14話
薄曇りの空の下、シリウスとフィアは宿を引き払い、薬屋へと足を運んでいた。
店の扉が閉まると、薬草と乾いた木の香りが二人を包む。
それは不快なものではないはずなのに、シリウスの肩からは緊張が抜けなかった。
扉の閉まる音に、無意識に背筋が強張る。
(薬屋さんに助けてもらっているのに、どうしてそんなに怖い顔を…?)
そう思いながらも、フィアは黙っていた。
薬屋の店主は「二階の部屋を片付けてくる」と短く言い残し、静かに階段を上がっていった。
その間、シリウスはフィアを椅子に座らせ、その横に立った。
一言、何かを呟こうとして、やめる。 代わりに、深く息を吐いた。
(……私が、油断したせいで取り返しのつかないことになったかもしれない)
フィアはもちろん、シリウスも教会での生活が長かった。
そこでは、悪意は“異端”という名で明確に存在していた。
だが、外の世界は違う。
それは、善意の顔をして近づいてくる。
宿屋で油断してしまったのはそのせいだった。
聖女が教会から消えたという噂の広がる早さ。
教会や彼らに協力する追っ手が現れるかもしれない、という危機感はあった。
だが、それ以外の“普通の悪意”を、どこかで見落としていた。
(疑えばきりがない。信じる根拠もない)
この薬屋の店主も、どこまで信じていいのか。
手を貸してくれたのは事実だ。
だが、だからといって信じ切るわけには行かない。
(もう二度と、私が油断しなければいいだけだ)
フィアが、どこか不安そうに見上げてくる。
シリウスは静かに片膝をつき、その手をそっと握った。
何も言わずに。
言葉は、約束になる。
約束は、守れなければ裏切りになる。
だから何も言わず、ただその手の温度を確かめるだけだった。
一方その頃、二階では店主が机に広げた紙の束を片付けていた。
荷物を棚にしまい、布団を整えたあと、小さな封筒を取り出す。
それは、特別に訓練された鳥が運ぶ急ぎの手紙だった。
封を切る。
中には、簡潔な文字列。
『探し物がそちらの街に向かった。
見かけたら自然にそばに連れておけ。特徴は以下の通り――』
店主は、その手紙が届いたのが、フィアとシリウスが店を訪れた少し後だったことを思い出す。
最初はただの旅人かと思った。
少し疲れてはいたが、怪しげな雰囲気はなかった。
ただ、どこか着せられているような旅人の服が馴染みきっていない、そんな印象。
そして、淡い月光のような白色金を宿した髪。
手紙にも記されていた、特徴のひとつだった。
「あのお嬢さんが……」
手紙の差出人の探し物。
ということは、と店主はごくりと喉を鳴らす。
(あの二人に、彼女に何か起きる前でよかった)
あの部屋で見た水筒。
手紙にもあった二人の持ち物の特徴に当てはまるそれを見つけたとき、確信と、何かが起きる前でよかったという安堵が湧き上がった。
あの宿に旅慣れない者が泊まるのが危険なのは本当のことだった。
実際に、あの宿に睡眠薬を卸していたのは自分の店だ。
なにに使っているかを知っていながら。
自分が薬を卸したその場に、まさか来るとは思わなかった。
だが、文を寄越した“彼”は、それをすでに予測していたのだろう。
(あの人の命逆らった先を……想像してしまう)
店主は、手紙の主の顔を思い浮かべ、静かにため息をついた。




