24話
朝の光の中、馬車は街道を進んでいた。
教会から、確実に離れていく。
祈りの時間を告げる鐘の音は、もう届かない。
それだけで、フィアの胸は少し軽くなった。
石畳だった道は、やがて土の道へと変わる。
車輪の音も揺れも柔らかくなり、景色の輪郭がゆっくりと流れていく。
フィアは外套に包まれたまま、座席に身を預けていた。
咳はまだ残っているが、目を閉じていなければならないほどではない。
街が小さくなっていくのを、窓越しに一度だけ振り返る。
それきり、視線を前へ戻した。
ただ、今は――選んで、進んでいるだけだった。
御者席では、最初ルカが手綱を取っていた。
迷いのない動き。
馬の呼吸を読んでいるような、旅慣れた所作だった。
やがて、街道の石畳が完全に途切れた頃。
「交代します」
そう言ったのは、シリウスだった。
ルカは一瞬だけ視線を向け、すぐに頷く。
無言で手綱を渡し、後部座席へと下がる。
御者席に上がったシリウスの動きは堅い。
だが、馬の扱いは正確で、無駄がなかった。
後部座席には、フィアとルカが並ぶ形になる。
少し間を置いてから、ルカが軽い調子で口を開いた。
「一応、確認しておこうか」
フィアの方を見る。
シリウスではなく、あくまで彼女に向けて。
「君たちのことは、聞いてる。
聖女と、それを守っていた騎士なんでしょ」
声に含みはない。
事実を述べるだけの、穏やかな口調だった。
「それと、それはなるべく知られちゃいけないことだ」
少しだけ肩をすくめる。
「さっきの街でも思ったけど、二人とも目立つんだよね。
品が良すぎるというか……まあ、旅人向きじゃない」
責める響きはなかった。
「だからさ」
ルカは続ける。
「設定を少し変えた方がいい」
安全のため。
自然に見せるため。
「正直、如何にも騎士様と聖女様って二人のそばにいたら、
僕が一番怪しく見えるからね」
軽い自虐を混ぜて、提案する。
「シリウスさんは、フィアさんの執事か付き人。
で、僕とフィアさんは友達」
言い切らず、選択肢として置く。
御者席のシリウスの背が、わずかに強張った。
身分を偽ることへの抵抗。
そして、フィアとルカの「友達」という距離感への戸惑い。
だが、後部座席を振り返り、フィアの様子を見る。
拒んでいない。
不安そうではあるが、怯えてはいない。
短い沈黙のあと、シリウスは低く答えた。
「……分かりました、フィア様が良ければ」
それ以上、何も言わなかった。
「……友達」
フィアが、小さく言葉を繰り返す。
教会での記憶がよぎる。
聖女と信徒。
聖女と騎士。
対等な関係など、持ったことがなかった。
少し不安。
それでも、拒否ではない。
初めて触れる言葉に、ほんのわずかに微笑んだ。
「じゃあ、試しに呼んでみてよ、フィア」
ルカが冗談めかして言う。
フィアは一瞬迷ってから、確認するように口を開く。
「……ル、ルカ」
「うん、いいね」
過剰な反応はしない。
自然に肯定するだけ。
ルカは敬語を外し、そのまま話を続ける。
御者席では、シリウスの背中がわずかに硬くなっていた。
気に食わない、と言いたげな後ろ姿。
「ちゃんと呼べてるよ。ね、シリウス?」
明るく声を投げられ、シリウスは苦い顔をする。
馬車は進み続け、街は完全に視界から消えた。
港町の話題が出る。
潮の匂い、船の往来、人の多さ。
ルカは言葉を選びながら説明する。
フィアは外を眺め、深く息を吸った。
少しだけ、安堵する。
――友達。
それは、ずっと遠くにあった言葉。
その言葉を、胸の中で反芻する。
シリウスは、守り方が変わりつつあることを、はっきりと感じていた。
ルカは一瞬だけ、
フィアを値踏みするような“評価の目”になる。
だが、それはすぐに消え、
いつもの人当たりの良い表情へ戻った。
馬車は穏やかに道を進む。
港町へは、まだ遠い。
三人の関係は、まだ不完全だ。
けれど確かに、形を変えていた。




