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many merry bad ENDs  作者: 源泉


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33話

二頭の馬が霧の中を進んでいた。

フィアたちが夜中に街を出てから、しばらくは誰にも出会わなかった。


港町の灯りはすでに背後の闇に沈み、代わりに空がゆっくり白んでいく。


海の匂いが薄まり、湿った冷気が肌にまとわりつく。


フィアの身体はまだ硬かった。

選んだのは自分だ、と頭では分かっている。

けれど、胸の奥のどこかがまだ、誰かに許可を求めているように落ち着かなかった。


同じ馬の背で、シリウスの体温が背中に伝わる。

それが「守られている」ではなく「一緒にいる」体温だと、フィアは何度も確かめるように呼吸した。


前を行くルカが、手綱を少し引き、馬の歩みを落とす。



「向かう先なんだけど」



声を落として言った。

聞く者はいないだろうが、響かせないための声だ。



「目的地は山村。鉱山と林業だけで回ってる小さな土地だ。

教会の影響は薄い。……少なくとも、港みたいに目が多くない」



振り返らずに続ける。



シリウスが短く頷いた。

教会の目が届きにくい土地という言葉に、フィアもほんの少しだけ息が深くなった。


逃げるのではなく、進む。

「戻らない」ではなく、「行く」。


その言葉の輪郭が、冷たい空気の中でようやく形を持ち始める。



しばらくは平坦な街道を進む。


しかし、夜明け前の冷気は骨まで届き、霧が地面に低く漂っている。

シリウスは自身の外套をフィアの身体にかける。


馬の蹄音と自分たちの呼吸の音だけが響く。


フィアは、霧の向こうの道を見つめた。


怖さは消えない。

罪悪感も、消えない。


それでも――自分で選んだ道を進んでいる。

その事実だけが、胸の奥に小さな灯をともしていた。



(このまま……)



言葉にならない願いが、呼吸と一緒に上がってくる。


そのとき。


蹄音が、もうひとつ混じった。


最初は風かと思った。

けれど、一定の間隔。規則的。数がある。


ルカの肩が、わずかに動いた。

振り返らなくても分かるほど、空気が変わる。


ルカが首だけを回して、霧の向こうを見た。



「……何か、来てる」



シリウスの背中が瞬時に硬くなる。

フィアの心臓が跳ね、息が浅くなる。



「追ってきている」



ルカの声は落ち着いていた。

落ち着きすぎていて、逆に恐ろしい。


シリウスが低く断じる。



「教会の追っ手か?」



確認はしていない。

理由はない。ただ気配だけが、教会だと告げているような気がした。



三人の動きが一瞬で変わった。


ルカが手綱を引き、馬の歩みを速める。

シリウスはフィアの腰に腕を回し、落ちないように支える。

フィアは反射的に、背後を見ないようにした。見れば足が止まる。止まれば、終わる。


霧の奥で、蹄音が増える。

重なって、数が分からない——いや、違う。数がある。


六、七、八――。


数が多い。

だが隊列が崩れない。追走に慣れている。


三人には、後ろを振り返る余裕はない。

自分たちを追うものは教会の追っ手だと思い込んでいた。


蹄音が迫る。

霧が割れる。息が白く散る。



「森に入る!隊列を崩せ!」



ルカが叫んだ。


迷う暇はない。

二頭は木々の影へ飛び込む。


枝が頬を打つ。

葉が髪を引っかく。

馬が悲鳴を上げ、湿った土を蹴り散らす。


フィアは身を縮めた。

背中のシリウスの腕が、さらに強く回る。



「大丈夫です、離れません」



囁きが耳元を掠める。

その声は熱いのに、フィアの手は冷たかった。


森の中は視界が悪い。霧が薄くなった代わりに、木々の影が道を曖昧にする。

それでもルカは迷わない。


まるで地形を知っているように——いや、知っているのかもしれない。

ルカの馬は枝の切れ目を選んで進む。


しばらく走ると、追う蹄音が遠のいた。


息が詰まるほどの沈黙が落ちる。


水の音がした。


小さな水場。

岩の割れ目から細い流れが落ち、浅い溜まりを作っている。


馬が荒く息を吐き、首を振って泡を飛ばす。

馬から降りたルカは二頭を寄せ、手綱を短く持ち直した。



「……撒いたか?」



先に馬を降りたシリウスが低く言い、周囲を確認する。刃を抜いたまま、霧の隙間に目を走らせる。



「今のやつら、教会の追っ手じゃなさそうだね」


「おそらく、この辺りを縄張りにする野盗かなにかだろう」



フィアは馬から降りた瞬間、足元がふらついた。

ルカが手を伸ばし、肩を軽く支える。



「無理しない。今は息を整えて」



その声も、やはり軽い。

軽いまま、目だけが鋭い。


ルカは水場の周囲を一瞥し、地面にしゃがみ込む。

濡れた土。踏まれた草。折れた小枝。

——まだ湿りが新しい。



「……何か、おかしい」



ぽつりと呟く。



「誘導されたように感じる」



フィアはその言葉に、背筋が冷えた。


撒いたのではない。

追われていないのではない。


追い込まれている、という可能性。


その瞬間。

風を裂く音がした。


矢。


次の瞬間、馬の足元に矢が突き刺さる。

木片が跳ね、土が弾けた。


馬が暴れる。


それに驚いたフィアがよろめく。

ルカが即座に腕を回した。

転ぶ前に抱え込むように、フィアを引き寄せる。



「伏せて!」



同時に、シリウスが反転した。



「下がれ!」



刃が光る。

森の奥から野盗が現れる。

最初の集団は誘導のための囮だったのだと、今になって分かる。

枝の陰、岩の裏、霧の白に紛れて、数が増える。


シリウスが一人斬り伏せる。

乾いた悲鳴が短く上がり、すぐ消えた。


だが数が多い。

地形が悪い。足場が滑り、木々が剣の軌道を鈍らせる。


ルカは戦闘面では明らかに劣る。

それでも判断だけは速かった。



「シリウス、戦うには相手が多すぎる!」



しかし、背後は急な斜面だった。


傾斜は急で、石が露出している。正しい道ではない。

だがこの場に留まれば囲まれる。囲まれれば終わる。


シリウスがフィアを庇うように一歩前へ出る。

フィアの肩に掛けられた外套が、風に煽られて身体を包み直した。



「フィア様、ルカと先に」



命令ではなく、懇願に近い声だった。

フィアは一瞬だけ、足が止まりかける。



(シリウス……)



でも、止まれば。

止まればまた、誰かが傷つく。


ルカが馬を寄せる。

鞍が触れるほど近づけて、フィアの身体を引き受けた。

自分の胸元でシリウスの外套に包まれた小さな肩を抱き寄せる。



「掴まって、行くよ!」



斜面へ。

ルカの馬術は確かだった。

斜面の安定した足場を縫うように降りていく。

しかし、背後から跳んできた矢が馬の足に当たる。

その拍子に蹄が石を噛まず、土が崩れる。


フィアとルカが地面へ投げ出される。


世界が回転する。

それでもルカは手の中のフィアを離さない。


枝が肌を裂く。

土と石が視界を埋める。

頬に冷たい泥が貼りつき、口の中に砂が入った。


上で、シリウスの叫びが響いた。



「フィア様!!」



声が遠ざかる。

霧が飲み込む。

剣戟の音が一瞬だけ遅れて響く。


フィアの手が空を掴む。

掴めるものはない。空気だけが指の間を抜ける。


ルカが肩を掴んだ。

その腕が強く、抱きしめるようにフィアを引き寄せる。


シリウスの外套に包まれたまま、フィアはルカの胸に押し込まれた。

布が顔に当たり、息が苦しい。けれど布越しに、外の冷たさが少しだけ遠のく。


二人はそのまま斜面を滑り落ちていった。


石が背を打つ。

枝が髪を引く。


音だけが残る。


馬の悲鳴。

遠ざかる剣の音。

ルカの荒い呼吸。

そして、心臓の音。


視界が暗くなる。


まだ落ちている感覚だけが、最後まで残った。

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