第六話 暴かれた真実
漆黒に近い髪色に、ところどころ白髪が混じる。横髪を撫でつけ、片耳にかける癖もそのまま。軍服の詰め襟を指で緩める仕草まで、見覚えがある。
そう――ヴィクター・アドラー。
自分の手で確かに殺したはずの男が、今、目の前に立っていた。
「――な、何故……! 何故ここに!」
アシュフォードの声は震え、顔から血の気が引いていく。
男は淡々とした口調で答えた。
「何故? ああ、それは――」
一拍の沈黙を置いて、薄く笑う。
「お前が、俺の暗殺に失敗したからだ」
その声の冷たさに、彼女は思わず眉間に力を込めた。
「はっ、あり得ないでしょ! あの傷で? ……誰かが成りすましてるだけでしょ。さっさとこの縄、解いてよ!」
必死に言葉をぶつける。
信じたくなかった。あの時の一撃が無駄だったなんて。
だから強気に出るしかなかった。
――だが。
パァン、と乾いた音が部屋に響いた。
頬に熱が走った。耳の中がキーンと鳴る。
「え……?」
何が起きたのか一瞬、理解出来なかった。信じられないという様でもある。
ヴィクターの掌が自分を打った――ただそれだけのことが、信じられなかった。
「……あまり手荒な真似はしたくない。少し、話をするだけだ」
穏やかに見えるその表情が、かえって恐ろしかった。
彼の「少し話すだけ」が、決して言葉通りで終わらないことを、彼女は知っている。
彼を裏切ったときから覚悟はしていた。それでも、背筋が氷のように冷たくなるのを止められなかった。
ヴィクターは壁に立てかけてあったパイプ椅子を引き寄せ、ゆっくりと開いて腰を下ろした。
「俺が言う質問に答えてくれればいい。――俺の殺害は、参謀長の命令か?」
女は唇を固く結んだまま、黙して答えない。
当然だ。参謀長に忠誠を誓う者なら、ここで口を割れば参謀本部での居場所を失う。意地でも吐くまいという覚悟が、その沈黙を起こしている。
ヴィクターはそれを見て、わざと間を置き、低く問いを重ねた。
「参謀長とは、いつからつながっていた?」
沈黙。
言えるはずもない、上司と部下という関係を超えているということ。
そして、ヴィクターの側に潜り込むための間者であったことなど。
「ふぅ……話す気はないか。なら、こう聞こう。今回の件――お前の独断か?」
その瞬間、女の視線がわずかに揺れた。
彼はそれを見逃さない。
「……なるほどな。やはり参謀長殿のご命令か」
「な、何を言って――!」
それまでの沈黙が嘘のように、女の口が開いた。
「何を、だと?お前の顔にすべて書いてあったさ。参謀長と共謀して、俺を消そうとした――そうだろう?」
アシュフォードは息を飲んだ。
沈黙を貫くはずだった口が、知らぬ間に開いてしまったことを悟る。しらを切るつもりでいたはずが、いつの間にか言葉を零してしまったのだ。
ヴィクターは、彼女が「お前の独断か」という問いに一瞬だけ気を抜いたその表情を見逃さなかった。彼女の油断は、彼なりの読みの中で意味を持っていた――自ら罪を被れば、参謀長ウィンタールが揉み消してくれるだろうという確信からくるものだろう。
だが、それだけではない。言葉を漏らした理由の奥底には、彼女自身すら認めぬ感情があったのかもしれない。ウィンタールを単なる愛人としてではなく、愛する男として見てしまっていた。気づけば心の一部が彼に寄っていたのだ。
「ウィンタールという男は、そう甘くはないと思うがな」
ヴィクターの視線は冷たく、彼女の心の襞をそっとなぞるようだった。
「参謀長は自分の地位を脅かす者を最も嫌う。現に、俺が殺されかけた。そういう男が、愛人のために立場を危うくするわけがない。たとえ貴族だろうと、参謀長が正妻をほったらかして愛人と密かに会っているなどという噂が立てば、どう振る舞うか想像してみろ」
貴族は面子を何より重んじる。平民にまでその不義が知られ、同輩の貴族から嘲りを受ければ、参謀長の立場は致命的に損なわれる。そうなれば、足手まといは切り捨てられるのが常だ。
早晩、彼女も処分される。
「やめろ!」
怒号が室内を震わせた。これまで冷静を装っていた仮面が、はじけ飛ぶ。
「分かるだろ? お前にはもう選ぶ道などない。指示を出した者共々、軍部を去るか、死ぬか、どちらかだ」
「くそっ! クソ野郎! なんであれで死んでねぇんだよ!」
アシュフォードの憤怒は凄まじい。丁寧さのかけらもない言葉が吐き出され、椅子に縛られているにもかかわらず、その身は激しく暴れる。だが、縛索はびくともしない。
「これが最後だ。お前に指示したのは参謀長だな」
「くそぉぉぉ――!」
最後の嗚咽にも似た叫びを上げると、アシュフォードの暴れは急に止まった。叫びが消えると同時に、力も抜け、呼吸だけが荒く続いた。




