2話
「花……嫁……?」
言葉の意味は知っている。
この教会の信者に祝福の祈りを捧げたことも、何度もあった。
それでもフィアには、その言葉が自分に向けられていることが理解できなかった。
愛する恋人と手を取り、夫婦になる。
それは幸せなものだと、知識としては知っている。
聖女の聖性が薄まることを恐れ、
フィアはなるべく人と、特に男性と関わらずに生きてきた。
自分が誰かと添い遂げる未来は、最初から用意されていないものだと思っていた。
「ああ、心配なのですね」
司教はそう言って、優しく微笑んだ。
「大丈夫です。この国で最も神に近い位置にある私となら、あなたの聖性が失われることはありません」
続けられる言葉は、あまりにも滑らかだった。
「それどころか、二人が結ばれることで、この国にさらなる光が満ちる――そう、神託が下っているのです」
理解しようとした。
だが言葉は、音としてしか頭に残らない。
後ずさろうとした瞬間、逃げ場がないことに気づいた。
肩に添えられた手は、力を込めていないのに、離れることを許さなかった。
鐘の音と祝福の中で寄り添う恋人たち。
幸せそうな笑顔を、フィアは思い出す。
司教の語る未来は、その光景と同じはずなのに。
そこに自分の姿を重ねることは、どうしてもできなかった。
「……嬉しくないのですか?」
低く落とされた問いに、喉が詰まる。
言葉を探そうとしたが、声にならなかった。
「大丈夫ですよ、フィア」
両肩に手を置かれ、視線を外すこともできない。
「これは、あなたをこの教会に導くよりも前から、決まっていたことなのです」
足元が揺らぐ。
遠くで、自分の心音だけが大きく響いた。
(そんなに前から……)
支えられるまま、フィアは寝台に身を預けることになる。
視界の上を、司教の影が覆った。
「……口づけは、結婚式まで取っておきましょう」
その言葉だけが、やけに鮮明に耳に残る。
逃げなければならないと、頭では分かっていた。
だが身体は、恐怖に縛られたまま動かない。
「今日は、お仕置きではありません」
優しい声で、司教は告げる。
「夫婦になるための、導きです」
その言葉を理解してはいけない、と直感が警鐘を鳴らす。
けれど、幼い頃から刷り込まれてきた教えが、それを押し殺した。
寝台が、軋む。
近づく気配に、背筋を冷たいものが走る。
「その前に……」
司教の声が、低くなる。
「奪われぬよう、祈りを捧げましょう」
目を閉じた司教が詠唱を始める。
祝福とも呪いともつかない言葉が、静かに空間を満たしていく。
恐ろしくて、指先一つ動かせない。
やがて声が止み、司教は微笑んだ。
「さあ……」
その続きを聞く前に、
フィアは初めて、恐怖の声を上げた。




