55. プロジェクトKと混沌の塵
一方、その頃―――。
会議室の様相は、混沌の神ですら目を覆いたくなるであろうほどに、混迷を極めていた。
「くっ、黒川さん!!気持ちはわかります、わかりますから、どうか落ち着いて…っ!!」
「そうですよ!!あんまり怒ると、血圧上がりますって!」
「るっっっっせえ!!!!!!これが落ち着いていられるか!!人のプライベートを寄ってたかって面白がりやがって!!」
怒り心頭の黒川を、開発二課のメンバーたちが必死で宥める。
「つーか、佐藤!!!!てめぇだなッ!?課長に余計なこと吹き込みやがったのは……ッ!!!」
「ひっっ!吹き込んだというかっ!……と、とにかく、一旦、座りましょう!暴力はコンプライアンス的にマズいですよ!」
佐藤が両手を広げて制止するが、そんなことで怒れる黒川を止められるはずもない。黒川を身体を張って抑える若手社員二人、佐藤と田中は恐怖で顔が引きつっていた。
「そうだぞ、黒川!」
それを諫めるように声を張るのは課のトップであり、混乱の元凶でもある佐々木だ。
「大きな声を出すと、外にいる芽上くんに聞こえる!これは、極秘プロジェクトなんだぞ!」
「………ッ!!!」
佐々木は、的確に、黒川の弱点を突いた。
黒川は、こめかみに見事な青筋を走らせながらも、ぐっと言葉を飲み込むしかない。
「一旦、落ち着きましょう、黒川くん。課長の言うことも、まあ……、一理ある」
その隙を見逃さず、一人のベテラン社員――上田が、やれやれと首を振りながら口を開いた。
「その、『告白支援プロジェクト』……、ですか? 私は、賛成ですよ」
「はああっっ!?!?何いってんすか、上田さんまで…!!」
上田は、驚愕する黒川にチラリと視線をやると、どこか言いにくそうに続ける。
「気を悪くしないで貰いたいんだが……、我々も、その……。君の『アレ』は、どうにかしなきゃならんと話してたんだ」
「な…ッ!?」
その言葉に、黒川が息を飲んだ。
上田が、他のメンバーに促すような視線を向ける。すると、それ皮切りに、次々と声が上がり始めた。
「私も、同意見だ。別に、君のプライベートに口を出すつもりはないが………勤務中に露骨に芽上さんの周りをウロウロするのは……いかがなものかと」
「……ぐっ!」
「……そ、そうですよ……。今日も朝からソワソワきょろきょろしてて、いつ話しかけに行くのか気になっちゃって――集中できないです」
「……………うっ!!」
「僕なんて、黒川さんの隣の席なんですよ?溜息はサーバのファンよりうるさいし、何かあるたびに椅子を蹴飛ばす勢いで立つしで、心臓に悪くて――」
「…………………………………っ!」
「ぼっ僕も……。外線取る度に、『誰からだ!?』『芽上あてか!?』って鬼の形相で詰め寄られて、もう怖くて電話取れないですよ…」
「…………………………………………………」
次々と浴びせられる、身も蓋もない正論の集中砲火。
黒川は、ついに反論の言葉を失った。そして、蚊の鳴くような声で、かろうじて一言だけ絞り出した。
「…………………………それは…………すいません…した…」
上田は、深く頷いた。
「正直、課長のやり方はどうかと思いますが……。これが開発二課全体の課題だというのは、その通りです。チームで知恵を出し合って、早急に解決しましょう」
いっせいに頷き合う一同。
彼らは、ホワイトボードを囲んで、キビキビと現状分析を開始し始めた。
そして、黒川は、ショックで言葉を失っていた。
自分の恋煩いが、ここまであからさまに、周囲にバレていた。
そして、業務に支障をきたすレベルで、ものすごく迷惑がられている。
その事実に、彼の怒りは急速に霧散し、代わりに猛烈な情けなさと居たたまれなさが全身を襲った。
彼は、がっくりと肩を落とすと、力なく椅子に座り込み、もはや何かをを言う気力も失せて、ただうなだれるしかなかった。
どれくらい、そうしていただろうか。
すっかり心を閉ざしていた黒川の耳に、メンバーたちの真剣な議論の声が届いてきた。
「まず、ゴールを明確にしましょう。このプロジェクトの成功は…『黒川さんが芽上さんに告白し、返事をもらうこと』…でいいでしょうか?」
「質問です!返事の内容は、成否判定に含まれるのでしょうか?イエス・ノー・保留…。イエス以外は失敗ですか?」
「いい質問だな、田中くん。このプロジェクトにおける成功要件は、黒川くんのメンタル維持だ。イエスであれば問題ないのだから、ノーだった場合の、緊急対応計画の検討を優先すべきだろう」
「待ってください!相手は、あの芽上さんですよ?答えが、イエス・ノー・保留の3択と決めつけるのはリスクが高過ぎます。まずは、ターゲット分析を急ぎましょう」
(……………なんなんだ、これは……バカバカしい…)
そこに、からかいや嘲笑の色は一切なかった。
彼らは、本気で、大真面目に、自分を助けようとしているらしい。頼んでないし、頼みたくもないし、恐ろしく迷惑千万ではあるが。
その、どこまでも純粋な善意が、黒川のささくれ立った心の壁を、じんわりと溶かしていく。
なんだかもう、怒るのも、恥ずかしがるのも、全てがどうでもよくなってきて、黒川は、まるで他人事のように、目の前の奇妙な会議をただぼんやりと眺めていた。
「黒川」
不意に、低い声がかけられた。顔を上げると、隣にいつの間にか佐々木が立っていた。
「どうだ。皆、一生懸命だろう」
その声には、いつものような大仰な暑苦しさはなく、静かで、穏やかな響きがあった。
「…………」
黒川は何も答えず、ジロリと、佐々木に剣呑な視線を向けた。
ホワイトボードの前で議論を続けるメンバーたちの声が、遠くに聞こえる。
「そう睨むな、さっきは悪かった。……余計なお世話だとわかっていたが……いい機会だと、思ったんだ」
佐々木は軽く笑って、黒川の視線を軽くいなすと、パイプ椅子を引いて彼の隣に腰掛けた。
「なあ、黒川。おまえが、どれだけこの会社に、いや、開発二課に尽くしてきてくれたか、俺はよくわかっている。本当に、感謝してもしきれない。……だがな、同時に、申し訳なくも思っていたんだ」
佐々木の視線は、遠い過去を見つめているようだった。
「お前は、システムを守るためにがむしゃらだった。決して譲らず、責任を抱え込み、個人として最大のパフォーマンスを上げた。それは、確かに社の業績に繋がったかもしれない。だがな、そのせいで、お前はいつも一人だった」
「……会社は、仕事は、それだけじゃないんだ。今のお前なら、もうわかるだろう?」
佐々木の声が、黒川の心に、静かに染み込んでいく。
「俺は、嬉しいんだ。こうして、お前がチームの連中と、くだらないことで悩んだり、言い合ったりしているのがな。皆、お前のことを本気で心配して、お節介を焼こうとしてる。それは、きっと……」
佐々木は、そこで一度、温かい眼差しで黒川を見た。
「……芽上君のおかげだろう? 頑なだったお前が、こんな風に自分をさらけ出している。彼女が、君の本当の良さを引き出してくれたんだ」
佐々木は、ホワイトボードの前で議論を続けるメンバーたちを見ながら続ける。
「いい結果になって欲しいと思う。俺だけじゃないぞ?ここにいる皆が、心から、そう願っている。だから、これは……」
佐々木は、黒川の肩を、優しく、ポンと一度だけ叩いた。
「紛れもなく、チームの課題なんだよ」
黒川は、もう何も言い返せなかった。
ただ、胸の奥から、じわりと熱いものが込み上げてくるのを感じていた。
佐々木から顔をそむけたまま、険しい顔を作って何とか声を絞り出す。
「……んなこと言われたって……。結果なんか、どうなるか……わかんねぇですよ……」
その声には、もう怒りは含まれていなかった。
そこには、どうしようもない照れと、ほんの少しの温かさが滲んでいた。
***
一方、開発二課のフロアでは、結衣が、混沌の神・ケイオスからの電話に応対していた。
急ぎ、フロアの隅の自販機が並ぶ休憩スペースへと移動し、氷のように冷たく鋭い声を上げる。
「答えなさい、ケイオス……!あなた、どういうつもりなのですか……!?」
『おや、もう他人の振りはいいのかね?……どうやら君の同僚が、面白いことになっているようだ。彼の混沌の波動が、ここまで伝わってくるようだよ』
電話の向こうで、ケイオスが心底楽しそうにクツクツと喉を鳴らす。結衣は、込み上げる怒りを抑えきれず、彼を問い詰めた。
「やはり、あなたの仕業ですか!黒川さんに、いったい何をしたのです!?神が人の精神に直接干渉するなど、許されざる禁忌…!今すぐ、解除しなさい!」
『精神操作?はて、何のことかな。そんな、つまらないことはしないさ。あれは、実験だよ。私の力の、ほんの欠片……いや、取るに足らない塵を、彼の魂に流してみただけだ』
「ちり……?」
『そう、塵だ。それが彼の内でどう作用するかなど、私にもわからない。…だから、面白いのではないか。君は、解除といったが……一度、混ざってしまった塵を、どうやって回収しろと言うんだい?不可能だろう』
ケイオスの言葉に、結衣は愕然とする。つまり、何の意図もなく、ただ彼の魂に異物を注入したということ……。それは、あまりにも無慈悲で、予測不能な遊戯だった。
『君は勘違いしているようだが、塵は塵だ。何も生みださない。感情が暴走したのなら、その発生機序は彼自身にある。激しい嫉遺、独占欲、そして劣等感…。実に人間らしく、そして愛おしいほどに低劣な因子だな。ああ、そうだ』
ケイオスは、まるで何かを思い出したかのように、楽しげに言葉を続けた。
「――君は、彼を観察対象に定めたようだね。そのために、ここまで肥大な因子――感情を育て上げるとは……実に素晴らいよ、ユイシア」
その言葉は、結衣の胸を、深く突き刺した。息を上手く吸うことができない。
黒川の苦しみの原因の一端は、自分にある。
彼は、そう言い―――。そして、それは否定しようのない事実だった。
その時、ガチャリ、と背後で会議室のドアが開く音がした。
結衣がハッと振り返ると、そこに立っていたのは黒川だった。どこか吹っ切れたような、それでいて猛烈に気まずそうな、複雑な表情を浮かべている。
彼が、電話をしている結衣の姿に気づいた、その瞬間。
黒川の背筋を、ぞわりと這い上がる、理由のわからない悪寒が襲った。胸の奥が、冷たい空気で満たされたかのように、小さくざわついた。
―――― 神代だ。
なぜかは分からない。だが、電話の相手が、あの得体の知れない男だと、黒川は直観で理解していた。それは、彼の中に埋め込まれた、ケイオスの微細な欠片が、本体に共鳴した結果だった。
『…おや。噂をすれば、だね』
電話の向こうで、ケイオスの声色が変わった。黒川の存在に気づいたのだ。その声には、獲物を見つけた捕食者のような、冷たい愉悦が滲んでいた。
『面白い。実に面白いじゃないか、ユイシア。君が慈しむその人間が、私の塵にどこまで耐えられるのか』
ケイオスは、悪意に満ちた声で、囁いた。
『そうだな…。本当にコントロールが効かぬかどうか。―――試してみようか』
「!!」
結衣の表情が、絶望に凍り付く。彼女は、もはや躊躇うことなく、絶叫した。
「やめて!!ケイオス!!」
廊下の向こうで、結衣のただならぬ声に驚いて振り返った黒川の表情が、驚愕に歪む。
彼の視界が、ノイズ混じりに明滅した。脳を直接焼かれるような、鋭い痛み。
「…っ!!」
短い呻き声と共に、彼の身体から力が抜ける。
糸が切れた操り人形のように、彼はその場に崩れ落ちた。
ガシャン、とスマートフォンが床に滑り落ちる硬質な音が、静まり返った廊下に虚しく響いた。
お読みいただきありがとうございます!
物語が新たな局面を迎えました。いかがでしたでしょうか。
「笑いと感動」「コメディとシリアス」「仕事とファンタジー」の調和という、
本作の目指す方向性を、すべて詰め込んだ渾身のエピソードです。
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◇◇◇◇
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