54. 告白大作戦
翌日の朝。
開発二課のフロアは、リズミカルなキーボードのタイピング音と、サーバーから漂うコーヒーの香ばしい匂いに満たされていた。いつもと変わらない、穏やかな一日の始まりだ。
しかし、佐藤健太だけは、その日常に全く集中できていなかった。
(黒川さん、完全に戦闘態勢だ…!)
佐藤は、モニターの向きを調整するふりをしながら、数席離れた男の様子を盗み見た。
件の男、黒川徹は、先ほどからPCの起動画面を睨みつけたまま微動だにしていない。その全身には、決戦前の武将のような、ただならぬ緊張感がみなぎっている。佐藤はゴクリと生唾を飲み込んだ。
(本気だ…!今日、会社で言うつもりなのか?黒川さんの告白…想像がつかない…!ていうか、気になり過ぎて全く仕事にならない!!)
一方、その黒川の脳内では、壮絶な一人ツッコミが繰り広げられていた。
(佐藤には、ああ言ったが……。告白? 誰が? 俺がか!!冗談だろ!? いや、でも……今更、取り消すわけには…!!)
(だが、一体どうやって?『おはよう』→『ちょっといいか』→『お前が好きだ』……いやいやいやいやそりゃぜったい無理だって!ありえねぇ!!)
(……いや、考えるからダメなんだ。昨日みたいに、自然に…!成り行きにまかせれば、多分なんとかなるはずだ!!)
黒川は頭を掻きむしり、「くそっ」と小さく悪態をつくと、意を決して席を立った。目標は、数メートル先の芽上結衣のデスクだ。
佐藤の注目を一身に受け、力強く一歩を、踏み出す。
結衣がモニターに向かい、静かに作業に没頭している横顔が視界に入った。
そして黒川は、ゆっくりと……その後ろを素通りした。ぐるりと島を一周回って自席に戻ると、何事もなかったかのように、どっかりと着席し、はぁあああああ、と大きく深いため息を一つ吐いた。
(戻ってきたー!?ダメだこれは!!告白どころか、日常会話すら、まともにこなせなくなってる!!)
佐藤は心の中で絶叫した。いてもたってもいられず、黒川にチャットでメッセージを送る。ピコンと黒川のPCに通知が上がった。
『黒川さん、大丈夫ですか!?』
(……佐藤。そうか、チャットならいけるか……!?)
黒川は作戦を変更し、チャットツールを起動した。宛先に『芽上結衣』と打ち込む。しかし、そこで、彼の指はピタリと止まった。そして、すぐにキーボードを叩きつけるようにしてチャットウィンドウを閉じた。
(いやいやいやいやいや!なにやってんだ、俺は!!ぜったいに、ダメだろ!?『好きです』なんて送った日には、このサーバーに未来永劫デジタルタトゥーとして刻まれる……!!情シスのヤツらや幹部連中が、のぞき見してないという保証はどこにもねぇだろーーが!!!しっかりしろ!!!)
まさに八方塞がりだ。ふぅうううう、と再び重苦しいため息をついた。
やはり、直接言うしかない。
そうだ、昨日の彼女のように、自然に休憩に誘えばいい。誠実には誠実を。休憩には休憩を、だ。
黒川は覚悟を決めた。再び、椅子を蹴とばす勢いで立ち上がると、一直線に結衣のデスクへ向かう。その、揺るぎない足取りに、佐藤は祈るように両手を組んだ。
そして、黒川は、結衣のデスクの横にたった。
しかし、口は凍り付いたように動かない。『ちょっといいか』、そのたった一言が出てこなかった。
(い、言えねぇ……!!ていうか、よく考えたら、朝っぱらから休憩って、おかしいだろーが!?何か、他の口実は……!)
その異様な気配に、ついに結衣が気づいた。モニターから顔を上げ、不思議そうに黒川を見上げる。
「……黒川さん。どうかなさいましたか?顔色が優れませんが、大丈夫ですか?」
「い、いや……なんでもねぇ。大丈夫だ」
ビクリと肩を揺らしながら、ようやく絞り出した声は情けないほどに掠れていた。結衣は、ますます心配そうに眉をひそめる。
(黒川さんの感情に、昨日の攻撃性とは別の、異質な感情の揺らぎが…。それに、心拍数の上昇も著しい。これも、ケイオスの干渉の影響……?一時的に改善したとはいえ、やはり、対話だけでは限界が……。一体、どうしたら……)
重苦しい沈黙が、二人と、そして固唾を飲んで見守る佐藤の間に流れる。そして、とうとう、意を決した黒川が口を開こうとした、その瞬間―――。
「ちょ「おはよう、諸君!」
少し遅れてフロアに入ってきた佐々木の明るい声が、フロア中に響き渡った。
そして、佐々木は、神妙な顔つきの二人を見つけると、満面の笑みで近づき、声をかける。
「ん?どうした、黒川。それに芽上くん。昨日から、よく話しているようだが……。何か悩み事があるなら、この俺がいつでも聞くぞ!」
善意100%の笑顔で佐々木は黒川の肩を力強くバンバンと叩く。その衝撃に、黒川の中で張り詰めていた緊張の糸が、ブツリと大きな音を立てて切れた。
(またかよ…!……そもそも、昨日、言えていればこんなことには……!全部、佐々木課長のせいだ。ちくしょう……!!)
昨夜の奇跡的な雰囲気を、そして今のこの決心を無残に打ち砕いた上司に対し、黒川の内心で苛立ちが渦巻く。結衣は、黒川から急激に立ち上り始めた負のオーラを敏感に感じ取り、さらに心配そうに表情をかげらせた。
やがて、始業のチャイムがなると、不思議そうな顔の佐々木と深刻に考え込む結衣を残して、黒川は自席に戻っていった。
その一部始終を見守っていた佐藤は、内心で頭を抱えた。
(だ、ダメだ…!このままじゃ黒川さんの告白は……そして俺の仕事も、進捗ゼロだ!!なんとかしなくては…!せめて、この最大の外的ストレスだけでも取り除いてあげないと…!)
++
「あの、佐々木課長……!少しだけ、お時間よろしいですか!?」
「なんだ、佐藤くん。神妙な顔をして。いいぞ、なんでも話してみ給え!」
開発二課フロアの隅、給湯室へと続く通路。
佐藤は必死の形相で、佐々木をフロアの喧騒から引き剥がすように連れ出した。
「あの、ちょっとここでは……。ちょっとだけ、こちらへ……!!」
佐藤は、佐々木を半ば引きずるようにして給湯室へと連れ込むと、周囲に人がいないことを注意深く確認した。
そして、声を潜め、しかし切羽詰まった様子で切り出した。
「実は、黒川さんのことなんですが…。最近、様子がおかしいのは、課長もご存知ですよね?……その…原因に、心当たりは……」
佐々木は、佐藤の剣幕に驚いたような顔をしながらも、諭すような口調で応えた。
「んん?…まあ、大方の検討はついているが……。しかし、それは黒川のプライバシーに関わることだからな。どうしても気になるなら、本人に聞き給え」
佐藤は、佐々木の意外なほどまともな返答に、心から安堵した。
(良かった!佐々木課長も、ちゃんと気づいてたんだ!それなら話が早い、きっと、穏便に…!)
そして、その安堵感が、彼の口を滑らせた。
「実は、課長…。黒川さんが…その……芽上さんに、告白しようとしてるんです!」
「な、なにぃいいいいいい!!!!!本当か!あ、あの、黒川がか!?それは……!!一大事ではないか!!!」
佐々木の予想以上に大きなリアクションに、佐藤は慌てて「しーっ!」と自身の唇に人差し指を押し当てる。
「そうなんですよ!だから、お願いですから、課長は少し空気を読んで、そっと見守ってあげてほしいんです!下手に絡むと、絶対こじれますから!」
佐藤は必死に懇願した。
しかし、その切実な願いは、目の前の上司の燃え盛る情熱の前には、あまりにも無力だった。
「何を言うか、佐藤くん!!」
佐々木は、佐藤の両肩をガシッと力強く掴んだ。その瞳は、いつものように、あらぬ方向の未来と壮大な理想にギラギラと輝いている。
「これは、黒川個人の問題などではない!彼のパフォーマンス、ひいてはチーム全体の生産性と士気に関わる、我が開発二課にとっての最重要課題だ!」
「え、えええ…!?いや、こういうセンシティブな話はですね…!」
佐藤の制止など全く耳に入っていないかのように、佐々木の熱弁は加速していく。
「考えてもみたまえ!!黒川の前に立ちはだかる、深刻な壁……!恋煩いという繊細な問題を前にして、彼は余りにも無力だ。筆頭技術責任者である黒川が、本来の力を発揮できずにいる。それが、組織にとってどれほどの損失か!」
「我々マネジメント層がすべきは『そっと見守る』などという受動的なスタンスでは断じてない!彼の抱える課題をチーム全体で共有し、分析し、最適なソリューションを導き出し、彼のポテンシャルを最大限に引き出すこと!それが我々の使命だ!!」
(だ、ダメだ……まったく聞いてない……!完全に、変なスイッチを押してしまった!!)
佐藤の顔から急速に血の気が引いていく。
佐々木は天を仰ぎ、ぐっと拳を握りしめると、高らかに宣言した。
「今、この時より、緊急支援チームを発足する!!これは、我々開発二課の総力をあげて取り組むべき、一大プロジェクトだ!」
佐藤が絶望に顔を覆う横で、佐々木は「まずは緊急ミーティングだ!会議室を押さえるぞ!」と、懐からチャキッとスマホを取り出し、空き会議室を検索し始めた。
(終わった……。黒川さん、ごめんなさい!!!)
++
そして10分後。「過去業務の緊急棚卸」という建前の元、結衣を除く開発二課の主要メンバーが会議室に集められた。
ホワイトボードの前には佐々木が仁王立ちし、その近くの席には、佐藤が青ざめた顔で座っている。
急な招集に、メンバーたちが怪訝な顔でざわつく中、事情を知らない黒川も腕を組み、面倒くさそうに説明を待っていた。
視線が集まる中、佐々木は、一度大きく息を吸い込むと、熱のこもった声で切り出した。
「いきなりだが、諸君に、聞きたい。国プロの成否を分ける最重要ファクター、それは何だろうか? ――田中くん!君は、どう思う!?」
突然指名された田中は「え!?」と素っ頓狂な声を上げ、視線を泳がせた。
その目が、助けを求めるように彷徨い、そして、ホワイトボードの文字―――『プロジェクトK~チーム力による筆頭技術責任者パフォーマンス最大化計画~』を捉える。
「え、ええと…。プロジェクトのキーマン……つまり、黒川さん…とか、ですか?」
「すばらしい!その通りだ!!」
佐々木は、満足げに力強く頷いた。
「現状、国プロは筆頭技術責任者たる黒川のパフォーマンスによって支えられている!!だが、残念なことに、それが最大限発揮しきれているとは言い難い…!彼の直面する巨大な壁、それを早急に取り除くこと。それが、我々の急務であると俺は考える!!」
佐々木は、そこで一度言葉を切り、真剣な眼差しでメンバーたちを見渡した。
「みんなに集まってもらったのは、そのためだ。黒川が壁を乗り越えるための支援をしてもらいたい!もちろん、これは強制ではない。この重大なミッションに、自らの意志で協力してくれる者だけに、残ってもらいたい。どうだろうか!?」
シーン、と会議室が静まり返る。
気まずい沈黙。メンバーたちは顔を見合わせ、戸惑いの色を浮かべている。
やがて、一人のベテラン社員が、ぽつりと呟いた。
「まあ…黒川くんが本調子じゃないと、俺たちも困りますから…」
その言葉に、他のメンバーもこくこくと頷く。
「皆…!」
佐々木は感極まったように目頭を押さえた。
「良かったな、黒川!君の日頃のがんばりが、皆に認められた証拠だ!」
ビシッと、佐々木が黒川にサムズアップを送ると、小さな笑いと共に、まばらな拍手が起こった。戸惑いながらも、彼らなりに黒川の実力を認め、支えたいという気持ちは本物だった。会議室は、不思議な一体感と和やかな空気に包まれた。
しかし、黒川は、佐々木の性格を熟知していた。悪い気はしなくとも、いきなり自分中心に話が進み始めた状況には、胡乱な眼差しを向けるしかない。
「なんすか、俺の壁って……」
黒川が、露骨な困惑と、ほんの少しの照れをない交ぜにした声で呟いた。
「そうだな。早速、本題に入ろう」
佐々木は、満足げに頷くと、メンバーに向き直った。
「黒川の前に立ちはだかる壁!我々が総力をあげて解決すべき命題!それは…!」
ゴクリ、と誰かが生唾を飲む音がした。もはや耐えかねたように、佐藤が両手で顔を覆う。
「―――如何にして、黒川の告白を成功に導くか、だ!!」
シン――。
会議室の空気が、一瞬にして凍り付いた。
そして数秒後。
ボルテージ最高潮の、黒川の怒号が、会議室の壁をビリビリと震わせ、フロア中に響き渡った。
++
会議室の中に、開発二課の主要メンバーが消え、そのドアが閉ざされてからしばらく。
獣の咆哮にも似た黒川の絶叫が、開発二課のフロアにまで響き渡った。
自席で作業をしていた結衣は、その声にビクリと肩を揺らす。彼女はキーボードを打つ手を止め、心配そうに会議室のドアを見つめた。
(黒川さんの声…?あんなに激しい怒りの発露は、初めて……やはり、ケイオスの影響が強まっているのでしょう……。彼の魂が、混沌に蝕まれていく…。私がいながら、何もできないなんて……)
彼女の胸を、焦りと無力感が締め付けた。
その時だった。ポケットに入れていたスマートフォンが、短く振動した。ディスプレイに表示されたのは「非通知設定」。
結衣は訝しげに眉を寄せながらも、その電話に出た。
「はい、芽上です」
『――やあ、久しぶりだね。ユイシア』
その、耳に馴染んだ、しかし今は聞きたくなかった声に、結衣の表情が凍りつく。
「……神代さん……いえ、ケイオス……!」
お読みいただきありがとうございます!
告白大作戦、いかがでしたでしょうか。
長きに渡って続いてきた黒川の恋煩いも、いよいよ収束に向けて動き出しました。
その裏では、神々の戦いも進行中…。開発二課に、更なる嵐が吹き荒れる!
楽しんでいただけましたら、ぜひ、評価、ブクマ、感想などお待ちしております!
次回もよろしくお願いいたします!
↓ 他作品:どちらもお仕事要素ありの11話完結・短編です。こちらもよろしくお願いいたします!
▼剣と魔法と予算案(11話完結)
https://ncode.syosetu.com/n4316ku/
▼天界再生計画(11話完結+予告編2話)
https://ncode.syosetu.com/n5419ks/




