第十五話 デンケンハルトVSアナスタシア
ディーゼル・レグナーの内通の報は、瞬く間に軍全体へ、そして新聞各社へと広がった。
翌朝の一面には大きく見出しが踊る。
――『帝国の英雄、右腕損失か?』
扇情的な文句で、読者の関心を煽る記事。
人々は失望し、激昂し、ディーゼルの裏切りを糾弾した。
街頭では憤る市民が号外を手に罵声を上げ、軍人たちは沈痛な面持ちで沈黙を守る。
参謀本部も騒然としていた。
ウィンタールを中心に後始末が進められたが、内心ではカルステン先任参謀への怒りが燻っている。しかし、憎まれ口を叩く勇気も無かった。
当のカルステン本人は、そんな喧騒とは無縁のように人事局にいた。一件の功労者に報いるためである。
「では、ヴィクター中尉を昇進ということでよろしいでしょうか?」
人事局長が確認しながら、机上の書類に視線を落とす。
「ああ。大尉に昇格だ。すぐにバラモンド要塞にも通達してくれ」
カルステンは淡々とサインペンを走らせた。
「本部に戻したかったのだがな……」
廊下を歩きながら、カルステンは小さくため息を漏らした。
その様子を見ていたジョゼフが、首を傾げる。
「なら、戻せばよかったんじゃないですか?」
「そう簡単にはいかん。いくら俺でも、ウィンタールの決定を覆すことはできんのだ」
参謀総長の命令に逆らう。それは、いかに上級貴族といえども無傷では済まされない。軍人としての節度を失えば、誰もついてこなくなる。
「それでも、私はついて行きますけどね」
ジョゼフは後ろ手に腕を組み、からかうように笑った。
「馬鹿。お前ひとり来ても意味がないだろ」
「えぇー! なんで、そんな冷たいこと言うんですかぁ!?」
二人の笑い声が、静かな廊下に軽く反響した。
同刻――東郡司令基地、バラモンド要塞。
アナスタシアは、要塞の外れに広がる森林を歩いていた。
澄んだ空気が肌を撫で、地下壕の湿った空気よりも、よほど心地よい。
だが、ここに来たのは気まぐれではない。
――そう、理由があった。
「……私に何か御用ですか?」
彼女は足を止め、静かに振り返った。
「デンケンハルト少将」
そこには、銀の鎧に身を包んだ男が立っていた。
森に入る前から気づいていた。尾行されていることは。
だからこそ、人目のないこの場所を選んだのだ。
しかし、彼の姿には見慣れぬ異様さがあった。
普段の軍服ではなく、戦時用の鎧――鋭い銀光を放つ甲冑をまとい、身の丈より長い矛を握っている。
兜の頭頂には、白い羽飾りが風に揺れていた。
そして、その顔。眉間の深い皺と、静かな怒気。
一目で分かった。
この男は――殺しに来ている。
彼女を――アナスタシアを。
「私を殺しに――」
「黙れ」
冷淡な一言が、空気を凍らせた。
「やはり、レグナーの言う通りだった。貴様らは、ここにいるべき人間じゃなかった!」
デンケンハルトの歯軋りが森に響く。怒りを押し殺す音だ。
脳裏に焼きつくのは、泣きながら車に押し込まれるディーゼルの姿。
――あいつはアレスに忠誠を誓った。俺と共に。
だから、裏切るはずがない。
「今、仇を取り、貴様を解放してやる!」
「仇って……あいつ、まだ死んでないでしょ?」
その瞬間、デンケンハルトの体が弾けた。
矛が唸りを上げて振り下ろされ、衝撃波のような風圧で木々が裂ける。
「これは――舐めてかかったら、ちょっとマズいかもね」
アナスタシアは軽く身をひねり、すぐに姿勢を戻す。
デンケンハルトは矛を片手に持ち替え、遠心力を乗せて横薙ぎに振るった。
ギリギリだった。
かすめただけで、腹部を抉られていたに違いない。
だが攻撃は止まらない。縦へ、横へ、怒涛の連撃。
「三日月縦横斬」――彼の必殺の連続技。
「あっぶなっ! こらぁー! 乙女に酷いな!」
アナスタシアが軽口を叩く。しかし挑発には乗らない。
デンケンハルトの目がわずかに揺れた。
おかしい。
この一撃を避けた者など、いなかった。
それなのに――奴は、まるで風のようにかわしていく。
再び、踏み込み一杯の突撃。
横薙ぎ。縦斬り。
それでも、アナスタシアにはかすり傷ひとつつかない。
「もう、気づいたら? あなたに勝ち目なんてないこと」
アナスタシアは後頭部をかきながら、呆れたようにため息をついた。
その仕草に、デンケンハルトの胸が再び煮えたぎる。
矛を振る。何度も。
だが――当たらない。
おかしい。
こんな女将校に避けられるはずがない。
誇りが、崩れていく音がした。これまで積み上げた研鑽が、嘲笑うように。
視線を落とすと、右手が震えていた。
武者震いではない。――恐怖。
「俺は……猛将デンケンハルトだぞ! 震えるな! こんな女一人、斬れなくてどうする!」
自分に言い聞かせるように叫ぶ。
だが、アナスタシアにとってはただの雑音だった。
「面倒になってきたし――そろそろ終わりにしよっか」
彼女は拳を鳴らし、ゆっくりと前に出た。
デンケンハルトは直感した。来る――。
武人としての嗅覚が告げる。
なら、動くのは先だ。
全身の筋肉を叩き起こし、矛を突き出す。
一直線、腹部を狙って――貫く。
――――はずだった。
ボンッ――鈍い衝撃音。
横から叩かれた矛の刃が弾かれ、軌道を逸らされる。
次の瞬間、アナスタシアのもう一つの拳が刃の中心に叩きつけられた。
金属が悲鳴を上げる。
矛の先が砕け、破片が地に突き刺さった。その反動が腕を襲い、握力がスッと抜ける。
そこを、待っていた。
アナスタシアは懐に飛び込んで、魔法を詠唱する。
「――パワード・インコネクト」
彼女の低く呟く声とともに、拳が赤黒く光を放った。
次の瞬間、腹部の鎧が音を立てて貫かれる。
「ぐっ……は、あああッ!」
息が漏れるより早く、追撃。
連撃が空気を裂き、乱打が鎧を叩きつける。轟音とともに、上半身は砕け、血で世界が赤く染まった。地面に叩きつけられ、視界も感覚も滲む――。
――まさか、こんな女が。
ヴィクターだけじゃなかったのか。
レグナー、貴様の考えは……正しかった。
意識が薄れていく。
――俺は先に行って――
「いや……そうじゃねぇ……! 俺がぁ! 俺が……お前をッ、オマエらを――!」
瀕死の体を引きずり、デンケンハルトは叫びながら飛びかかった。
「お前ッ!」




