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09. 幕間:聖域の守護者、再起に至らず

開発二課の片隅にある、「説教部屋」(正式名称:会議室D)。


その扉が閉ざされてから、有に数時間が経過している。外から様子を伺うことはできないが、中では、課長の佐々木と黒川の面談が行われていた。


―― キィィ


今、静かにその扉が開いた。そこから現れたのは、神妙な面持ちの佐々木と、どこかスッキリしたような、それでいてまだ目の縁が赤い黒川だった。


「黒川さん、少し元気出たみたいだな…」


自席から様子をうかがっていた佐藤は、ほっと胸をなでおろした。


昨日の歓迎会での『女神の鉄槌』、そして今朝の『お詫びの印(という名の刷新計画書)』という二段攻撃を受け、黒川の心は完全にシャットダウンしていたのだ。

見かねた佐々木が緊急でリブートを施してくれたのだろう。さすが課長だ、やるときはやる。


「まあ、色々あったが…黒川、君のこれまでの功績は、俺が一番よく分かっているつもりだ」


佐々木は、打ち合わせルームの扉を閉めながら、ポン、と黒川の肩を叩いた。その声には、部下を思いやる上司の温かみが込められている。それは、傍目から見ても判りやすい程だった。


「芽上くんのやり方は、正直、俺もどうかと思う部分が、まあ、ある。それは、わかる。…… だがな、黒川。彼女の指摘自体は……」


そこまで言って、佐々木は言葉を切り、含みをもつような苦笑いを黒川に向けた。

共感を十分に示す一方で、その核心は突かない。それは、部下に内省を促すための、絶妙な管理職ムーブ。コーチングの極みだった。

佐藤はそのやり口に軽く舌を巻いた。…何というか、非常に勉強になる。


「か、課長…! 俺、俺…!」


黒川の目に、再び涙がうっすらと浮かんだ。自分の聖域を守ってきた矜持、それを踏みにじられた屈辱、そして今、上司から差し伸べられた理解のようなもの。複雑な感情が渦巻き、彼は感激に打ち震えていた。


「ありがとうございます! 俺、頑張ります!」



(おお…! 黒川さん、立ち直った! 課長、グッジョブ!)


佐藤は心の中でガッツポーズを決めた。これで開発二課にも平和が戻る。


…かに思われた、その刹那(せつな)



「よし! じゃあ、早速だが!」


佐々木は、パンッ! と柏手を打つと、まるで()き物が落ちたかのように、その表情を一変させた。さっきまでの温情あふれるカウンセラーの顔はどこへやら、今はギラギラと目を輝かせたプロジェクトマネージャーの顔になっている。


「全員、会議室に集合!例の件、進めるぞ!」


「「「へ?」」」

フロアにいた開発二課のメンバーたちの動きが止まる。佐藤も、安堵の表情が固まった。


「例の件って…まさか…」

黒川の顔から、さっきまでの感動が急速に色褪せていく。嫌な予感しかしない。


「そうだ! 芽上くんが提案してくれた、あの『レガシーシステムX 刷新計画』だ!」


佐々木は、どこからか取り出した計画書の束(もちろん結衣作)を高々と掲げた。その目は、新しい技術と輝かしい未来と予算獲得への希望に満ち満ちている。


「これは我が社のDXを加速させる、まさに起死回生の一手だ! そして、この栄えあるプロジェクトの主担当は…君だ、黒川!」

ビシッ! と佐々木の人差し指が黒川を指す。


「…………は?」

黒川は、完全にフリーズした。さっき流した感動の涙は、今、急速に冷え切って頬を凍り付かせているような錯覚さえ覚える。彼のメンタル回復ゲージは、一瞬でゼロに戻った。


「いや、課長、そりゃ無茶ですよ! 俺は、その…あの女とは…!」

「心配いらんぞ! もちろん、芽上くんにはサポートについてもらう! いわば、君が将軍で、彼女は軍師だ!しかも諸葛孔明張りの! 何ひとつ心配することはない!」


佐々木は、もはや黒川の心情など完全に忘却の彼方。プロジェクトの成功しか見えていなかった。

彼の頭の中では、芽上結衣という『規格外の能力』を、黒川という『レガシーの専門家』の元に配置するという、完璧なリソース配置計画が既に完成していた。


「考えてもみろ、黒川! このプロジェクトが成功すれば、君の手で、あの古き良き(そして今や問題だらけの)システムが、最新鋭のクラウドネイティブ・マイクロサービス・アーキテクチャに生まれ変わるんだぞ! 一大チャンスだ!」


「で、でも…」

「それに! これで君もレガシー技術者の汚名を返上し、市場価値の高いモダンなエンジニアへと華麗なる転身を遂げる! 給料アップも夢じゃないぞ!」


佐々木の熱弁は止まらない。完全に自分の世界に入っている。


(あー…課長、さっきのカウンセリングの意味って…)


佐藤は、頭を抱えた。佐々木のこういうところが、良くも悪くも『惜しい』のだ。部下のメンタルケアをした舌の根も乾かぬうちに、その心の傷口に塩、どころか傷の原因になったトラウマを塗り込もうとしている。


「……そういうとこですよ、課長…」


黒川は、完全に拗ねて、ぷいっと横を向いてしまった。せっかく浮上しかけたメンタルは、再びマリアナ海溝の底へと沈んでいくのが見て取れた。回復不能なデッドロック状態だ。



「とにかく!」佐々木は黒川の反応を意に介さず、話を続けた。


「この計画を進めるには、クラウド推進部との連携が不可欠だ!すぐにでも打ち合わせをセッティングするから、黒川、君が行ってこい!」

「嫌ですよ! なんで俺が!」

「主担当なら当然だろう!」

「だいたい、クラウド推進部の連中なんて、現場の苦労も知らないで理想論ばっかり語る…」

「いいから行け! これは業務命令だ!」

「パワハラだ!!」


(また始まった…)


佐藤は、本日何度目か分からないため息をついた。結局、こうなるのだ。二人のそのやり取りは、もはや開発二課にとっては見慣れた光景だった。


最終的に、佐々木の熱い説得(業務命令)により、黒川はしぶしぶクラウド推進部との打ち合わせに向かうことになる。その足取りは、断頭台に向かう罪人のように重かった。



厨二を意識したタイトルにしてみました。

佐々木課長は、現場リーダ―と管理職のはざまで揺れるあるある人材です。


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