16話-1(分岐バッドエンド)
※この先は分岐となります。
物語の本筋を追う場合は、17話へ。
シリウスは、階下へ降りた。
一歩一歩、木の階段を踏みしめながらも、意識は二階に残ったままだった。
フィアを残してきた部屋。
あの寝台。
熱に浮かされた、かすかな声。
――診てもらうだけだ。
――短い時間だ。
そう言い聞かせながら、店主とルカのいる一階へ向かう。
ルカは、変わらず穏やかだった。
「引き受けますよ。もちろん」
笑顔で、即答する。
その声色に、引っかかるものは何もなかった。
シリウスはルカを、フィアの待つ部屋へ通した。
「……あなたも、少し疲れていませんか?」
ルカは、何気ない調子で続ける。
「顔色があまり良くない。
ずっと緊張しているように見えます」
シリウスは一瞬、言葉に詰まった。
自覚があったからだ。
「診察の間、少し休まれては?
階下で、お茶でも飲んで」
その提案は、理にかなっていた。
フィアのためでもある。
自分が倒れれば、意味がない。
「……フィア様」
扉越しに、名を呼ぶ。
「……私は一人でも、大丈夫です」
返ってきた声は、弱々しいが、確かだった。
シリウスは、まだ少し迷っていた。
だが、自分で選ぶことを始めたフィアが、彼を心配するように向けるその瞳の色に、逆らうことができなかった。
「では、少しだけ……すぐ戻ります」
そう告げて、シリウスは階段を下りた。
その背が完全に消えるのを、ルカは静かに見送っていた。
部屋の中は、静かだった。
フィアは、寝台に横たわったまま、天井を見つめている。
呼吸は浅く、熱に浮かされた視線はどこか定まらない。
「少し、診せてくださいね」
ルカの声は、あくまで穏やかだった。
「まずは、話を」
脈。
息の速さ。
喉の痛み。
頭の重さ。
一つずつ、言葉で確認する。
「……では、少し触ります」
そう前置きしてから、近づく。
フィアは、拒まなかった。
拒む力も、判断も、今は残っていない。
何より診察という行為に、体の弱いフィアには慣れていた。
喉元に、指が触れる。
白く、細い首筋。
熱を帯びた皮膚。
指先が滑ると、フィアの肩がわずかに震えた。
――その瞬間。
ルカの中で、何かが音を立てて崩れた。
少し力を込めれば、壊れてしまいそうな存在。
守られることだけを前提に、ここまで生きてきた身体。
(……ああ)
これは、駄目だ。
本来なら。
騎士と共に、時間をかけて導くつもりだった。
祖国のため。
役割としての聖女。
(……なのに)
欲しい。
理屈ではない。
使命でもない。
ただ、目の前にある“価値”を、
自分のものにしたいという、衝動。
この国で動くために作り上げた商人としての顔。
その仕事は、ルカの性に合っていた。
珍しいものを見つけ、
価値を見極め、手に入れる。
それが自分のものになる瞬間の、甘さ。
ルカは、フィアの喉元に触れた指を離さなかった。
人の良さそうな笑顔のまま――
いや、初めて、何も偽らない顔で。
「聖女様」
低く、静かな声。
「どうか……お静かに」
フィアの瞳が、わずかに揺れる。
言葉は、出なかった。
階下で、椅子に座ることもなく、
背を向ける気にもなれず、階段を見上げるシリウス。
時間が、長く感じる。
(……遅い)
店主が引き止める声に耳を貸さず、階段へ向かう。
ノックもせず、声をかける。
「フィア様」
返事がない。
静寂。
胸の奥が、嫌な音を立てる。
扉を開ける。
部屋は――整っていた。
寝台は乱れていない。
争った形跡もない。
ただ。
窓が、開いていた。
夕暮れの風が、薄いカーテンを揺らしている。
誰もいない。
フィアも。
ルカも。
そこにあったはずの存在だけが、消えていた。
シリウスは、声を失ったまま、窓辺に立ち尽くす。
自分が、離れた時間。
自分が、選んだ判断。
それが、静かに――必然として、この結果に導かれた。
bad end.
開いた窓




