16話
夕暮れと夜の境目。
空の色が、静かに沈み始める時間だった。
薬屋の二階。
店主が二人のために整えた小さな部屋で、フィアは寝台に横になっていた。
額に触れれば、すぐに分かる。
朝よりも、熱は高い。
無理をしていたのか。
それとも、平気なふりを続けていただけなのか。
どちらにせよ、結果は同じだった。
シリウスは寝台の脇に立ち、フィアの呼吸を確かめながら、奥歯を噛みしめる。
(……完全に信用するのは危険だ)
それは、分かっている。
だが――あの宿よりは、確実に落ち着ける。
この部屋でフィアを休ませられていることに、シリウスは確かな安堵を覚えていた。
そのときだった。
一階から、話し声が聞こえる。
(客、か……)
一瞬、そう思った。
だが、次の音で、考えが変わる。
――階段を上る足音。
ひとつではない。
店主と、もう一人。
そして、控えめなノック。
それは、あの宿で――
店主が扉を叩いたときの音と、よく似ていた。
シリウスは一度、深く息を吸い、扉を薄く開ける。
「……お嬢ちゃんの具合はどうだ?」
店主の声。
「今朝話していた医者がな。予定より早く着いたんだ」
続いて、もう一人の声が重なる。
「やだなぁ、医者というほどではありませんよ。
医術を学んだ、というだけで。僕の本業は商人ですから」
店主の後ろに立っていたのは、金色の髪をした青年だった。
肩にかかるほどの髪。
穏やかに細められた瞳。
人当たりの良さそうな、柔らかな笑顔。
「はじめまして。僕はルカ。
ここの店主さんとは、長い付き合いなんです」
シリウスは一歩下がり、頭を下げる。
名は名乗らない。
店主が、部屋の中をちらりと見て言う。
「……お嬢ちゃんの熱、朝より酷いんじゃねえか?
診てもらった方がいい。ルカさんは軽そうに見えるけど、医術の知識は確かだ」
「ちょっと、その言い方は傷つくなー!
今度から薬の卸し価格、上げますからね?」
軽口に、店主が鼻を鳴らす。
そのやり取りが聞こえたのか。
寝台の上で、フィアの瞼がわずかに動いた。
「……シリウス……?
誰か、来ているの……?」
か細く、不安げな声。
横たわったままの姿。
白色金を宿した髪の色。
淡い青碧の瞳。
かつて耳にした、
『聖女様は、見ればわかる』
という言葉が、ふと頭をよぎる。
その顔を見た瞬間、ルカの瞳に一瞬だけ、確信が浮かんだ。
(……やっぱり、当たりだ)
内心で、そう呟く。
だが、それはすぐに隠された。
人当たりのいい、少し困ったような笑顔。
断りにくい善意を含んだ表情。
「すみません。起こしてしまいましたね」
穏やかな声で、ルカは言う。
「不安なら、無理に、とは言いません。
突然、僕みたいなのが現れて、こんなことを言われても……、
信用できなくて、当然ですから」
一歩、距離を取る。
「僕たちは下にいます。
もし、必要でしたら……声をかけてください」
店主とルカは、そう言って部屋を離れた。
扉が閉まる。
静寂が戻る。
シリウスは寝台に近づき、まだ熱に霞んだフィアの瞳を覗き込んだ。
何が正しいのか。
誰を信じるべきか。
考えを、まとめなければならない。




