18話-1(分岐バッドエンド)
※この先は分岐となります。
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夜明け前。
空はまだ色を持たず、街は眠りの底に沈んでいた。
シリウスは、誰にも見送られぬまま街を出た。
ルカの提案に乗るべきか悩んだ。
しかし、関わる人間をこれ以上増やすべきではない――
その判断に、迷いはなかった。
フィアは歩ける状態ではない。
シリウスは彼女を背負い、外套で身体ごとしっかりと固定する。
冷たい空気が入り込まぬよう、何度も結び目を確かめた。
騎士の甲冑。
聖女の装衣。
それらはすべて、薬屋に置いてきた。
売れば、少しは金になるだろう。
礼の代わりに――そう思って。
フィアは朦朧としている。
背中越しに伝わる体温は、熱を帯び、時間と共に確実に上がっていた。
シリウスは歩く。
一歩一歩、街道を踏みしめる。
馬車を断った判断を、まだ後悔していない。
これは、自分で選んだ道だ。
だが、街を離れてほどなく。
フィアの呼吸が、乱れ始めた。
浅く、速く、そして――咳。
乾いた咳が、闇に漏れる。
一度、二度、止まらない。
ルカの診察通り、咳が出始めた。
シリウスは足を止めた。
街道脇に火を起こし、彼女を横たえる。
外套を外し、額に手を当てる。
熱い。
ルカに処方された咳止めを飲ませる。
確かに咳は一時的に治まる。
だが、治療薬ではない。それだけだった。
熱で奪われた体力が、
咳のたびに、さらに削られていく。
(……このままでは、危ない)
そう思ったが、もう戻れない。
進むしかなかった。
気配に気づいたのは、歩き出してすぐだった。
気配は二つ。
意図を持った足音。
闇の中から、二つの影が浮かび上がる。
ひとりは大柄で、獣のような体躯。
もうひとりは痩せぎすで、骨ばった輪郭が夜に溶けている。
祈りの仕草はない。
聖印も下げていない。
教会の人間だが、信者ではない。
汚れ仕事を任される――密偵だ。
――古い礼拝堂で、声だけ聞いた二人。
低く、くぐもった声。
もうひとつ、わずかに高い声。
あのときと同じ声が、今度は隠れもせず近づいてくる。
「……やっぱり、聖女様だ」
「旅人みたいなみすぼらしい格好だけど、その銀の髪ですぐに分かったぜ、騎士様よぉ」
「なんだ、ずいぶん具合が悪そうだなぁ、聖女様」
「震えちゃって可哀想に。
お前、守護騎士のくせに、なんて酷いことするんだ」
その言葉が、シリウスの胸を刺す。
彼らは、治療と保護を口にした。
教会に戻れば、医師もいる。
暖かい寝台もある。
しかし、シリウスはフィアを渡す気はなかった。
――その時までは。
シリウスは剣に手を伸ばしかけ、止めた。
腕の中のフィアが、小さく咳き込む。
その振動だけで、身体が揺れる。
咳は徐々に悪化し、
息を吸うことすら苦痛に聞こえる。
「なあ騎士様、聖女様を殺したいのか?」
「ああ、身体が弱いのなんて、あんたもよく知ってるだろう?」
「早く医者に見せねえと、この近くの村に俺らの知り合いの医者がいる」
「聖女様を渡してくれるなら、急いでそいつに見せてやるぜ」
シリウスは、膝をついた。
石の上に、跪くように。
腕の中の温もりを、そっと差し出す。
フィアは、ほとんど意識がない。
それが、唯一の救いだった。
引き離される瞬間、
彼女の指が、外套を掴んだ気がした。
それでも、彼は引き留めなかった。
「騎士様の方はどうするかなぁ」
二人のうちの一人が、剣を抜く。
「まあ、連れてくのも面倒だし」
もう一人も、剣を構える。
シリウスは立ち上がろうとする。
だが、刃がフィアの方を示された。
「暴れたら、聖女様に怪我させちまうかもなぁ」
その一言で、身体が止まる。
剣は振るわれた。
嗤い声が、赤い色に溶けていく。
数日後。
「ほんとに大人しくて可愛らしい聖女様だなぁ」
「司教様に返すのが、惜しくなってきたぜ」
「まあ、十分楽しんだ。後は褒美を貰おうぜ」
重い扉が閉まる音。
教会の門は、静かに、確実に閉じられた。
bad end.
返された聖女




