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many merry bad ENDs  作者: 源泉


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31話



礼拝堂の中は、ひどく静かだった。

小さな灯りが揺れて、石床に淡い影を落としている。


外の波音も、ここまでは届かない。

厚い壁が、潮の匂いも、人の声も、遠ざけてしまう。


フィアは一人、祭壇の前に膝をついていた。


祈りは、長年の習慣だった。

目を閉じれば、教え込まれた言葉が、呼吸と一緒に胸の奥から浮かび上がる。


「願い」ではなく、「形」。

そうしていれば、乱れたものが元に戻る気がした。


けれど――


その途中で、気配が混じった。


灯りの揺れ方が、ほんのわずか変わる。

背後の空気が重くなる。

香草の匂いに、冷えた布の匂いが差し込む。


振り返るより先に、低く整った声が落ちた。



「……フィア様」




凍りついたように、呼吸が止まる。


首だけを動かす。

背後に立っていたのは、黒衣の男だった。

おそらく教会の密偵。


胸元には見慣れた教会の紋章。

穏やかな顔。

けれど目は、感情の温度を持っていない。



「司教様からの伝言です」



逃げ場はない。

扉までの距離は近いはずなのに、床が急に遠く感じる。


叫べば外の二人に聞こえる。

そう分かっているのに――声が喉の奥で凍って、出てこなかった。


男は淡々と告げる。

まるで祈りの文句を読むように、滑らかに。


「まだ私と結ばれる決心がつかないのなら、待ちます」


胸の奥が、ぎゅ、と縮む。

待つ、と言われることが、許されているようで、許されていない。



「ですが外の世界は、貴女には危険すぎる。祈りの途絶えた今は特に」



祈りの、途絶えた今。


心臓が一つ、大きく鳴った。

その音だけが、自分の中で反響する。



「あなたの祈りが弱まったせいで、民は、不安に震えています」



息が浅くなる。

胸が、うまく膨らまない。



「魔物も増えています。どうか無事で」



優しい声だった。

責める響きはない。

ただ、当然のことを告げるだけの、やわらかな刃。


そして最後に、淡々と。



「明日、迎えに来ます」



迎えに“来る”。

その言い方に、拒否の余地が最初からない。


男は一礼もしない。

影のように踵を返し、礼拝堂を出ていった。

扉が閉まる音さえ、ひどく遠い。


取り残されたのは、揺れる灯りと、フィアの鼓動だけ。



(……私の、せい?)



胸の奥が冷えていく。


祈りを止めたから。

国を離れたから。

民が、不安に震えている。


そう言われただけなのに、

言葉が鎖になって、手首に絡みつくようだった。


祭壇の前で、フィアの指が震えた。

祈れば、届くだろうか。

戻れば、止まるだろうか。


まぶたの裏に、知らない誰かの顔が浮かぶ。

泣いているのか、怯えているのか、それすら分からない。

分からないのに、責任だけが重くなる。


どこかで波音がした。

遠い。

まるで別の世界の音みたいに。


外では、きっと二人が待っている。

扉の向こうにいるだけなのに、

今は――その距離が怖かった。



礼拝堂を出たとき、シリウスはいつものようにすぐそばに立っていた。



「フィア様」



変わらない声。

変わらない距離。

その安堵にすがりたかったのに、胸の奥がうまく追いつかない。



「大丈夫ですか?」


「……はい」



微笑んだつもりだった。

けれど、口元がどれだけ上がったのか、自分でも分からない。


ルカが軽く手を振る。


「次に行く場所はね、山の方にある小さな村に行く予定なんだ。

小さな村だけど診療所があって、薬を卸しに行くんだよ」


「山、ですか。少し冷えそうですね」


「ん〜まあね、それは仕方ない。新しい外套がいるね……って、シリウス!また敬語敬語!」


二人の軽いやり取りが、遠くに聞こえる。


同じ場所に立っているのに、

フィアだけが少し離れた場所から眺めているような気持ちだった。


笑えばいい。

返事をすればいい。

それができるはずなのに、言葉が薄い膜に阻まれて届かない。



(私が戻れば、きっと平和になる)



その考えは、甘く、重い。


甘いのは、逃げ道だから。

重いのは、ずっと刷り込まれてきたものだから。


波のように何度も胸を打って、

そのたびに、息が少しだけ苦しくなる。


夕暮れの空が、ゆっくりと色を失っていく。


明日。


その言葉が、

灯りの消えた礼拝堂の床みたいに、冷たく心に沈んでいった。

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