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調和の女神はデバッグがお好き  作者: 円地仁愛
第4章:神の愛と人の情(じょう)
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56. 告白(前)

朧げな思考の中に、確かな感覚が浮かぶ。


手のひらを包む、柔らかな温もり。すぐそばで聞こえる、誰かの規則正しい息遣い。


ゆっくりと重い瞼をこじ開けると、視界は白くぼやけていた。

焦点を結ぼうと瞬きを繰り返す。やがて、その白が天井であると認識し、次いで、すぐ目の前にある影の輪郭が、像を結んだ。


艶やかな、深い黒青色の髪。

憂いを帯びた、大きな瞳。

自分を覗き込む、芽上結衣の顔だった。


その、あり得ないほどの近さと、見たこともない必死な表情を認識した瞬間、黒川の意識は一気に覚醒した。


「なっ!?」

「黒川さん……っ!」


悲鳴に近い声が鼓膜を震わせる。同時に、手のひらが強く握りしめられていることに気づいた。

視線を落とせば、自分の右手が、彼女の細く白い両手でしっかりと覆われている。


「め、芽上!?お前、その、手が……!」


動揺する黒川を覗き込むように、結衣がさらに顔を近づけてくる。ふわりと、シャンプーの清潔な香りが鼻先を掠めた。


「気が付かれたのですね、よかった…!気分は、大丈夫ですか…!?」

「お、おい…ち、近ッ…!」


黒川がパニックに陥りかけた、まさにその時。シャッ、と軽い音を立てて、ベッドを仕切っていたカーテンが開かれた。


「目が覚めたか、黒川! 急に倒れたから、心配したぞ!」


佐々木を筆頭に、開発二課のメンバーたちが心配そうな、それでいてどこか生温かい視線をこちらに向けている。


「課長…!」

「過労と睡眠不足だそうだ。…最近、眠れてなかったらしいじゃないか。佐藤に聞いたぞ」


佐々木の言葉に、メンバーたちの視線が更に生温かさを増す。また勝手に洩らしたのかと、黒川が忌々しい思いで睨みつけると、佐藤は気まずそうにサッと目を逸らした。


見かねたように、若手の田中がフォローするように口を開く。


「僕たちも、もちろんですけど…。芽上さんは、特に、むちゃくちゃ心配してたんですよ」

「そうですよ。保険医の先生が大丈夫だっていっても、ずっとつきっきりで…」


言いながらも、その視線が繋がれたままの手元に注がれていることに気づき、黒川の顔はさらに熱くなった。もはや拷問に近い。


「とにかく!」

佐々木は咳払いを一つすると、場を仕切るように言った。


「しばらく休んで体調が落ち着いたら帰宅するように。……芽上くん、黒川に付いていて貰えるかな?」

「ちょっ!」

「はい、課長。お任せください」


慌てる黒川と、即答する結衣。その対照的な反応に、メンバーたちはもう笑いをこらえるのに必死だった。


「お大事に」「頑張ってください!」などと口々に言いながら、彼らはそそくさと医務室を出ていく。最後に残った佐々木が、ドアの隙間から小さく振り返り、黒川に向かってビシッと力強くサムズアップを送った。


「黒川…!報告を待っているからな!!」


バタン、とドアが閉まる。

若干の呆れと、猛烈な苛立ちと、そしてほんの少しの感謝がないまぜになり、黒川の感情はぐちゃぐちゃにかき混ぜられた。



(あいつら…!気を利かせたつもりか…!だが……いや、確かに…これは…)


静寂が戻った医務室で、黒川は、結衣が真剣な瞳でじっと自分を見下ろしていることに気づいた。

その真っ直ぐな視線に、心臓が大きく跳ねる。


千載一遇のチャンスだ。

オーバーヒートしそうな頭で、必死に言葉を探す。


(──今しかない。どう切り出したら……)


思考を巡らせている間にも、繋がれた手に、何度もぎゅっと力が込められる感触が伝わってくる。心配そうにこちらを窺う彼女の、その行動の意味が分からない。頭が混乱する。


(……いや、考えるな!コイツの思考が俺に読めるわけねぇ。落ち着け、俺……!)


繋がれていない方の左手で顔を覆い、必死に冷静になろうと試みる。

ドクドクと、耳元で自分の鼓動がやけに大きく響く。呼吸が浅くなり、息苦しい。


それを何とか抑え込み、かろうじて口を開こうとした、まさにその時だった。

ふいに、結衣がぽつりと呟いた。


「──こんな、ことになっているだなんて……」


彼女は再び、黒川の手のひらを強く握り込んだ。

まるで、意識を集中して何かを探っているかのように、目を伏せる。


「この、複雑な感情の揺れ動き……、混沌の波動……。なぜ、今まで気付けなかったのでしょう……?いえ、気付いていた、のに……私は……」

「……芽上?お前、なに言って…」


黒川が目元から手を外し、訝しげに彼女を見上げた、その瞬間。


「──ごめんなさい」


その、あまりにも唐突な言葉に、黒川の思考が止まった。


「ごめんなさい、黒川さん…。私は、あなたの気持ちを知っていて……あなたが苦しんでいるのは、全部、私のせいです…ごめんなさい…」


静かな医務室に、彼女の痛切な声が響く。

黒川は、しばらく呆然としていたが、やて、自嘲の笑みが自然と口元に浮かんだ。


「………そうかよ」


カッと熱くなっていた頭が、急速に冷えていく。代わりに、胸の奥に、氷のように冷たい何かが突き刺さった。


彼女から顔を背けるように、ベッドの上で寝返りを打つ。だが、その動きは途中でぎこちなく止まった。右手はまだ、彼女に強く握られたままだった。


軽く引いても、結衣は一向に離す気配がない。黒川は深いため息を一つ吐くと、姿勢を戻した。


諦めと、それでもなお燻る恋情と、そして、僅かな怒りと苛立ち。

それらを噛み締めながら、俯いたままの彼女に向かって、何とか声を絞り出す。


「……わかったよ。けどなぁ…」


その声は、自分でも情けないほどに、小さく掠れていた。


彼女が頷かないであろうことは、どこかでわかっていた。

それでも伝えたかったのは、こんな顔をさせたかったわけじゃない。


受け入れられなかったとしても、きっと彼女は、笑ってくれるだろうと。そんな気がしていたのだ。



────まだ、何も言ってねぇだろうが。


続く言葉は、とうとう声にならなかった。

代わりに、黒川の内側で燻っていた混沌が、行き場のない感情を燃料にして、再び黒く、激しく燃え盛り始めた。


すると、その感情が伝わったのだろうか。

彼女の握りしめた手が、ピクリと揺れて、そのまま強張ったように固まった。


背けた顔に、彼女の視線が突き刺さる。

黒川は、その視線に耐え切れず、彼女のか細い指を無理やり振りほどくと、そのまま天井を仰いだ。


「……寝る。お前は、もう戻れ…」


突き放すような、固く、冷たい声。自分でも嫌になるほどに強く苛立ちが滲んでいる。

彼女が息を詰めるのがわかったが、気にしている余裕もない。とにかく、今は一人になりたかった。


これで話は終わりだ、と目を閉じようとした、その時。視界の端に、信じられないものが映った。


「…………!?」


驚愕に目を見開く。

結衣の瞳から、堰を切ったように大粒の涙がボロボロと零れ落ちていた。

黒川は、完全に固まった。


「強い…負の、波動……。どうして、こんな……。ごめんなさい……私が……私が、もっとちゃんと考えていたら……こんなことには……」


黒川は、結衣がボロボロと泣くのを、しばらく呆然と見ていた。

だが、その呟きに嗚咽が混じり始めた時、彼ははっと我に返り、衝動的に、勢いよく身を起こしていた。


「な、何泣いてんだよ!? 別に、お前のせいじゃねぇだろ!?」

「いいえ!私のせいです……!」


結衣は、子供のように強く首を振った。その潤んだ瞳が、真っ直ぐに黒川を射抜いている。もう、目が離せなかった。


「前に…佐藤さんにも言われたのです。『これ以上、放っておいてはいけない』と。なのに、私は…」


結衣は、そこで一度、苦しそうに言葉を詰まらせた。


「あなたの心が、悲鳴を上げているのに……私は、その痛みを…制御可能だと、考えました。プロジェクトに有効な、興味深いデータだと…。そして、観測することを……選んだ、のです。それだけじゃなく、あなたの感情を使って……自分の知的好奇心を、満たそうと…して」


そこまで言うと、彼女の言葉は完全に途切れた。代わりにしゃくり上げるような嗚咽が漏れる。

まるで、自分自身が犯した罪の重さに耐えきれないとでもいうように、そのか細い肩は小さく、しかし激しく揺れていた。


それは、いつも冷静沈着な彼女からは、到底想像もつかないほど、無防備で、痛々しい姿だった。


「こんな、ことになる、だ、なんて……。すべて…私の、せいです…。ごめんなさい、本当にごめんなさい……」


そう言って、彼女はまた、黒川の手を、ぎゅうっと強く、縋るように握りしめた。涙の雫が、彼の手の甲にポタリと落ちる。


それらが伝える熱に、思いに、彼の心臓が大きく脈打った。


(…ああ…こいつ…。俺が倒れてから、ずっと、こうして心配して……後悔、してたのか……)


突き刺さっていたはずの氷が、溶けていく。代わりに、胸の奥から、どうしようもないほどの熱い何かが込み上げてきた。


(相変わらず、人の気持ちが分かってねぇ……いや、分かってないのは、俺の方か……)


心配をかけて申し訳ないという気持ちと、どうにかしてこの涙を止めたいという庇護欲が、胸の中で渦を巻く。


「俺が倒れたのは、俺のせいだ。お前が気にすることじゃ…」

「でっ、ですがっ…!」


もう、彼女は嗚咽が止まらず、言葉にならないようだった。


こんなにも真剣に、自分を心配して泣いている。その彼女を前にして、自分はといえば、だらしなく緩みそうになる口元を抑えるのに必死だった。


(まさか、こいつが泣くなんて……こんなに思い詰めちまって……俺のため…か……なんか…こう……)


きゅんと締め付けられるような、甘い痛みが胸を走る。

どうしようもなく込み上げてくる愛おしさと嬉しさに、心臓が悲鳴を上げていた。


こんな情けない顔を見られるわけにはいかない。

眉間に力を入れ、繋がれていない方の手で、顔を覆うようにして隠す。


すると、彼女は、その態度を拒絶と捉えたのか、ひどく悲しそうに顔を歪めて、一際大きくしゃくりあげた。小さく俯いた拍子に、瞳から、大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。


黒川は、いてもたってもいられなくなって、どうにか声を絞り出した。


「……なあ、頼むから、泣きやんでくれねぇか」


その声は、発した黒川自身が驚くほど、優しく、そして切ない響きを帯びていた。

それは何よりも雄弁に、彼女への想いを物語っているかのように思えて、自然と言葉が口をついて出る。


「お前に、そんな風に泣かれたら……俺が持たねぇよ」

「黒川さん……?」


顔をあげた彼女と、真っすぐに視線がかち合う。涙を湛えた瞳が、不思議そうに黒川を見つめている。

その純粋な眼差しに、ああ、ダメだ、と観念しながら、言葉を続ける。


「さっきから、心臓が限界で……。苦しいし、痛ぇし…。もう、どうにかなっちまいそうだ」


この燻る胸の内を伝えたい、という気持ちは、黒川にはもうなかった。

ただ、どうにかして、彼女を安心させてやりたい。その涙を止めてやりたい。その一心だけだった。


しかし、その黒川の言葉に、彼女は弾かれたように顔を上げた。


「!!苦しいのですか!?」


嗚咽も涙も吹き飛んだように、瞳に焦燥の色を浮かべて、慌てて腰を上げる。


「どうしたら…!今すぐ、先生を呼びます…!」

「おいおいおい!!呼ばなくていい!!そういうことじゃねぇ!!」


焦ったのは黒川の方だった。反射的に、その細い腕を掴んで、有無を言わさず引き戻す。


彼女の涙を湛えた瞳が、不安そうに自分を見上げている。もう、誤魔化しようがない。腹を括って、はっきり言うしかない。


「つ、つまりだな…!」


彼は、彼女の手を両手で握り返し、揺れる瞳を真っ直ぐに見つめて言った。


「お前に…!惚れた女に目の前で泣かれて、平静でいられるわけがねぇっていうことだ……!!」





お読みいただきありがとうございます!

とうとう黒川が言いました!いかがでしたでしょうか。

ぜひ、評価、ブクマ、感想などなど、リアクションをいただけますと嬉しいです!



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