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many merry bad ENDs  作者: 源泉


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37話

フィアの感じる世界は、揺れていた。


身体そのものが、誰かの肩の上で乱暴に運ばれている。

骨に響くような上下の揺れに、フィアは薄く目を開けた。


見えるのは断片だけだった。

近すぎる木の幹。

揺れる枝葉の隙間に切り取られた空。


陽はもう高くなり始めているらしく、白かった朝の光は少しずつ色を失い、鋭さを増していた。


両手は後ろで縛られている。

腕は痺れ、肩が焼けるように痛い。

呼吸は浅く、ひとつ息を吸うたび、胸の奥に乾いた痛みが残った。



「おい、ちゃんと生きてるよな?」



頭の上で声がした。

担いでいる男のものか、その横を歩いている別の男のものか分からない。



「いい拾いものだったな」


「落とすなよ、値が下がる」



笑い声が混じる。


そこに“聖女”という言葉はなかった。

祈りも、教会も、司教も、何一つ関係ない。

ただ、若い女として数えられているだけだと分かる。


フィアは泣かなかった。

助けも呼ばない。

呼べなかったのではなく、呼ばなかった。


声を出せば何かが変わるのかもしれない。

だが、その先を考えようとすると、喉の奥が冷たく固まってしまう。


ただ揺れに耐える。

今は、それだけだった。


やがて霧はほとんど消えた。

木漏れ日が濃くなり、葉の隙間から落ちる光がまぶたを刺す。

朝の名残はもう薄い。


森は相変わらず静かだったが、空気の冷たさだけは少しずつ和らいでいた。


運ばれ方が変わる。


最初は腕を引かれ、足をもつれさせながら歩かされていた。

だが途中から、面倒になったのだろう。

男の一人がフィアを肩へ担ぎ上げた。



「軽いな。骨ばってる」


「俺はもっと肉付きのいい方が好みだ」


「お前の好みなんて誰も聞いちゃいねえよ」



世界がまた上下する。

肩口にフィアの腹が押され、息が詰まる。

頭が揺れて、視界の端で木々が流れていく。


まるで荷物のように持ち上げられたことに、羞恥より先に、自分が“物”として扱われている感覚だけが静かに沈んだ。


(……自分で出てきた、から)


その事実だけは、はっきりしていた。

自分で出て行った。

自分で、そうした。


ルカは助かったはずだ。

シリウスも、きっと。


そう思うことで、かろうじて息ができる。

それ以外のことは、考えないようにした。


ルカは生きている。

シリウスも、生きている。



思考はそこで止まる。

止めているのか、止まってしまったのか、自分でも分からなかった。


祈らない。

助けも呼ばない。


それは強さではなかった。

祈ってしまえば、助けを求めてしまえば、その先を考えなくてはならない。


どう逃げるのか。どう生きるのか。何を選ぶのか。


今のフィアには、それができなかった。


ただ自分がここにいて、二人が無事なら、それでいい。

そう思い込むことでしか、崩れずにいられない。


森の音が変わり始めた。


最初に気づいたのは、人の声だった。

遠くで怒鳴るような声。乾いた笑い。

次に金属音。何かを打つ音、擦れる音、乱雑に置かれる音。


足音の数が増えていく。

重なり合う音が、森の静けさを少しずつ押し潰していった。


匂いも変わる。

焚き火。油。鉄。

獣や土の匂いとは違う、人が長く留まった場所の臭気。


男達の足が止まる。


「戻ったぞ」


「いい拾いものをした」


「連れの男に何人かやられたが、釣りは来る」


「まだ手は出すな、頭に見せてからだ」


その言い方に、フィアは自分がまだ“誰かの判断待ち”の物でしかないのだと知る。


次の瞬間、地面へ落とされた。


受け身も取れず、肩から土に打ちつける。痛みが遅れて広がった。

縛られた手を庇えないまま顔を上げると、視界がようやく開ける。


山を削って作られたような空間だった。


奥には黒く口を開いた廃鉱山の入口。

周囲は粗い木柵で囲われ、見張り台とも呼べない簡素な足場が組まれている。


荷車の残骸、積まれた木箱、焚き火の跡。

どれも雑然としているのに、長く人が使ってきた匂いだけは濃く残っていた。


山中の砦。

そう呼べば聞こえはいいのかもしれない。

実際には、山に噛みつく獣の巣のようだった。


「おい、縛り直せ」


誰かが言う。


フィアの腕が引かれ、縄が食い込む。

もう一度きつく縛られ、木柵近くの太い柱へ押しつけられた。背にざらついた木の感触が刺さる。


視線が集まる。


値踏み。

笑い。

露骨なものもあれば、ただ面倒ごとを増やすなという冷たい目もある。


フィアは視線を逸らさなかった。

逸らせば、何かが決定的に終わる気がした。


だからといって抵抗はしない。

抵抗しても意味がないことを、もう身体が先に理解している。


ルカの言葉が頭の奥に浮かんだ。


――今は生き残る。再会する。そこまで。


あの軽い声。

冗談めかした口調。

足を引きずりながらも笑っていた横顔。


次に浮かぶのはシリウスだ。

崖の上で自分の名を呼ぶ声。

背に残る体温。外套の重さ。


二人は生きている。


そう信じる。

そう信じるしかない。


だから――自分はこれでいい。


その結論は、慰めでも覚悟でもなかった。

ただ、他の可能性を考えないための壁だった。


何をすべきかは、考えなかった。

考えれば、崩れる気がした。だから、考えない。


昼が高くなる。


太陽は頭上に近づき、影が短く縮んでいく。

野盗たちはすでにフィアの存在に慣れたようだった。


焚き火のそばで何かを焼く者。

道具の手入れをする者。

酒をあおって笑う者。

誰も彼も、彼女を見ているようで見ていない。


フィアだけが、その場に不自然に置かれた異物だった。


しばらくすると、熱と冷えと緊張が身体の境目を曖昧にしていった。


泥に濡れた外套は乾ききらず、けれど朝の冷たさだけはもう消えている。

代わりに、身体の内側から鈍い疲労が滲み始めていた。


足元の感覚が遠くなる。

視界の輪郭が柔らかくぼやけていく。


眠る、という感じではなかった。


意識が沈む。

静かに、底へ落ちていく。


耐えるために、身体の方が先に力を手放したのだと、ぼんやり思った。



時間だけが過ぎていく。

フィアは、ただそこに置かれていた。

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