18話
薬棚の奥で、ルカが薬包紙を折る音が止んだあと。
店内には、火の落ちかけたランプの静かな明かりだけが残っていた。
沈黙を破ったのは、薬屋の店主だった。
「……なあ」
低く、腹の底から出したような声。
「正直に言うがよ。あんたたち、どう見ても訳ありだ。
それに、旅慣れてるようにも見えねえ」
シリウスは何も言わず、ただ視線を向ける。
「事情を話せとは言わねえ。
だがな――関わっちまった以上、無事でいてほしいんだよ」
一拍、間を置いて、店主は続けた。
「あんたらが無事じゃないと、俺が眠れねえ」
決して大仰ではない。
だが、嘘のない言葉だった。
その横で、ルカが静かに頷く。
「ええ。僕にとっても、彼女は一度診た患者さんですから」
穏やかな口調。
医師としての立場を装った、もっともらしい理由。
店主は腕を組み、顎でルカを示した。
「ルカさんは顔も広い。
いろんな土地に伝手がある。
頼ったほうがいいと、俺は思うね」
シリウスは、わずかに眉を寄せた。
「……ですが、そこまでしていただくには、
我々には払える礼がありません」
慎重な言葉だった。
相手の善意に甘えることへの、躊躇。
だが、ルカは即座に首を振った。
「それなら簡単ですよ」
軽く笑って言う。
「行く先々で、
“ルカに助けられた、いい人だった!”
って広めてくれれば、それだけで十分な宣伝になります」
冗談めいた調子だが、どこか本気でもある声音。
「俺も実は、ルカさんに助けられた口でね」
店主が鼻で笑う。
「今はこうして客になってる。
この人はな、こうやって損をしない立ち回りをするんだ。
だから遠慮はいらねえ」
そう言ってから、少し真面目な顔に戻る。
「無理強いはしねえよ。ただ――」
ルカが、自然な流れで言葉を引き取った。
「この街の次は、馬車で三日ほどの港町へ向かうつもりでした」
地図を広げるでもなく、さらりと行き先を示す。
「もし、行く方向が一緒でしたら。
歩くよりは馬車の方が、負担も少なく、安全ですしね」
あくまで提案の形。
だが、選択肢は巧妙に整えられていた。
ルカは知っている。
シリウスたちが、明確な目的地も、頼れる相手も持たないことを。
だからこそ、行き先はこちらで用意するが、
――自分たちで選んだ、と思わせる。
シリウスは無意識に、視線を二階へ向けた。
フィアが休んでいる、あの部屋。
この判断を、自分一人で下していいのか。
その答えは、まだ出ていない。
「まあ」
店主が、空気を切り替えるように言った。
「今夜はゆっくり休んで、決めるといいさ」
そして、ルカに視線を移す。
「ルカさん、何日かこの街にいるんだろ?」
「ええ。他のお客さんのところにも顔を出す予定でしたから」
そう言って、わざとらしく肩をすくめる。
「そろそろ宿に戻ります。
店主さん、送っていってくれますか?
僕みたいに気弱な青年には、この辺りは治安が悪いですから」
「この辺であんたの顔を知らねえ奴はモグリだろう」
店主が即座に突っ込む。
「荷物が多いから、手伝わせたいだけだろ」
「あはは、バレちゃいましたか」
屈託なく笑い、シリウスへ向き直る。
「では、シリウスさん。おやすみなさい」
「鍵はしっかり掛けていくからな。
あんたも休みな」
そう言って、二人は店を出た。
夜の空気は冷え始めている。
店から角を一つ曲がったところで、ルカが足を止めた。
「当たりだ。よくやったよ」
軽く、だが確信に満ちた声。
「ありがとうございます」
店主は苦笑する。
「でも、あんな二人が歩いてたら目立って仕方ないですよ。
偶然、俺の店に寄ってくれたからよかったものの……
宿屋の連中も、カモにする気で用意してたみたいで」
先ほどまでの立場が、完全に逆転していた。
「まあ、その睡眠薬も、お前の店から売ってるんだろ?」
ルカは肩をすくめる。
「そう悪く言ってやるなよ」
「……まあ、そうなんですが」
店主は小さく息を吐く。
「危なく、ルカさんの“探し物”を失うところでしたから」
「そんなに恐縮しないで」
ルカは人の良さそうな笑顔を浮かべた。
「僕は今、機嫌がいいんだ」
その琥珀色の瞳が、じっと店主を捉える。
無意識に、店主は視線を逸らした。
「……しかし」
ぽつりと、口を滑らせる。
「その目の色、本当にお父様によく似て……」
空気が、一瞬で冷えた。
「……やめてよ」
ルカの声から、感情が消える。
「今、この国にいる間は――
あの人とは、関係ない」
それだけ言って、再び笑顔を作る。
「とにかく、明日もよろしくね。
今日みたいに自然に、彼らを説得してくれると助かるよ!」
気づけば、ルカの借りた宿の前だった。
店主は抱えさせられていた荷物を渡し、
ルカの背が宿の中へ消えるのを見届ける。
そして、深く息をついた。
「……まったく」
低く呟く。
「どの顔が、本当なんだか……」
その言葉は、夜の街に溶けるように消えていった。




