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調和の女神はデバッグがお好き  作者: 円地仁愛
第5章:混沌∪調和
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65. 神々の賭け(ゲーム)と、女神の絶対防衛宣言(前)

国プロの実証実験(PoC)直前。

開発二課のフロアは、リリースまで残り48時間を切り、異様な熱気に包まれていた。


その中で、黒川徹と芽上結衣の二人が陣取る一角だけは、台風の目のように静まり返っている。


── カタカタ、カタ、ッ、ターン。


聞こえるのは、二人が奏でるリズミカルな打鍵音だけ。

言葉はない。視線すら交わさない。

だが、そこには阿吽(あうん)の呼吸が存在していた。互いの思考回路が直結しているかのような、完全なるシンクロ状態。


このままいけば、間に合う。

二人の空気に圧倒されながらも、その場の誰もがそう確信していた。


その時だった。


「おい、手を止めろ!!」


静寂を切り裂く怒声と共に、磯山事業部長がフロアに入ってきた。


「全員起立! 神代(かみしろ)先生がお見えだ! 礼を尽くさんか!」


その背後から、一人の男が優雅な足取りで姿を現す。 仕立ての良いスーツを着こなし、柔らかな笑みを浮かべた男――政府技術顧問、神代圭だ。


「やあ、皆さん。お忙しいところ申し訳ないね。どうぞ、続けてください」


その声は穏やかだが、フロアの温度が一瞬で数度下がったような錯覚を覚えさせる、底知れない冷たさを孕んでいた。


「チッ……。このクソ忙しい時に、何の用だよ」


黒川が、モニターから目を離さずに舌打ちをする。

隣の佐藤が顔を青くして袖を引くが、黒川は意に介さずキーボードを叩き続ける。今は一秒たりとも無駄にはできなかった。


しかし、神代はそんな黒川の苛立ちなど素知らぬ顔で、ゆっくりと、寸分の迷いなくフロアの中心――結衣のデスクへと歩み寄っていく。


「やあ。久しぶりだね、芽上さん」


背後からの声に、結衣の指がピタリと止まる。

ゆっくりと椅子を回転させ、神代と対峙した彼女の表情からは、いつもの冷静さは消え失せていた。


「……神代さん。本日は、どのようなご用件でしょうか。質問にはお答えしたはずです」


拒絶の意志を込めた言葉。しかし、神代は楽しそうに目を細めるだけだ。


「つれないな。なに、懐かしい顔を見て安心しただけだよ。……そうだ。少し休憩にしないかい? お茶でも飲みながら、君の……新しい研究の話を、聞かせてくれないか」


神代は、意味ありげに視線を黒川の方へと流した。


「人間の感情……特に『愛』という名のバグについて。君がどんな仮説を立てているのか、非常に興味がある」


結衣の身体が、強張った。彼が求めているのは、技術的な議論ではない。それは、黒川という「被験体」に植え付けた混沌の種が、どう育ったかを楽しむための悪趣味な余興への誘いだった。


「お断りします。私は現在、リリースの重要工程を担当しています。席を外すことはできません」


結衣は、きっぱりと言い放った。しかし、それを許さない男がいた。


「な、何を言っているんだ、芽上くん!」


磯山が、顔を紅潮させて割って入る。


「神代先生のありがたいお声がけだぞ! たかが一社員が、断るなど言語道断だ!」


「い、磯山事業部長!」


見かねた佐々木課長が、慌てて二人の間に割って入る。


「申し訳ありません! 今はリリースの追い込み中でして……! 彼女はキーマンなんです。彼女の手が止まると、現場が回りません!」


「何を言っているんだね、佐々木君!この国の未来を左右する神代先生のご要望よりも、たかが現場の作業を優先するというのかね?」


「たかが、とは……!」


磯山は鼻で笑うと、フロアの男性社員たちを見渡し、最後に侮蔑的な視線を結衣と愛莉に向けた。


「よく見給えよ。これだけ男が揃っているんだ。たかが『女性社員』一人の穴埋めぐらい、どうにでもなるだろう」


「……ッ!」


その言葉に、愛莉の瞳が怒りで揺れる。 それは、彼女が最も嫌悪する「能力ではなく性別で判断される」屈辱だった。唇を噛み締め、膝の上で拳を震わせる。


だが、磯山は止まらない。


「いつまでお姫様扱いしているんだ。甘やかすのもいい加減にしたまえ!」


そう吐き捨てると、近くにいた田中を顎でしゃくった。


「おい、そこの君! 彼女の代わりに対応したまえ!」


「む、無理です…! 彼女のコードは、僕なんかじゃ触ることすら…!」


「ええい、口答えするな! 誰がやっても同じだろうが!」


理不尽な怒号が響き渡る。現場の空気は最悪だった。あまりにも現場への敬意を欠いた言葉の数々に、誰もが拳を握りしめ、俯いていた。



そして――。


── ガタッ!


椅子を弾く乾いた音が響いた。

黒川だ。


彼は無言で立ち上がると、青ざめる佐藤の制止を振り払い、ゆっくりと結衣のデスクへ歩み寄った。


「貸せ、芽上。お前のタスクは俺が巻き取る。……休憩、行ってこい」


怒りを押し殺すようにして告げる。だが、結衣からの返答はない。

黒川は、そこで初めて、結衣の異変に気づいた。


「……おい、芽上?」


気遣いを滲ませ声をかけるが、彼女は神代を睨みつけたまま微動だにしない。


その顔色は紙のように白く、瞳に浮かぶのは、強い警戒心。

いや――殺気と言ってもいい。

触れれば爆発する爆弾のような、極限の緊張が彼女の全身から立ち昇っていた。


「……おい。どうした? 随分とピリついてるじゃねぇか」


黒川が、怪訝そうに眉を寄せる。その時だった。


「おや。どうかしたかい?」


いつの間にか、神代が音もなく移動し、黒川の背後に立っていた。


「ふむ。立てないのなら、私が手を貸してあげよう。……()()()()にね」


スッ、と。 神代の白く細い手が、黒川の肩に伸ばされる。その瞬間、結衣が弾かれたように声を上げた。


「――触らないで!!」


彼女は椅子を蹴倒す勢いで立ち上がると、黒川の前に割り込んだ。その形相は、普段の冷静な彼女からは想像もつかないほど、必死で、激情に満ちていた。


「彼に……黒川さんに、触れないでください!!」


神代は、驚く様子もなく、むしろその反応を楽しむように口元を歪めた。


「ははは。随分と過保護だね、ユイシア。……いや、芽上さん。では、行こうか」


神代が結衣をエスコートするように手を差し出した、その刹那。


バシッ!!


無骨な腕が伸び、神代の手を叩き落とした。黒川だ。

彼は、結衣を背に庇うようにして、神代と磯山の前に立ちはだかる。


「……あんた、随分と馴れ馴れしいじゃねぇか」


地を這うような、低いドスの効いた声。


「コイツが嫌がってんのが、見えねぇのかよ」


その無礼な振る舞いに、磯山が激昂した。


「き、貴様ーっ! 黒川! 神代先生になんてことを! 事業部長である私の顔に泥を塗る気か!! クビになりたいのか!?」


「クビ、だぁ?」


黒川は、鼻で笑った。 その瞳には、もはや分別も遠慮もない。あるのは、技術者としての矜持と、大切なものを踏みにじられた男の、静かで激しい怒りだけだ。


「はっ……。上等だ。くれてやるよ、そんなもん!!」


「な、なんだと……!?」


予想外の反撃に、磯山が言葉を詰まらせる。 黒川は一歩前に踏み出し、フロア中に響き渡る声で啖呵を切った。


「現場を舐めんな。会社の看板がなくたって、技術(うで)さえありゃ食っていける。だがな! 後輩ひとり守れねぇで、どの面下げて生きられる!?」


脳裏をよぎるのは、自分を信じる仲間たちの背中と――どこまでも真っ直ぐな彼女の瞳。


「俺はなぁ……!!」


黒川は、背後を振り返ることなく、その背中で彼女を庇いながら叫んだ。


「権力振りかざして、嫌がる仲間を連れ去ろうとするクソ野郎に……振る尻尾なんざ、持ち合わせちゃいねーんだよ!!!」


怒号が、ビリビリと空気を震わせた。フロア全体が、水を打ったように静まり返る。誰もが、黒川の剣幕と、言葉に圧倒されていた。


ただ一人、愛莉だけが、どこか痛快そうな顔で口元を緩め呟く。


「……言ったわね。相変わらずバカな男」


その静寂の中、結衣は息をすることさえ忘れ、黒川の背中を見つめていた。

彼の熱が、激情が、彼女の心にゆるやかに伝搬していく。


(……心地いい。やっぱり、貴方は強い人です)


結衣の瞳が揺れ、そして静かに決意の色を宿す。彼は強い。だからこそ、ケイオスの標的になってしまう。この人を、これ以上危険に晒すわけにはいかない。


「……黒川さん。大丈夫ですよ」


結衣は宥めるように手を伸ばし、自分を庇う黒川の腕を、そっと押し下げた。


「あ? どこが大丈夫なんだよ。お前、顔色が」


「お気遣いありがとうございます。でも、少し…昔話をするだけです。すぐ戻りますから」


「おい、待てよ!」


黒川の手をすり抜け、結衣は神代の横に並んだ。


「行きましょう、神代さん」


「ああ。では、彼女をお借りしますよ」


神代は優雅に頷くと、黒川には目もくれず、踵を返して歩き出した。 結衣がその後を追う。


取り残された磯山は、真っ赤な顔でわなわなと震えていたが、神代が去っていくのを見て我に返った。


「あ、お待ちください神代先生! ……おい黒川! 貴様の処分は後でたっぷりと決めてやる! 覚悟しておけ!!」


磯山はそう捨て台詞を吐き捨てると、慌てて神代の後を追いかけていった。


バタン、とドアが閉まる音だけが響く。 あとに残されたのは、凍りついたような沈黙と、行き場のない怒りだけだった。


「……ちくしょう!」


黒川は、閉ざされたドアを睨みつけ、やり場のない怒りに拳を机に叩きつけた。 ドンッ、と鈍い音が響き、誰かの小さな悲鳴が聞こえた。





お読みいただきありがとうございます!

少し期間が空いてしまい失礼しました。お休み中はひたすら会社に揉まれていました。

黒川のような啖呵は切れないものの、心に闘志を燃やして頑張っております!


さてさて。本編はいよいよクライマックス、第5章の幕開けです。

続きが気になる! と思っていただけたら、評価・ブクマ等いただけると執筆の励みになります!

よろしくお願いいたします!

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