第四話 魔女との出会い
時刻は深夜零時。満月が空高く輝き、大きな時計台から零時を告げる鐘が、重く街に響いていた。
視線を上げ、その鐘楼を見つめていた。
「ほら、行くよ、アドラー」
手を引かれ、何かに導かれるように歩く。
視線の先に広がる景色は、どこか子供の頃の記憶のようでもある。しかし、思い出せるはずのない景色だ。そもそも、その手を引く女性は誰なのか――。
月明かりが、崩れ落ちた天井の隙間から鋭く差し込み、顔を白く照らす。
ヴィクターは目をこすり、ゆっくりと体を起こした。周囲を見渡すが、理解は追いつかない。
――自分は、あの遺跡で軍刀に貫かれたはずだ。血を流し、命尽きるはずだった。
それなのに、痛みはない。血の気配もない。
服を探れば、刺し傷は影も形もなく消えていた。裂け目の残る軍服だけが、あの死の瞬間を証明している。
意味が分からず、力が抜けてその場に座り込む。
「おお……起きたか、人間」
声とともに、眼前にひとりの女が姿を現した。
瓦礫の山に裸身をさらし、脚を組んでこちらを見下ろしている。蒼白な肌は月光を浴びて淡く輝き、風に舞う白銀の髪はまるで炎のように揺れていた。
彼女は素足で瓦礫を踏みしめ、静かに近づく。
紅玉のごとき瞳を細め、ヴィクターの顎を持ち上げると数秒間凝視する。
「――お前は?何者だ?」
見知らぬ女から発する得体の知れない気配が彼に慎重さを求めた。
「魔女だ」
「そうか。悪いが、全く意味が分からないな、もう一度聞くぞ? お前は何者だ?」
「だから!魔女だって!」
何度聞いても理解できない。そこら辺の奴らより知識はそれなりに豊富だったが、それでも脳内が理解を捨てた。
それもそのはず、目の前にいるのは全裸の変質者でしかないからだ。
「魔女というのは何だ?」
腕を組み待っていたかのように口角を上げた。
「魔法を使う女のことを魔女と呼ぶのだ」
「魔法というのは?」
ヴィクターの質問に悩んだのか、二、三回首をひねって考える。
「ならば、見せてやろう」
そう言うと女は空に手を掲げ、得体の知れぬ言葉を口にした。
「ヒュエトス・インコネクト」
瞬間、彼女の掌が赤く輝き、赤い光球が空へと放たれる。
光球は一息に駆け上がり、空中で炸裂。散っていた雲が一斉に呼び寄せられるように集まり、ほどなく空は曇天に覆われた。ぽつり、ぽつりと落ちた滴は、やがて本降りの雨となる。
冷たい雨に打たれながら、ヴィクターは言葉を失った。最新の兵器でも、こんな芸当は不可能だ。仮に兵器だったとしても、意思を持つかのように流暢に語るはずがない。
――ならば、これは神の御業なのか。
「勘違いするな、人間。これは神の業ではない。――魔女の業だ」
「これが……魔法なのか」
「ああ。理解したようだな」
頭が混乱する。原理など考えるだけ無駄だ。だが、先ほどの疑問が再び胸をよぎる。
「魔法とは、万物の力を操る術だ」
「万物……すべて?」
その言葉に、ヴィクターの脳裏にひとつの答えが閃く。
「まさか……お前が、俺の体を直したのか!」
「おお、察しが早いな。正解だ。私が治癒魔法で癒してやったのだ。感謝するがいい、人間」
死を覚悟をした傷は綺麗さっぱり無くなっている。
信じざるを得ない――そう思うしかなかった。
ヴィクターは壁にもたれ、深く息を吐く。そして同時に状況を整理する。
学者を装った連中に刀で突き立てられ、致命傷を負った。おそらく参謀長の差し金だろう。疎まれているのは承知していたが、まさかここまで大っぴらに動くとは……。
彼女――アシュフォード少尉も、恐らく参謀長側の人間だ。昇進のエサでも吊るされたか。だが、その一刺しに迷いはなかった。もし魔女の力がなければ、今ごろ自分は死んでいたはずだ。
「俺を助けた理由は何だ?」
当然の疑問をぶつけると、女は微笑すら浮かべて答えた。
「私はお前ほど美味な血肉は初めて食った。だからお前の血肉を食わせろ」
「……はぁ? 血肉?」
「ああ。お前が死ぬ前にな、一口だけ味見したのだ。それがとてつもなく美味でな。だから助けることにした」
「俺の体を……食ったのか!?」
ヴィクターの驚きをよそに、彼女は首をかしげただけで、まるで当然のことのように振る舞う。
「肉は新鮮な方が良い。これから毎日、食わせろ」
「お前は何を言っている……体を治してくれたことは感謝しているが、俺の体を食う? それをしたら俺がまた死ぬだけじゃないか」
「お前は何も分かっていない。その体は、前のものとは別物さ」
話の通じなさにヴィクターは呆れ、額に右手を当てようとした――が。
瞬間、右手首から先が綺麗に空中へ舞い上がった。飛び散る血が月光に煌めき、ヴィクターの喉からは本能的な悲鳴が漏れた。
「ああああああああ――!」
その叫びは、痛みからではない。自分の手が、確かに消えたという事実に対する怯えだった。
「そう叫ぶな。痛みは感じないはずだ――それに、ほら」
女は淡々とそう言い、ヴィクターの視線を手元へ戻させた。最初は生々しく裂けて見えた断面が、ゆっくりと修復を始める。骨が組まれ、血管が繋がり、血肉が再び形成されていく。
そして女は、にやりと笑いながら、ヴィクターの右手を齧っていた。
「何がどうなっているんだ……」
「お前の体を直すときに、私の血を混ぜたのだ。魔女の再生機能が宿ったのだろう」
「再生機能? それって不死ってことか?」
「馬鹿を言うな。そう簡単に不死身にはなれぬ。欠損は数十秒で修復する程度だ。首が飛べば終わりだし、心臓を貫かれればそれでおしまいだ」
それでも、常人以上の回復力を持つことは確かだった。
万物を操るという魔法、そして魔女――彼女の力を使えば、この国を変えることが叶うかもしれない。
どうせ一度死んでいる身だ。今更、命など惜しくない。
なら、この女の力を最大限利用させて貰う。
「おい、魔女」
「ん? 何だ?」
「取引だ。貴様は俺の血肉を食らいたいんだろ? なら、力を貸せ」
女は鼻で笑った。
「ほほう。魔女相手に取引とは命知らずめ。今、貴様を殺してしまっても構わんのだぞ?」
ヴィクターは急ぎ心臓を落ち着かせ、言葉を選んだ。誤れば死だ。できるだけ奴に都合よく話を運ぶ。
「いいのか? ここで殺せば美味い肉は終わりだ。だが、俺と取引すれば、生きている限り毎日食わせてやる」
もちろん生きている限りとは、彼が死ぬまでの意味だ。完全な安全など望めないが、今はこれが最良の賭けだった。
女は目を細め、血の香りに顔をほころばせる。
「――面白い。まさか、この魔女に脅しをかけるとは。いいだろう。契約だ、人間。この鮮血の魔女とな」
彼女の声が遺跡の空気を凍らせた。ヴィクターは薄笑いどころか、余裕など何も残っていなかった。冷たい雨が滴り落ちる中、彼は知らぬ間に新しい運命の一頁へ足を踏み入れていた。
女はひとつの仕草で近づき、唇を彼に重ねた。その接触は、皮膚の熱というよりも、何か契約を結ぶ印のように感じられた。
まさか、今のが契約か――ヴィクターは思った。
「これで我らは、死ぬまでこの契約を破棄できぬ。お前は私に血肉を差し出し、私はお前の望みが叶うまで力を貸そう」
女の声は柔らかく、それでいて揺るがなかった。
「そういえば、名前を聞いていいか、魔女」
「言い忘れていたな。アナスタシア・ルージュだ。お前は?」
「ストリアス帝国参謀本部所属、ヴィクター・アドラーだ。よろしく頼む」
二人は視線を交わし、手を差し出した。指先が触れ、固い握手が交わされる。
その握手が、やがて帝国――否、この大陸全土の運命を揺るがす起点になるとは、まだ誰も知らない。




