄い血の匂いだけが、ときおり確かに残っている。


誰も、その意味を知らないまま。

三人は何度か短い休憩を挟みながら、山の奥の村を目指して進んでいった。


静かすぎる山道を。

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