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帝国残響  作者: 誠ノ士郎


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第十二話 バラモンド要塞の決断

 ヴィクターがバラモンド要塞に赴任してから、十日が経とうとしていた。

 赴任当初よりも下士官たちとの距離は徐々に縮まり、食堂での会話も増えてきた。

 しかし、未だ彼らを快く思わない者たちがいる。ディーゼル少将を中心とした派閥――通称ディーゼル派だ。

 彼らは頑なにヴィクターと接触しようとせず、軍部から追い出そうと目論んでいる。だが、所詮は子供の喧嘩のようなものだ。

 ヴィクターは気にも留めない。

 デンケンハルトの監視下では、あからさまな行動は取れない。しかし、全体の状況は計画通りに進んでおり、焦って動き、相手に悟られる必要もない。


「ヴィクター中尉、参謀本部から通信です」


 部屋の入り口まで来た下士官が呼びかける。

 ヴィクターは立ち上がり、通信室に向かい受話器を手に取った。


「ヴィクター中尉です――」


「ええ――」


「はい――」


「ありがとうございます」


 受話器を置き、ヴィクターは短く息をついた。

 部屋に戻ろうと踵を返すと、目の前には巨体が立ちはだかっていた。


「何か用か、デンケンハルト少将?」


 腕を組み、仁王立ちで進路を塞いでいる。


「今の通信の相手は誰だ?」


「参謀本部にいる友人です。俺のことを心配して連絡をくれましてね。手紙でも書けばいいのですが」


 デンケンハルトは、相手の声や内容までは聞いていないはずだ。敬語を使っていたから上官だろうと勘繰ったのだろうが、ヴィクターはあえて軽く受け流す。


「本当か? 嘘をついている顔をしているが」


「本当に友人ですよ。久しぶりだったので、つい敬語になってしまっただけです」


 ヴィクターは相手の読みを先回りするように弁じる。


「ならば、調べて良いな? 参謀本部に確認して、通信記録を照合する。記録は残っているはずだ」


「ええ、構いませんよ」


 デンケンハルトは押し黙った。やがて一度鼻を鳴らして離れていく。

 ヴィクターは口許に薄い笑みを浮かべた。デンケンハルトがわざわざ本部に連絡して記録を調べるとは考えにくい。彼が何より嫌うのは、アレスに迷惑が及ぶことだ。たとえ記録で友人と確認されれば、同僚を疑った自分の行為が問題視され、彼の立場に微かな傷を残す――それをデンケンハルトは避けるだろう。


「読み通り、動いてくれて助かるよ」


 ヴィクターがバラモンド要塞に来てから十六日が過ぎていた。

 その夜、要塞を揺るがす出来事が起きる。時刻は深夜零時を回ろうとしていた。


「ん? 何だ? あれは――」


 レーダーを監視していた若い将校が、画面にかすかに動く影を見つけた。


「どうした?」


「いや、見間違いかもしれませんが、距離三万、方角〇二二――何かいます」


 後方でコーヒーを啜っていたディーゼル少将は、レーダーと空撮映像を慌てて確かめた。


「こ、これは――!」


 ディーゼルは叫ぶと非常ベルを叩いた。ジリジリとけたたましい警報が要塞中に響き渡り、兵士たちは飛び起きて配備につく。戦闘配置の号令だ。

 司令室には次々と将校が集まり、緊迫した空気が充満する。ヴィクターとアナスタシアも部屋に入り、事態の整理に移る。


「何事だ、ディーゼル少将!」


 アレスは軍服のボタンを素早く留めながら問いただす。


「はっ。先ほどレーダーに人影の気配を検知しました。恐らくオリアウス王国の斥候隊です。こちらへ向かってくる兆候があり、念のため警報を鳴らしました」


 その報告に、司令室の空気がさらに硬くなった。

 アレスは腕を組み、沈思黙考する。


「……で、ディーゼル少将。どうすべきだと?」


「恐らく、先のことを考えての斥候です。こちらに来るなら捕縛、あるいは射殺すべき事案と考えます」


 その言葉を最後まで聞き終える前に、ヴィクターが立ち上がった。


「少将、待ってください。本気で言ってるんですか? 射殺の判断は早すぎます!」


 司令室の視線が一斉に彼へ向けられる。

 ディーゼルの眉間に皺が寄り、低く、冷たい声が返ってきた。


「中尉、なぜ止める? 我々の安全を確保するためだ。斥候を放置すれば、本隊を呼び込む先兵となる」


「本当に斥候部隊なら、たった四人で来るはずないでしょう!」


「では何だ? 貴官には、あれが難民などに見えているのか?」


「ええ。確証はありませんが――。ただ、もしこちらが射殺すれば、王国に大義名分を与えます。殺すべきではありません。捕縛、もしくは帰還させるべきです!」


 ヴィクターは汗をにじませながらも、一歩も退かずに言い放った。

 周囲の将校たちは沈黙し、二人のやり取りを見守っている。


「逃がす? 馬鹿なことを言うな。奴らはすでに我らの領土に足を踏み入れている! これが敵対行動でなくて何だ!」


「――この際、見逃すべきです。無用な戦火を上げるべきではありません」


 ディーゼルは小さく鼻で笑い、あざけるように言った。


「貴様はそれでも帝国軍人か。臆病者め。王国が攻めてくるというのなら――いつでもやってやる。閣下、ご裁断を」


 アレスはゆっくりと顔を上げた。その目は何かを決めた者のそれだった。


「……要塞前面に不明な人影、斥候と推定。識別信号なし。これを侵入者と見なす。狙撃手を準備させろ」


 オペレーターが息を呑む。


「交戦規定に基づき、射殺許可を発令する。侵入者を確実に無力化せよ」


「待ってください! 閣下、それは――!」


 ヴィクターが声を張り上げたが、すぐにディーゼルに腕をつかまれ、司令室の外へ押し出された。

 扉が閉まる音が、やけに重く響く。

 約一分後。

 夜の静寂を裂くように、乾いた銃声が四度響いた。

 要塞の外は再び静寂に包まれる。

 ヴィクターは廊下の壁にもたれ、腕を組んで目を閉じた。握り締めた拳の中で、爪が皮膚を食い込む。

 ほどなくして、司令室の扉が開く。

 アレスを先頭に将校たちが退出してくる。

 彼はヴィクターの前で立ち止まり、静かに言った。


「――彼らが、軍人であったことを祈ろう」


 そのまま歩き去っていく背中は、いつもよりも重く見えた。

 ディーゼル少将は振り返り、勝ち誇ったように笑っている。

 扉が閉まる音だけが、無情に響いた。

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