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帝国残響  作者: 誠ノ士郎


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第一話 帝都悲壮

 帝国統合参謀本部中尉、ヴィクター・アドラーは列車の個室でたばこに火を点けた。

 帝都へと向かう専用列車。

 四人掛けの向かい席を独り占めし、サービスで出されたコーヒーをテーブルに置く。窓をわずかに開ければ、畑の景色が流れ、土の匂いが鼻腔をくすぐった。

 農場の視察など、参謀本部の仕事ではないはずだ。

 二か月近く、彼は兵糧確認の名目で各地の農場を回らされていた。

 実際には「末端の使い走り」でしかない。二七歳にして未だ雑用だ。

 吸いさしのたばこを灰皿に押しつけ、火を消す。参謀本部に着けば、また徹夜で国のために働かされる。今のうちに眠っておくべきだ。


「所詮、平民はどこまで行っても平民か」


 帝国は千年以上続く大国であり、貴族制の名のもとに人々を二つに分けてきた。政治に関わるのは貴族だけ。平民は七割を占めても声を持たず、異を唱えた者は例外なく処刑された。

 参謀本部も例外ではない。貴族の顔色ばかり窺い、国を案じる姿はどこにもない。陸海空軍にしても同じだ。

 結果、知識も戦略もない貴族の希望的観測によって列強諸国と開戦し、いまや帝国は諸外国から敵国と認定され、貿易さえ閉ざされた。

 国はじりじりと追い詰められているというのに、宮廷では今日も杯が交わされ、宴に酔いしれている。

 それを咎める者はいない。ヴィクターは繰り返し目にしてきたその光景に、もううんざりしていた。しかし、貴族制を廃止すべきだと高らかに叫ぶ勇気はない。

 彼自身よく分かっている。だからこそ「所詮、平民だ」と自嘲するのだ。


 銀の腕時計は一三時を指していた。列車のアナウンスによれば、帝都到着は一六時。荷物を置く前に、まず参謀本部に顔を出すことにする。

 考えているうちに睡魔が襲い、ヴィクターは肘掛けに腕を乗せたまま眠りに落ちた。


 目を覚ましたのは、大勢の下車する足音だった。扉の外では帰郷した家族連れがドタドタと廊下を歩いている。眠い目をこすりながら、ヴィクターも下車の準備を始めた。この列車は帝都が終点。急ぐ必要はなかった。

 乱雑に置かれた書類を茶色のトランクに押し込み、軍帽を手に取る。下車の列に並ぶと、母親に連れられた幼い少女と目が合った。五歳ほどだろうか。少女は軍人然とした彼を見上げ、目を輝かせる。

 ヴィクターは軽くウィンクを返した。少女が小さく笑ったのを見て、ほんのわずかに肩の力が抜ける。

 やがて彼の番が来て、トランクを持ち上げ、列車を降りた。


 帝都の玄関口――キングロースターター駅。六本の路線が帝国各地へ伸びる巨大なターミナルであり、帝国の心臓とも呼べる場所だ。

 天井には黄金色に輝くシャンデリアが吊るされ、空間は円形に広がっている。人の百倍はあろうかという窓ガラスには、びっしりとステンドグラスがはめ込まれていた。

 ヴィクターは懐かしさを覚えながら、大理石の床を踏みしめ、駅の外へと歩みを進めた。


 帝都の大通りは、相変わらずの喧噪に包まれている。石畳を行き交う平民たちは、工場帰りの煤けた顔をしながらも、市場の野菜を選び、靴磨きの少年に小銭を渡し、新聞売りの声に耳を傾けていた。大通りには路面電車がガタガタと金属音を響かせながら人々を運んでいく。石畳を行き交うのは、煤にまみれた労働者、所謂、平民のみ。貴族どもは従者に頼み調達をする。

 街角のガス灯は昼なお煌々と灯り、石造りの建物の影を長く引き伸ばしている。

 煙突の林立する工場地帯からは、絶えず黒煙が空へと昇っていた。厚い煤煙は灰色の雲と混ざり、帝都の空を常に曇らせている。それでも人々は咳き込みながらも歩みを止めない。

路面電車の後を一台の馬車がゆっくりと通り抜ける。磨き上げられた黒塗りの車体、金細工の取っ手、そして前に立つ白馬は毛並みまで艶やかに整えられている。窓の奥からは、羽根飾りの帽子をかぶった貴婦人や、宝石を胸元に光らせた若い貴族の姿がちらりと見える。扇子で口元を隠し、息を吸いまいとしているのか、平民を見下しているのかはわかりかねない。

 人々は慌てて道の端に身を寄せる。通りすがりに貴族の一人がちらと目を向けるだけで、平民たちは黙り込み、頭を垂れる。だが、誰もが内心では舌打ちを隠し、拳を握っていた。


「私たちの血税はあんな宝石のために使われているのかい」


 市場の女が小声で吐き捨てる。野菜を選んでいた男は慌てて口元を塞いだ。


「あんた死にたいのか?首が飛ぶぞ」


 馬車は何事もなかったかのように通り過ぎる。だがその後を、貴族の落とした菓子袋を拾おうと子供が駆け寄り、母親が蒼ざめて引き戻す光景が続いた。

 帝都の空は重く曇り、陽の光は薄く街を覆っていた。

平民から税を巻き上げ、己らの贅沢に費やす――それが貴族制の本質なのかもしれない。そう思いたくなるほど、貧富の差は拡がる一方だった。

 ヴィクターは曇天を仰ぎ、吐息とともに言葉を漏らす。


「この国は……まだ繁栄しているのだろうか」


 遠くでクラクションが鳴り、思考を途切れさせた。視線を戻すと、一台の車の窓から見覚えのある顔が覗いている。


「呼んだ覚えはないが……アシュフォード少尉」


 長い黒髪をきちんと束ね、

 軍服を乱れなく着こなした姿――参謀補佐、リンデル・アシュフォード少尉である。

 ヴィクターが遠方へ赴いていた間、彼女は参謀本部作戦立案室に勤務していた。


「中尉が戻られると聞きまして。お迎えに参りました」

「そうか。すまないな」


 短く礼を述べ、荷をトランクに積み助手席へ腰を下ろす。アシュフォードは即座に車を発進させた。窓は閉め切られ、車内はわずかに蒸すが、耐えられぬほどではない。


「参謀本部に直行なさいますか?」

「ああ。参謀長には顔を出しておきたい。それで……こっちは変わりないか?」

「良くも悪くも、変化はありません。作戦立案は相変わらず通らず、諸外国は互いに結束を強めている。我が国は取り残されるばかりです。このままでは、自力で戦うことすら難しくなるでしょう」


 彼女は言葉を切り、問いを投げる。


「兵糧の備蓄は、どの程度でしたか?」

「長くて五年。早ければ三年だな。海路の密輸や列強拠点からの強奪を合わせても、五年で底が見える」

「……ならば三年のうちに戦争を終結させるか、講和に持ち込むしか」

「それか――降伏、だな」


 その一言に、アシュフォードは言葉を失った。将校たる男の口から「降伏」が語られるなど、本来ならあり得ぬこと。しかし参謀本部の空気も、確かにその方向へ傾きつつある。

 貴族たちは未だ勝利を疑わぬ。いざとなれば平民を総動員すればよい――そう信じ込んでいるのだ。

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