31話-1(分岐バッドエンド)
※この先は分岐となります。
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夜が更けるころ。
フィアは、ゆっくりと目を開けた。
窓の隙間から、月の光が細く差し込んでいる。
宿の部屋は静まり返り、
隣の寝台から、規則正しい呼吸だけが聞こえた。
シリウスは眠っている。
昼間よりも、ずっと無防備な顔だった。
戦う者の顔ではない。
ただ、安心して眠る若い男の顔。
(ごめんなさい)
声にすれば崩れてしまいそうで、
胸の奥でだけ呟く。
荷物は持たない。
持てば、迷いが形になる気がした。
音を立てぬよう、ゆっくりと立ち上がる。
床板がきしむたび、心臓が跳ねる。
扉へ向かう直前、足が止まった。
振り返る。
守ろうとする人の寝顔。
名前を呼んでくれた人。
自分を“聖女”ではなく“フィア”として見てくれた人。
その姿が、あまりにもまっすぐで――苦しい。
胸の奥で、何かが静かに音を立てた。
それでも、扉を開けた。
外気は冷たい。
夜の港町は、昼間とは別の顔をしている。
宿の裏手。
灯りの届かない場所に、黒い馬車が停まっていた。
月光を吸い込むような車体。
御者が、静かに頭を下げる。
「お待ちしておりました」
その声は、もう決まっていたことの確認に過ぎない。
フィアは歩み寄る。
足は重い。
一歩ごとに、地面に縫い止められるようだった。
(私が戻れば、平和になる)
繰り返す。
(私が戻れば)
馬車の扉が開く。
その瞬間。
「――フィア様!」
背後から、声が裂けた。
振り向く。
石畳を蹴る音。
夜気を切る足音。
シリウスが走ってくる。
その後ろに、ルカ。
まだ間に合う距離。
ほんの数歩。
手を伸ばせば、触れられる距離。
「フィア様、なぜ――」
言葉は最後まで届かない。
フィアは、小さく首を振る。
止まってはいけない。
止まれば、崩れる。
唇だけが、かすかに動く。
「……ありがとう」
声は、夜に溶ける。
寂しそうに。
けれど、どこか決意のようにも見える微笑み。
シリウスの手が伸びる。
指先が、あとわずかで届く。
その瞬間。
扉が閉まった。
重い音が、夜を断ち切る。
馬車が動き出す。
石畳を打つ車輪の音が、冷たく響く。
「フィア様!!」
叫びが追いかける。
けれど、距離は開いていく。
窓越しに見る二人の姿が、揺れ、歪み、
やがて闇に溶けた。
フィアは目を閉じる。
胸の奥に、波の音が遠ざかる。
そして、ゆっくりと前を向く。
向かいの席。
そこに座っていたのは、司教だった。
柔らかな灯りに照らされ、穏やかに微笑んでいる。
怒りも、焦りもない。
馬車は、夜を裂くこともなく進んでいた。
窓の外の灯りが、ひとつ、またひとつ消えていく。
向かいに座る司教は、穏やかな笑みを崩さない。
「お帰りなさい、フィア」
その声は祝福のようで、
しかし逃げ場を塞ぐ枠のようだった。
フィアは答えない。
膝の上で指を重ねたまま、視線を落としている。
「外の世界は、楽しかったですか」
やわらかい問い。
「風は自由で、空は広く、隣には若い騎士がいた」
一瞬、わずかに笑う。
「……若さゆえの迷いです」
断言。
「己の力で何かを守れると信じたい年頃だ。
貴女を連れ出せば世界を変えられると、そう思ったのでしょう」
責めない。軽くもない。
ただ、未熟と位置づける。
「貴女が望むのなら、同じ位置に呼び戻しましょう」
視線が、逃がさない。
「騎士として、正しい場所に。
貴女の傍で、盾として立たせることもできる」
まるで慈悲の提案。
「それとも――」
ほんの少し、声が落ちる。
「もう必要ありませんか」
沈黙。馬車の揺れだけが続く。
フィアの喉が、小さく鳴る。
司教は、その沈黙を読み取る。
「貴女は優しい」
繰り返す。
「だから戻った」
その優しさが、どれほど自分を縛るか知っていて。
「祈りが弱まれば、民は怯える。
怯えは疑念に変わる。
疑念はやがて、聖女をも焼く」
穏やかな声。
「ですが安心なさい。すべては、正しい位置に戻る」
一拍。
そして、決定的に。
「婚姻の話も、進めましょうか」
軽い口調。
「貴女がまだ迷っているなら、急ぎません。
ですが、国は安定を必要としています」
視線がまっすぐ刺さる。
「聖女が揺らがぬ象徴であることは、何よりも強い祈りになる」
それは愛ではない。政治でもない。
“構造”。
「貴女が私の隣に立つことは、
この国にとって最も理にかなっている」
逃げ道は、最初からなかった。
フィアの手が、ゆっくりと組まれる。
祈りの形。
けれど、そこに願いはない。
司教は満足げに目を細める。
「心配はいりません。
あの騎士も、いずれ理解するでしょう」
窓の外は完全な闇。
「若さは、やがて冷める」
フィアは目を閉じる。
海の匂いも、波の音も、
あの呼び声も、遠ざかっていく。
「やはり貴女は、聖女だ」
その言葉だけが、最後に残る。
馬車は止まらない。
祈りは再び始まる。
それが誰のためのものか、もう考える必要もない。
bad end.
やはり、貴女は




